レイ・チェン J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会|藤原聡

レイ・チェン J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲演奏会

2017年9月30日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
レイ・チェン(ヴァイオリン)

<曲目>
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲

 

筆者がレイ・チェンの実演に初めて接したのはつい最近、今年(2017年)2月のサラステ&新日本フィルのコンサートにおいて、ソリストとしてメンデルスゾーンの協奏曲を弾いた時だ。この際にはアンコールを2曲(パガニーニとバッハ)弾いてくれたのだが、メンデルスゾーンではダイナミックで大柄な表現に強い印象を受けた。この曲としては良くも悪くも「外面的」な演奏。しかしこれは1つの個性と見るべき。だが、それにも増してバッハの演奏に興味を持った。もちろん曲想の違いはあるだろうが、メンデルスゾーンとは違って極めてオーソドックス、なかなかの名演奏と感じたためで、この人のバッハはまとめて聴いてみたいものだと思った。
従って、今回のバッハのみによるリサイタルはまさに願ったり叶ったり、である(もっともレイ・チェンは2011年にトッパンホールでバッハの無伴奏曲から3曲を弾いたリサイタルを行っているが、筆者はそれを聴き逃している)。

さて、2006席の座席数を誇るサントリーホール、そのステージにレイ・チェンが唯の1人で姿を表した際には、いくら若手の名手とてソロ・ヴァイオリン一挺にはキャパシティが大き過ぎやしないかと訝っていたのだが、実際に弾き始めると、とにかくよく音が通り、鳴る。しかも、残響豊かなサントリーホールをものともしない芯のある、ボヤけない美音。フォルテは朗々と鳴り、ピアノは「唯の弱い音」に決してならずに細やかな表情の変化を伴ってしっかりと客席に届く。これだけで「ああ、大物だ」と感嘆してしまった。こういう大ホール向きの弾き方は受け付けない人には全く受け付けないだろう、とは想像されるが、しかしすごいものはすごい(素朴な言い方だが)。

解釈は、いわゆる「HIP」(Historically Informed Performance)とはほぼ無縁、モダン楽器の王道を行くかのようなオーソドックスなものであり、装飾音も付けず、リズムは楷書体で遊びは少なく、相当に禁欲的で奏者自身の自己表出を抑制したような演奏、思わず聴くこちらの居住まいも正される。しかし、それはともすると「堅苦しさ」と紙一重という危うさもあって、全体的により厳格なソナタの演奏に幾らか分があったように思う。パルティータでは各舞曲の多様性や遊び、という面がより前面に表出されれば万全だったように感じた。
とは言え、それは敢えて批評的な捉え方をすればこその聴き方でもあり、その水準は申し分なく高く、このレヴェルで全6曲を弾き通せるヴァイオリニストが――しかも一晩で――そうそういるとも思えない。
当夜の楽曲中特に印象深かったものを幾つか挙げれば、非常に荘重で音に力のこもったソナタ第3番(特に冒頭曲のアダージョ)、遅めのテンポで気概のほとばしるパルティータ第2番(言うまでもなくシャコンヌはすさまじい。冒頭から気合が入り過ぎとも思え、3月に聴いたイザベル・ファウストの軽やかな演奏とは全く別の曲を聴く趣)、先に「ソナタの演奏に幾らか分がある」とは書いたものの、そのカッチリした奏楽が逆に印象深かったパルティータ第3番、と言ったところか。

今年28歳のヴァイオリニストが妙に枯れて老成した演奏をするはずもなく、この日の演奏はいささか力が入り過ぎたという面があったにせよ、その表現は余りに真摯、嘘が全くないことは明らかであり、このレイ・チェンという逸材が10年後、あるいは20年後にどのような演奏を聴かせてくれるのか、それを考えるのもまた楽しいではないか。