パリ・東京雑感|破壊の時と救済の時|松浦茂長
破壊の時と救済の時――『勝手にしやがれ』から『バベットの晩餐会』まで
text by 松浦茂長 ( Shigenaga Matsuura)
『if もしも…』(1968年)という映画を見た。イギリスの名門私立学校を舞台に、鞭をもった最上級生が下級生を支配し、美少年に身の回りの世話をさせ、教師が自転車で教室に乗り込み浮世離れした高踏的な授業をし、校長は現状に全く関心を持たずに観念的自由主義を説く。上流階級の子弟が、中世の城のような厳かな建物の中で、一部の隙も無い正装(モーニング)をして、ジェントルマン教育を受ける姿が皮肉っぽく描かれているのだが、今見ると、上級生のいじめも、浮世離れした先生も、実に人間的でほのぼのとした印象を受ける。ところが、この映画、68年革命の若者を描いたカウンター・カルチャーの代表作なのだそうだ。
確かに、映画の後半はなかなか荒っぽい。反体制3人組がオートバイを盗んだりカフェのウェイトレスをからかったり、権威への挑発をくりかえしたあげく、上級生にむち打ちの罰を受けると、記念式典の日に武装蜂起し、参列した将軍や上流階級の父兄に乱射する。校長に命中すると、地面に穴があき、校長はその中に吸い込まれて消えてしまう。
5月革命(1968年)のパリを連想させる暴力シーンなのだが、今見ると、生徒たちの奮戦ぶりが可愛らしく、見終わったあとの気分が実にさわやかだった。監督としては、硬直した伝統主義を粉砕しようと、扇動的破壊的映画を作ったつもりに違いないし、カンヌ映画祭でパルムドールをとったくらいだから、衝撃的作品だったのだろう。でもその<毒気>は陽気なユーモアにしか見えない。なぜだろう?
この映画が日本に来た頃、僕たちの世代は、昨日までの親友が敵味方に分かれゲバ棒をふるって戦う日々を生き、心に深い傷を負った学生も少なくなかった。<自己否定><大学解体>の理念は、政治スローガンというより、エリートとしての道を歩み始めた自分に対する嫌悪からくる良心のうずき、そしてその汚い自己の<回心>に憧れる、宗教的・求道的衝動だったように思う。日本で大学闘争が始まった1968年に、僕はパリ大学に留学していて、そもそもの発端の事情を知らなかったためもあって、高邁な理想主義と幼稚な暴力が一緒になった闘争の意味がどうしても理解できなかった。パリに行く前、楽しく議論した友人たちは別人のように硬直した言葉遣いと行動をとるようになっていたし、僕も考えるのが嫌になり、不可解な大学を飛び出し、研究者になるのをあきらめてサラリーマンになってしまった。いまも、68-69年は思い出したくない、重苦しい記憶である。
建築家のジャン・ヌヴェルにインタビューしたとき、彼は僕と同じ1945年生まれなので、「5月革命は何だったのですか?」と聞いてみた。答えは「壮大なオプティミズムと高潔さ」。学生も市民も、小さなエゴを捨て去り、無私の大連帯が実現した。古い干からびた枠組みを壊せば、創造的エネルギーが噴出し、素晴らしい文化・社会に生まれ変わる。そんな自信があったのだ。
日本の全共闘運動も恐らく「壮大なオプティミズムと高潔さ」を備えた闘いだったのだろう。それが僕にとって苦しい記憶にとどまるのは、あまり近くにいたから。突然渦に巻き込まれ、渦の外から見渡す余裕がなかったからに違いない。
『ifもしも…』は、渦の真ん中で渦に乗って作られた映画だ。見る方も、渦にもまれ高揚した心理状態にある。あの時のヨーロッパ社会・文化の変化は本当に革命だった。1967年に初めてパリに行ったとき、学生寮は女性立ち入り禁止だったし、ソルボンヌの学生はネクタイを締めていた。先生は威厳に満ち、授業中の質問は許さない。それが、68年を境に、上下、男女の厳格な区別は崩れ、教授と学生が君・僕で話すようになった。『ifもしも…』の主人公が、カフェのウェイトレスを仲間に誘って、校長を射殺するシーンは、上下、男女の秩序破壊のモラル革命を巧みに象徴している。同時代の観客には強烈なインパクトがあったはずだ。
では、いま、その革命性の衝撃がピンとこないのはなぜか?私たちは、21世紀の地球を吹き荒れる狂気を見せつけられ、恐怖への感覚が鈍磨したのかもしれない。先日のニューヨークタイムズには、アメリカの有名なテレビ伝道師が「もしトランプ大統領が弾劾されたら、クリスチャンは武装蜂起して、内戦を起こそう」と説教したという記事が載っていた。イエスは愛を説いたはずなのに、憎悪と排除のチャンピオンを守るために武器をとるのがキリスト教徒の務め?偽イスラムのスローガンを掲げて西欧に敵対するテロ集団と同じ精神構造が、アメリカにもはびこっているのだ。
