東京混声合唱団 いずみホール定期演奏会 No. 22|能登原由美
東京混声合唱団 いずみホール定期演奏会 No. 22〜女性作曲家の饗宴〜
2017年8月30日 いずみホール
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 小林信一/写真提供:合唱音楽振興会
<出演>
指揮:山田和樹
合唱:東京混声合唱団
ピアノ:萩原麻未
オルガン:土橋薫
バレエ:針山愛美
<曲目>
木下牧子 作曲 《混声合唱曲集「地平線のかなたへ」》
1. 春に
2. サッカーによせて
3. 二十億光年の孤独
4. 卒業式
5. ネロ−愛された小さな犬に−
谷川俊太郎 作詩
上田真樹 作曲 《月の夜〜合唱とバレエのために〜》
I 序〜月夜
II Nocturne
III おたまじゃくしたちのうた
IV ごびらっふの独白
V 幾千万の蛙があがる
草野心平 作詩
アンコール 《赤とんぼ》(三木露風作詩、山田耕筰作曲、篠原真編曲)
〜〜〜休憩
上田真樹 作曲 《混声合唱曲集「遠くへ」》
1. ふるさとの星
2. くり返す
3. にわ
4. 遠くへ
谷川俊太郎 作詩
木下牧子 作曲 《混声合唱とパイプオルガンのための「光はここに」》
1. 序の歌
2. 鳥啼くときに
3. ひとり林に…
4. 何処へ?
5. この闇のなかで
6. アダジオ
立原道造 作詩
混沌とした時代の不安に包まれる日々の中で、人々が求めている音の世界とはこういうものなのかもしれない。やさしいメロディとハーモニー、それが繰り出す清澄な響き。踊り手の丸くしなやかな動きとともに軽やかにひるがえる衣装も含め、全てが観る者を柔らかく包み込んでくる。まるで遠い胎内の記憶を呼び戻すかのように・・・。そして、その中心には「声」があった。いや、「声」がなくてはならなかった。「声」こそが安らぎを与えてくれるのだ、という事実を再び思い起こす世界。
東京混声合唱団の22回目となるいずみホール定期は、今、合唱界で人気を誇る二人の女性作曲家、木下牧子と上田真樹の二人展となった。指揮は音楽監督の山田和樹。ピアニストには、ジュネーヴ国際コンクールの覇者、萩原麻未を起用。さらに、パイプオルガンに土橋薫、バレエに針山愛美と、豪華な女性たちの饗宴の場となった。
タクトさばきが堅実な山田は、実に手際よく音楽をまとめていく。響きや強弱の変化を丁寧にとらえながらも、推進力が失われることは決してない。例えば、プログラムの冒頭、木下の《混声合唱曲集「地平線のかなたへ」》。2曲目の〈サッカーによせて〉では、曲の疾走感とデュナーミクの変化から生じるエネルギーの推移が、詩のイメージにも重なる見事な構成であった。一方で、5曲目の〈ネロ−愛された小さな犬に−〉など、詩の意味に合わせて微妙に変化していく曲調への対応には物足りなさも残る。総じて、個々の言葉の発音や意味へのこだわりよりも、音の響きや造形へのこだわりの方が強いようだが、そのあたりはオーケストラ指揮者の側面が出ていると言えるかもしれない。
続いて上田の新作、《月の夜〜合唱とバレエのために〜》。無伴奏の混声合唱とバレエのコラボという異色のスタイルは、「バレエが好き」という上田の発案だったのであろう。草野心平の蛙の詩をもとに全5曲で構成されるが、月夜のもとでの蛙たちの逢瀬から卵の誕生と孵化、蛙への変容と、全体が一つの物語となっている。
舞台中央には上方から白とワインレッドの布が吊り下げられ、その背後に月であり卵でもある球を手にした針山の影がほのかに映し出される。幻想的な美の世界に酔いしれそうになるが、同時に、黒く不気味に蠢く物体の姿も・・・。やがて球体から少しずつ手足が現れ命の誕生が暗示されるが、「るるるる」とだけ歌い続ける詩を巧みに展開させた音楽(第2曲目〈Nocturne〉)が絶妙に調和して、言葉を超えた生命の奇跡を見事に照らし出した。もちろん、その後に続く踊りや音楽、また終曲〈幾千万の蛙があがる〉では観客による「蛙のうた」の斉唱などの趣向で大いに盛り上がったことにも触れておかなければなるまい。
上田のもう一つの作品は、《混声合唱曲集「遠くへ」》。「命」をテーマにした作品という求めに対し、谷川の詩を選んで作品を構成したという。奇をてらうことはなく、どこか懐かしい響きをもつ上田の歌は、どの曲もすっと心に響いてくる。なお、プログラムの1作目と本作では、萩原がピアノ・パートを務めた。自らの音楽に没入していくタイプの萩原にとって、合唱ピアノはまだ要を得ないものだったに違いない。「伴奏」に徹しようと抑制したためか合唱に押されてしまった感があり、彼女自身の音楽が生きてこなかったのは残念だった。
プログラム最後は、木下の《混声合唱とパイプオルガンのための「光はここに」》。木下の解説によれば、松本市音楽文化ホールのオルガン設置20周年を記念して作られたものだが、その頃に遭遇した親族の死がきっかけとなり、最終的に「レクイエム」として作曲したという。夭逝した立原道造の詩に「生への憧憬」と「鎮魂」という「生死」を見出して作られた本作は、パイプオルガンの垂直的な響きと合唱の重厚な、それでいて透明感のある響きが調和して時空を超えた深遠さが表現されていた。公演冒頭の作品とタイプは異なるけれども、いずれも詩の意味を深く読み込んで音楽へと巧みに転化させる木下の合唱作品の粋を表すといえよう。ここでは、詩と音楽の共振をさらに増幅させた演奏が心に残った。
振り返ってみれば、公演全体は「命」をテーマにしたものだったと言えるかもしれない。もっとも身近であるとともに非常に重い題材ではあるけれども、作者、奏者のいずれもが身構えることなくストレートに迫っただけに、こちらの心も解放することができた。今の時代には、こういう世界も必要だと思う。