Voice Experience|大河内文恵
2017年8月9日 トーキョーコンサーツ・ラボ
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<演奏>
溝淵加奈枝:ソプラノ
藤元高輝:ギター
<曲目>
J. ダウランド:The First Book of Songsより 3つの歌
1. Come again
2. Awake, sweet love
3. Wilt thou, unkind, thus reave me
金井勇:邯鄲の譜~ギターソロのために
H. W. ヘンツェ:室内音楽1958より
In lieblicher Bläue
Tento I “Du schönes Bächein”
Tento II “Es findet das Aug’ oft”
Möcht ich ein Komet sein?
Wenn einer in den Spiegel siehet
TentoIII “Sohn Laios”
~休憩~
見澤ゆかり:Les Tois Brigands(世界初演)
B. ブリテン:フォークソングス
1. I will give my love an apple
2. Sailor-boy
3. Master Kilby
4. The Soldier and the Sailor
5. Bonny at Morn
6. The Shooting of his Dear
伊左治直:炎の蔦
(アンコール)
シャルル・トレネ:ラ・メール
ジャック・タチ:ぼくの伯父さん
地下鉄早稲田駅から徒歩5分強、昨年春にオープンしたトーキョーコンサーツ・ラボにてソプラノとギターのデュオ・コンサートを聴いた。いっぱいに詰め込んでも100人ほどの小さなサロンに座って、ヨーロッパで研鑚を積む若い演奏家の音楽にじっくりと耳を傾けることのできた時間だった。
溝淵はストラスブール留学中で、フランスものに堪能だが、今回のプログラムではそれを封印し、ダウランド(16世紀)から現代曲と幅広い時代の英語とドイツ語の曲が並んだ。冒頭のダウランドではポテンシャルの高さは端々に窺われるものの、子音の発音に不明瞭な箇所があり、不安定な印象を受けた。そのぶん、藤元のギターが抜群の安定感で支えていたといえよう。
つづく金井のギターソロ曲では、演奏に先立って、作曲者自身による短いトークがあった。この曲は武生国際音楽祭においてギター奏者マルコ・デル・グレコのために書かれたものである。金井によれば、タイトルの邯鄲は中国の故事にちなみ、栄枯盛衰を表象するもので、イメージを固定化させすぎないことを狙ったものであるという。7分ほどの曲だが、それがあっという間に感じるほど惹き込まれた。と同時に、ギターという楽器はピアノやリュートなどの代わりに使われたりするが、まさしくギターでしかあらわせない世界がここにはあると感じられた。
前半の最後はヘンツェ。溝淵自身が「非常に苦労した」と語ったとおり、たしかに技巧的にも音楽的にも難曲ではあるが、結果的には冒頭のダウランドよりも遙かに出来が良かったように思う。1曲目In lieblicher Bläueと4曲目はブリテン的な跳躍音程を多く含む曲だが、いずれも歌いにくい跳躍音程に惑わされることなく歌のもつ世界をしっかりあらわしていた。本日の演奏には3曲のギター独奏曲が含まれており、2曲目では音色の選択と間の取り方が絶妙で唸らされ、3曲目の激情ほとばしるさま、6曲目の優しく慈しむような音楽にうっとりさせられた。また、歌とのデュオの際にはしばしばギターの存在を忘れてしまうほど的確なフォローをみせていた。
後半1曲目、見澤の新曲は藤元のギターと見澤によるコンピュータの音響とのコラボレーション。つづくブリテンは、彼の民謡編曲集より第6集全6曲が演奏された。6曲それぞれ性格が違い、それがよくあらわれていたが、とくに第2曲の軽快さと第6曲の振り幅の広さが光っていた。
プログラムの最後は伊左治の『炎の蔦』。作曲者伊左治によれば、タイトルは花の名前で、カナリア諸島など南国にみられる炎のような色と形をした花であるという。新美桂子による英語の歌詞がつけられているが、言葉になっているのは最後のほうだけで、あとは擬音やスキャット、階名など意味のない言葉が延々つづく。ギターにも歌にも特殊奏法が使われ、とくに倍音唱法が印象的だった。ポップでちょっぴり哀愁を感じさせる音楽はどこか矢野顕子を思わせる。かしこまって聴く「現代曲」ではなく、演奏者も聴き手もいつのまにか自分を解放してしまっている、そんな魅力をもった曲で、このコンサートを締めくくるのにぴったりの選曲であった。
アンコールは一転、フランスもの。1曲目は有名なシャンソン『ラ・メール』。本編ではきちんと消化してはいるもののやや「撮って出し」感が否めなかったが、こちらは完全に手の内に入っていて、こなれ感があり、直球で情感が迫ってきた。2曲目は1958年に公開されたフランス映画「ぼくの伯父さん」からテーマ曲がフランス語、つづいて日本語訳で歌われた。この曲には伊左治に思い入れがあり、フランスの国立図書館から楽譜を取り寄せ、日本語の歌詞はNHKライブラリーにある音源を探し当て、そこから起こしたという苦労の賜物である。フランス語と日本語とではニュアンスが異なるのだが、どちらも独特の味があって、心から楽しめた。
留学中の若手によるコンサートだったが、単に才能の片鱗を垣間見るというより、ブレイク寸前のタレントを眺めているような感覚があった。昨年3月のリサイタルでは会場の大きさゆえか意図するところが感じとりにくい箇所のあった藤元も、今回はしっかりと伝わってきていた。溝淵はフランス語の歌と同じくらいのこなれ感をもって他の言語の歌が歌いこなせるようになったら無敵だろう。ともに更なる飛躍を期待したい。