それにくらべると、68年の若者の反抗は、西欧文明という共通の了解のなかでの破壊であり、理性的存在としての人間への信頼は揺がない。おとなしいものだった。
テレビで昔懐かしヌーヴェル・ヴァーグの映画を見ると「退屈だ。若いころあんなに興奮して見たのに」とがっかりすることがある。68年革命を予感させたゴダールやアラン・レネの破壊力も賞味期限を過ぎたのか?映画通の友人に「『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』にはがっかりした」なんて訴えても、軽蔑と憐憫の目で見られるだけだが、この夏はうれしい出会いがあった。
日本人会から映画評論家、今泉幸子さん講演会の案内が入った。今泉さんは、1955年に画期的な『映画言語』を書いた映画評論の権威マルセル・マルタンの夫人だ。これは良いチャンス。マルタン氏がヌーヴェル・ヴァーグをどう考えていたか聞けるかもしれないと、勇んで講演会に行き、「ゴダールはつまらなかった」と言うと、「マルセルも70年代以後のゴダールは評価してなかったわ」とおっしゃる。次にお会いしたとき、去年亡くなったご主人の書き込みのある、映画事典を頂いた。ジャック・ルルセル著。虫眼鏡がないと読めないような活字で、1725ページぎっしりつまっている。
ゴダール監督『勝手にしやがれ』(1960年):「アメリカのフィルムノワールからの借り物。…この作品以後、映画は傷つき、創造性を失い、自意識過剰になった。…ヌーヴェル・ヴァーグの成功は、観客の盲信・愚直と相関関係がある。観客たちは監督が自分の作品について語ったことをそのまま信じ、人に話す。しかも、ここがヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの最もユニークな特徴だが、かつて誰もあえてしなかったほどに自分たちの作品を褒めあげ、他人の作品をけなすのだ。」
こう前置きして、カルネ、デュビビエ、ドラノアらの映画を酷評するゴダールの文章をいくつか引用したあと、ヌーヴェル・ヴァーグの<ファシスト的傲慢>と、それを盲信して真の傑作を楽しみそこなった観客を叱っている。
アラン・レネ監督『去年マリエンバートで』(1961年):「俳優の理解ゼロ。映画の可能性に関する理解力ゼロ。古色蒼然たる美学。観客たちは、1時間半退屈するために――濃密かつ回復不可能な退屈を経験するために、映画館に行列し金を払う。これを<マリエンバート現象>と呼ぶ。」
以上は他の評論家の引用だが、著者は完全に同意し、さらに別の引用で結んでいる。
「レネはあらゆる点からみて、現代において最も退屈な知識人であることを証明したと言ってよいだろう。」
ただし、ルルセルはヌーヴェル・ヴァーグ全体をイデオロギー的に否定しているわけではなく、たとえば、僕の大好きなトリュフォーの『緑色の部屋』を絶賛している。マルタン氏も、トリュフォーを愛し、カリフォルニア大学で特に彼について連続講義したそうだ。
<創造的破壊>と<破壊のための破壊>の違いが、とりわけ荒々しい世紀に生きる私たちには、痛いほどに感じ取れるのではないだろうか。私たちの文明自体が、ルルセルの言葉を借りれば<傷つき、創造性を失い、自意識過剰に>なってしまったのだから…。
『映画事典』は『バベットの晩餐会』(1987年)を80年代最良の映画の一つと評価している。一生一代のごちそうを食べると、村人のすべてのいさかいが消え、かつて結婚を許されず老年になって再会した二人が、別々に生きることを通じて一層深く愛し合っていたことを確かめ合う。食事を終えて外に出た村人たちが、デンマークの寒村の井戸の周りに輪になって歌うとき、ゴッホの『星降る夜』のような空から魂の深みに光が射し、人生の謎が解き明かされる。
ぼろぼろに傷つき、行く先を見失った私たちに、「人間にはそれでも決して<破壊されない何か>が残っている」と告げてくれる、そんな映画。ヌーヴェル・ヴァーグの非創造的破壊の後の荒地にも、観客の心に深い感謝の気持ちを呼び覚ますそんな映画は作られ得るのだ。
(2017年9月25日)