ローム ミュージック フェスティバル 2017|能登原由美
2017年7月1、2日 ロームシアター京都
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:公益財団法人ロームミュージックファンデーション
♪リレーコンサートB 次代の俊英たちによるロシアの調べ(7/1)
<出演者>
郷古廉(ヴァイオリン)
宮田大(チェロ)
田村響(ピアノ)
<曲目>
ラフマニノフ《チェロ・ソナタト短調Op. 19》
ショスタコーヴィチ《ピアノ三重奏曲第2番ホ短調Op. 67》
(アンコール)
メンデルスゾーン《ピアノ三重奏曲第1番ニ短調Op. 49》より第2楽章
♪リレーコンサートC ピアニストたちの祭典 (7/2)
<出演者>
奥村友美、川島基、菊池洋子、津田裕也(以上、ピアノ)
<曲目>
メンデルスゾーン《無言歌集より》〈ホ長調「甘い思い出」Op. 19b-1〉
〈イ短調「情熱」Op. 38-5〉
〈嬰へ短調「ヴェネツィアの舟歌第2番」Op. 30-6〉
〈イ長調「春の歌」Op. 62-6〉
〈ハ長調「紡ぎ歌」Op. 67-4〉
(津田裕也)
リスト《ハンガリー狂詩曲第13番イ短調S. 244》
(奥村友美)
スクリャービン《幻想曲ロ短調Op. 28》
(川島基)
ショパン《バラード第3番変イ長調Op. 47》
《幻想即興曲嬰ハ短調Op. 66》
(菊池洋子)
ラフマニノフ《組曲第2番Op. 17》
(津田裕也/菊池洋子)
国内の若手演奏家の育成に大きな貢献を果たしてきたローム ミュージック ファンデーション。その創立は1991年というからすでに25年以上の実績をもつ。これまでに奨学援助や音楽セミナーの受講などで当財団の支援を受けた音楽家たちを集め、「ローム ミュージック フェスティバル2017」が開催された。3日間(1、2日のほか8日にも開催)の期間中に開催されたコンサートは、ソロ、室内楽、オーケストラ(京都市交響楽団。当財団の支援を受けた指揮者やソリストと共演)の公演など計7つ。コンサートの合間には、大阪音楽大学や京都堀川音楽高等学校で学ぶ若者たちによる無料のロビーコンサートも開かれ、会場やその周辺には若い音楽家や聴衆たちが溢れる華やいだ音楽祭となった。
このうち、筆者は2つのコンサートを聴いた。1つ目は、「次代の俊英たちによるロシアの調べ」。
前半はラフマニノフのチェロ・ソナタ。曲の冒頭から繰り出される宮田の音は、なんと切なく悲しいことだろう。いや、宮田自身は切なさを表現しようとしたわけではないかもしれない。けれども、憂いと影のある音がその理由(わけ)を想像させてしまうのだ。そればかりではない。宮田はあの若さにしてすでに非常に多くの音の語りを持っている。まるで一人芝居を演じるかのように。時には老境を迎えた人間の包容力を、時には若さ溢れる少年の艶やかさを、時には勇ましい青年の豪壮さを表現する。
そのモノローグを陰で支える田村のピアノも絶妙だった。後半の演奏でわかったことだが、田村は非常に叙情的な音楽をうちに秘めている。けれども、ここではそうした叙情性の発露を極力抑え、決して前に出ることがない。それでいて宮田の響きや音の語りを裏側から効果的に押し上げていく。これほど強力で頼もしい裏方もそうはいないだろう。
後半のショスタコーヴィチのトリオ。いずれも内外のコンクールでビッグ・タイトルを手につかんだ若き俊英たちだ。それぞれの個性が出ないはずがない。ただし、若さゆえの謙虚さであろうか、最初の楽章では互いを意識しつつ、音色や音量、アーティキュレーション、フレージング等をすり合わせ、さらに響きをバランスよく調整させながら堅実な演奏を繰り広げていった。続く第2楽章でも、後半こそ郷古や宮田の音の流れが熱を帯びたが、依然として平静さを保つ田村のピアノを前に、自らの世界に没入しかける二人に自制が働いていたようだった。けれども3楽章、4楽章と佳境を迎えるにつれ、それぞれの個性が顔を出さずにはいられない。甘く叙情性豊かな田村のピアノの走句の上を、甘さを廃した乾いた音で疾走する郷古の旋律。そのずれの絶妙さ。協調や調和だけではなく、むしろそうした個性のぶつかり合いがあるからこそ、ソロ奏者によって編成されたアンサンブルは面白いのだ。異なる音楽がぶつかり合う瞬間、偶発的に生まれる世界がある。さらにそれは、同じものは二度と聞けないというライブならではの世界でもある。
2つ目のコンサートは、若手4人による「ピアニストたちの祭典」。「若手」とはいえ、いずれもすでに演奏家、教育者としてのキャリアを持ち、自らの音楽を追求している面々だ。それだけに、それぞれの目指す音楽、その方向性の違いが浮き彫りになる興味深い演奏会となった。
自らの音楽のスタイルを追求するという上で特に好感が持てたのは、津田の演奏だ。彼の選曲はメンデルスゾーンの《無言歌集》より5曲。軽やかで親しみやすい小品ばかりだけに、派手な大曲が並べられると見劣りがするようにも思える。その上、津田の演奏は実に淡白で、 1曲ごとの作品の性格の違いを冷静に捉えて提示してくる。自身の演奏で生み出される作品との間にさえ一定の距離感があるが、いってみれば出来上がったカンバス全体を見直す画家と作品との関係に近いのかもしれない。実際、こちらはまるで5枚の小さなタブローを順に見ているかのようだった。
その他、高度なテクニックと豊かな表現力で、リストやショパンといったロマン派ピアノの醍醐味を聞かせてくれた奥村や菊池も頼もしかった。一方川島は、スクリャービンのこの大曲をまだ自らの音楽として掴みきれていないようであったが、作品の読み込みや構成に対する真摯な姿勢は強く感じられた。その点、むしろ今後の演奏を期待させるものであった。