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N響JAZZ at 芸劇|藤原聡

N響JAZZ at 芸劇

2017年8月19日 東京芸術劇場 コンサートホール
Reviewed by 藤原聡( Satoshi Fujiwara)
Photos by Hikaru.☆/写真提供:東京芸術劇場

<演奏>
NHK交響楽団
指揮:ジョン・アクセルロッド
バンジョー:佐藤紀雄(※)
ハワイアン・ギター:田村玄一(※)
ピアノ:塩谷哲(※/※※)

<曲目>
ショスタコーヴィチ:二人でお茶を(タヒチ・トロット) Op.16
ショスタコーヴィチ:ジャズ組曲 第1番(※)
チック・コリア:ラ・フィエスタ(※※)
バーンスタイン:『オン・ザ・タウン』より3つのダンス・エピソード
バーンスタイン:『ウェストサイド物語』より『シンフォニック・ダンス』

 

ジョン・アクセルロッドとN響がジャズに関わる音楽を演奏する企画「N響JAZZ at 芸劇」も今年で3回目の開催となる。2015年の第1回目に演奏されたのはデューク・エリントンとバーンスタイン、ガーシュウィン。昨年2016年には全てがガーシュウィンで固められたのだが、このコンサートでは『ラプソディ・イン・ブルー』のソリストに山中千尋が登場するという豪華さ(残念ながら筆者は未聴)。そして今回はやや趣向を変え、頭の2曲にはショスタコーヴィチ(こんにち言うような「ジャズ」というよりは昔風の言い方をするならば「軽音楽」のテイストが盛り込まれる)、そしてチック・コリアという意外な――N響のコンサートに登場するのが、と言う意味だ――曲を挟み、休憩後にはおなじみバーンスタインで締める。尚、チック・コリアでのピアニストとして塩谷哲が登場するのも大いに楽しみなところ。

まず1曲目は『二人でお茶を』。当時22歳のショスタコーヴィチが賭けに乗って45分で編曲を仕上げたエピソードは有名だが、確かに才気溢れるとは言えショスタコーヴィチにはわけのない仕事だったと想像される。アクセルロッドはこのシンプルなスコアから各楽器の音色を浮き立たせることに長け、そのカラフルさが実に愉しい聴き物だった。
次はショスタコーヴィチのジャズ組曲。この曲では楽器編成が大幅に刈り込まれ、プログラムを引けば「ソプラノ、アルト、テナーのサクソフォンが各1(ソプラノはアルト奏者の持ち替え)、トランペットが2、トロンボーン1、そして打楽器群、バンジョーにハワイアン・ギター(スティール・ギターである)、ピアノ、ヴァイオリン、コントラバスが各1」(片桐卓也氏)。全部で15人ほどだったか。無論これはオーケストラというよりはバンドと呼ぶに相応しく、なんだか昭和歌謡的な風景だ。そしてその響きはどことなくワイルの『三文オペラ』のようでもあればユダヤのクレズマー風でもあり、グレン・ミラーなどのスウィングジャズ的な響きも聴こえてくる。さまざまな音楽をごった煮にした上でショスタコーヴィチ的なシンプルさとセンスで蒸留したかのよう。こういう音楽ゆえ、アクセルロッドの解釈や指揮がどうこう言うベきものでもなかろう(勿論よくまとまっていた)。
ショスタコーヴィチはとにかくシリアスな交響曲や弦楽四重奏曲のイメージだけの人ではない、というのは今や当たり前に知れ渡っているが、案外本音はジャズ組曲のような音楽にも出ているのではないか、という気がする。喩えが適切かはさておき、武満徹が愛したポップソングのような。

次には塩谷哲が登場しての『ラ・フィエスタ』であるが、これは正直フル・オーケストラはいささか邪魔であった気がしないでもない(使用バージョンはチック・コリアとゲイリー・バートンがオケと共演したライヴバージョンに塩谷がさらに編曲を加えたものだという)。というのは、どうしても鈍重になってしまってリズム的な冴えやらラテン的な狂熱が割り引かれてしまうためだ。まるである種のピアノ協奏曲のようにソロとオケが比較的交互に登場することに隔靴掻痒感を感じるが、と言って塩谷とオケが一緒に演奏し始めるとピアノがマスキングされてしまって弾いている音が聴こえない。全体としては確かにゴージャスではあるが…(以上はあくまで『ラ・フィエスタ』寄りの聴き方)。
という訳でここでは塩谷哲のソロに尽きる。チック・コリアの名刺代わりとでも言うべきこの曲を独特の感性で料理していて別種の面白さがあり、これは素晴らしい聴き物。
ちなみに余談ながら、チックの 『リターン・トゥ・フォーエヴァー』収録の同曲は言うまでもなく最高だが、普通に考えてイメージに合わなそうなスタン・ゲッツが鬼神のごとく吹きまくる『キャプテン・マーヴェル』収録の『ラ・フィエスタ』が物凄い。塩谷のソロ・アンコールは自作の『Life With You』。リリカルで美しい。

休憩後はバーンスタイン2連発。まとめて記すが、アクセルロッドのキレのある指揮ぶりとN響の上手さ―音の厚みにはとにかく舌を巻く。昔のN響は非常に真面目でお固く、この手の音楽を演奏すると往々にして躍動感と愉悦感に欠けていたものだが、それも今や昔。『シンフォニック・ダンス』での「プロローグ」や「マンボ」(N響はちゃんと声出ししていました。指揮者は客席を振り返り身振りで一緒に!とやったがあまり声は出ず) での「突き抜け方」が物凄く、これだけN響を乗せてしまうアクセルロッドの力量も並ではない。反面、「どこかで」や「フィナーレ」はいささかクールでサラッとしており、ここはより歌い込んで欲しい気はしたが。
アンコールでは「マンボ」を再演。その演奏はよりヒートアップ、チェロは何と全員が楽器をクルッと1回転させるというパフォーマンスも披露。繰り返すが昔のN響は指揮者が提案してもこんなこと絶対にしなかっただろう(笑)。

この「N響 JAZZ at 芸劇」、細かいことを言えば言えるがとにかく愉しいコンサートであり、批評的に聴いてどうこう言うのも野暮と言う気が非常にしたのであった(この文章は一応批評めいたものだけれど…)。来年以降もぜひ継続を希望。