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第12回 Hakuju ギターフェスタ2017|谷口昭弘

魅惑のラテンアメリカ
第一夜「荘村清志〜coba 新作世界初演」「福田進一 meets 三舩優子〜ギターとピアノの対話」

2017年8月18日 Hakuju Hall
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)
Photos by 三好英輔/写真提供:Hakuju Hall

<演奏>
荘村清志(ギター)
福田進一(ギター)
三舩優子(ピアノ)

<曲目>
ピアソラ:5つの小品
バリオス=マンゴレ:《郷愁のショーロ》
coba:《Return to 0 リターン トゥ オー》(世界初演)
(荘村アンコール)
ブローウェル:《11月のある日》
(休憩)
カステルヌオーヴォ=テデスコ:ファンタジア op.145
ピアソラ:ピアノのための組曲 op.2
ポンセ:南の協奏曲
(福田アンコール)
ボッケリーニ:《序奏とファンダンゴ》

 

今年から独奏曲を充実したいというギターフェスタ。初日からして、前半は荘村清志、後半は福田進一がそれぞれの独奏曲の妙技を見せるという趣向で、プログラム冊子の方も、前半・後半それぞれに、演目一覧と楽曲解説を見開き2ページで見せるという体裁になっているところが面白い。

荘村のプログラムはピアソラの5つの小品から。第1曲は、ゆっくりと動き出すアルペジオの中に哀愁漂う旋律が奏でられる。端正でバロック的なゼクエンツも使われ、時には悩ましげにたゆたう内声の揺れ動きも聴かれた。二人の歌い手が寄り添っているかのように歌われる第2曲に続き、タンゴの作曲家としての面目躍如たる第3曲は、音の濃い麗しさで迫る。第4曲は淡々と、しかしながら刻々と変化する和声の上に秘められた悲しみの旋律の訴え、そして第5曲はハーモニクスやターンを小粋に挟んだタンゴのリズムや打楽器的奏法にピアソラらしいさがあった。この作曲家の留まるところを知らない創造性を体感することになった。

バリオス=マンゴレの《郷愁のショーロ》は、一つ一つの音がピアソラより豊かに聞こえてきた。ダイナミクスや音の明るさを自在に織り交ぜながら、しっとりとしたリリシズムが盛り込まれていた。

今回初演された coba の新作《Return to 0 リターン トゥ オー》は、単旋律と素早いストリークを基本として進めていく。そして旋律は時にレチタティーヴォのように低音から湧き出る自由な語り口を持ち、随時ストロークが緊張感をつないでいった。プログラムノートに記された、調性と無調性の往来が今ひとつ耳では捉えきれなかったが、次々と変転していくストロークの激しさと、こみ上げてくる単旋律との摩擦に面白さを感じた。そしてブローウェルの、やさしい《11月のある日》が、暖かな余韻を残した。

コンサート後半は、福田進一のギターと三舩優子のピアノの共演によるカステルヌオーヴォ=テデスコの幻想曲から。福田と三舩は互いにアルペジオの動機を対話させたり旋律をやりとりしたり。そしてギターのザラっとした感触が、ノイズをなめしたピアノの音と不思議な一体感を作り出す。古典的な優雅さも残しつつ、楽しさ溢れるこの曲は、二つの楽器の音量バランスの難しさはあるものの(今回はギターの音の増幅がとてもうまくいっていた)、もっと演奏されてもよいのではないだろうか。

三舩の独奏によるピアソラのピアノのための組曲は、第1曲の冒頭から波打つような音形の中にドビュッシー的な雰囲気があり、第2楽章にも、時折堰を切ったように流れだす箇所もありつつラヴェル的な典雅さが盛り込まれていた。しかし第3楽章は打って変わって、パワフルなオスティナートや目の覚めるグリッサンド、力強い打鍵に圧倒される世界だ。つい頭の中に、アルゼンチンの作曲家ヒナステラの名前が自然に浮かんできた(楽曲解説にピアソラがヒナステラに師事していたと書かれていて大いに納得した)。

ポンセの《南の協奏曲》は日本で演奏されるのも、これが2回目か3回目かという演目だそうだが、第1楽章は、力強いギターのアルペジオがまず印象に残り、第2主題の香り高い旋律も麗しい。オーケストラ・パートを担当するピアノの三舩は、ギターのないところでは思い切って弾きこんでくるが、ギターが面に立つ場面では、ギターが最大限生きる好サポートを聴かせる。そのおかげで、あちこちでみられる転調がギターという楽器の特質をポンセがよく知ってできたものだと実感させられたし、カデンツァから終結部への福田の畳み掛けも見事なものになった。小気味よいテンポによってターンを多く含むギターの歌が豊かな第2楽章につづき、第3楽章は楽しさと興奮が入り乱れる享楽のフィナーレで、緊張と遊びのバランスも聴き応え十分だった。
改めてラテン・アメリカに息づくギター音楽の豊かさに目を開いてくれた公演だった。