アンサンブル・ノマド第59回定期演奏会:響宴Vol.I~20世紀の華|齋藤俊夫

アンサンブル・ノマド第59回定期演奏会:結成20周年記念 響宴(シンポシオン)Vol.I~20世紀の華

2017年9月23日 東京オペラシティ リサイタルホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<曲目・演奏>
ペテリス・ヴァスクス:『遠い光』(1996-1997)
 ヴァイオリンソロ:野口千代光
 第一ヴァイオリン:花田和加子、相川麻里子、宮本恵
 第二ヴァイオリン:川口静華、横山和加子、原田亮子、佐原敦子
 ヴィオラ:甲斐史子、阪本奈津子、藤原歌花
 チェロ:松本卓以、竹本聖子
 コントラバス:佐藤洋嗣
 指揮:中川賢一

モートン・フェルドマン:『ヴィオラ・イン・マイ・ライフ III・I・II』(1970)
 ヴィオラソロ:花田和加子
 フルート:木ノ脇道元
 クラリネット:菊地秀夫
 ヴァイオリン:甲斐史子
 チェロ:松本卓以
 打楽器:宮本典子
 ピアノ/チェレスタ:稲垣聡
 指揮:佐藤紀雄

イアニス・クセナキス:『エオンタ』(1963)
 ピアノソロ:中川賢一
 トランペット:佐藤秀徳、小島光博
 トロンボーン:今込治、廣瀬大悟、戸高茂樹
 指揮:佐藤紀雄
 副指揮:木ノ脇道元、佐藤洋嗣

武満徹:『波・ウェイヴス』(1976)
 クラリネットソロ:菊地秀夫
 ホルン:萩原顕彰
 トロンボーン:今込治、廣瀬大悟
 打楽器:宮本典子

 

アンサンブル・ノマド結成20周年を記念し、「20世紀の華」と銘打った今回の演奏会、20世紀後半に西洋の中心地から離れたラトビア、アメリカ、ギリシャ、日本において花開いた現代音楽の諸潮流を俯瞰するという意欲的な企画に期待して臨んだ。

ラトビアのヴァスクス『遠き光』、アダージョあり、アレグロあり、舞踏曲的な楽想あり、民族的旋律あり、カデンツァも3回ありの、単一楽章約35分の大曲であったが、不幸な出会いと言うべきか、筆者とは相性が悪い作品であった。ヴァイオリンソロの野口千代光をはじめ、演奏には一点の濁りもなく、一般的には美しい音楽なのかもしれないが、筆者には美しいとは思えなかった。美しさとは何か新しい発見と一体のものであって、いわゆるクラシック音楽においても、聴くたびに新しい発見があるものだけが美しいと言い得るのだろう。「一番クラシックなテイストの響きがする」(プログラム・ノートより)とあるが、クラシックな音楽とは「新しいなにか」を持ったものでなければならない。前衛の時代が終わった後、という弁明抜きの、もっと新しい音楽を聴きたかった。

アメリカのフェルドマン『ヴィオラ・イン・マイ・ライフ III・I・II』は花田和加子のヴィオラも他の楽器も一人一人音をそっと置いていき、一緒に音を鳴らすことがない。ヴィオラに旋律(といっても良いのだろうか?)が現れてもそれは歌って表現しようとするのではなく、ただ佇むのみ。しかし、その単純素朴極まりない音の連なりがただの「音」でありつつも「音楽」を成している。音楽を謹聴するのではなく、静寂の野原に寝転んで音の雫が降ってくるのをただ待つような静謐な体験。この作品も3曲で30分以上かかったのだが、時間の経過が実に心地よかった。

フェルドマンのゆるやかな静寂と対極にあるギリシャのクセナキス『エオンタ』は、最初から中川賢一のピアノが超高速で轟音を奏で、そして最後まで中川が一息つく余裕はない。金管楽器5人は舞台上左右に別れたり(舞台両脇の副指揮者の指揮を見ながら演奏する)、舞台上をさまよい歩いたり、全員でピアノの弦にのしかかるように吹き鳴らして弦を共鳴させるなど、好き放題(確定記譜法で書かれているのだが)をする。しかし轟音の中にきらめくような美しい響きも含まれ、そしてどうして聴きながら認識できるのかわからないが、カオスのようでいながら、謎の音楽的秩序が一貫して保たれている。さすがはクセナキスとアンサンブル・ノマドの精鋭達と言えよう。実演でしかわからない舞台上の仕掛けもわかる稀有な、そして圧倒的な音楽体験となった。

最後の武満徹『波・ウェイヴス』にも実演に接して初めて知った仕掛けがあった。ホルンは銅鑼に、トロンボーン2人はスネアドラムにベルをかぶせるようにしてそれを共鳴させていたのだ。そしてバス・ドラムのトレモロがこれらの仕掛け付き金管楽器3人と共に音のさざ波大波を作り出し、その波に乗って菊地秀夫のクラリネットが妖精のように(ただし毒を持った妖精だったかもしれないが)舞い歌う。武満の魔術的音色作成法には毎度のことながら驚かされる。最後にバス・ドラムのトレモロがディミヌエンドしていき、金管楽器が唇を震わせないで息を吹き出す音を鳴らして、全ては音の海に帰っていった。演奏会の終わりを締めるにふさわしい、小品ながら豊かな音楽であった。