リヒャルト・シュトラウス:歌劇《ばらの騎士》|藤堂清

二期会創立65周年・財団設立40周年記念公演シリーズ
《グラインドボーン音楽祭との提携公演》
東京二期会、愛知県芸術劇場、東京文化会館、iichiko総合文化センター
読売日本交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団 共同制作
リヒャルト・シュトラウス:歌劇《ばらの騎士》

2017年7月26日 東京文化会館 大ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 三枝近志/写真提供:東京二期会

<スタッフ>
指揮:セバスティアン・ヴァイグレ
演出:リチャード・ジョーンズ
装置:ポール・スタインバーグ
演出補・振付:サラ・フェイ
衣裳:ニッキー・ギリブランド
照明:ミミ・ジョーダン・シェリン
音楽アシスタント:森内 剛
合唱指揮:大島義彰
演出助手:エレイン・キッド
     家田 淳
     太田麻衣子
舞台監督:幸泉浩司
公演監督:多田羅迪夫

<キャスト>
元帥夫人:林 正子
オックス男爵:妻屋秀和
オクタヴィアン:小林由佳
ファーニナル:加賀清孝
ゾフィー:幸田浩子
マリアンネ:栄 千賀
ヴァルツァッキ:大野光彦
アンニーナ:石井 藍
警部:斉木健詞
元帥夫人家執事:吉田 連
公証人:畠山 茂
料理屋の主人:竹内公一
テノール歌手:菅野 敦
3人の孤児:大網かおり
      松本真代
      和田朝妃
帽子屋:藤井玲南
動物売り:芹澤佳通
ファーニナル家執事:大川信之
モハメッド:ランディ・ジャクソン(文学座)
レオポルト:光山恭平(文学座)
フロイト:若泉 亮
合唱:二期会合唱団
児童合唱:NHK東京児童合唱団
管弦楽:読売日本交響楽団

 

初来日の名演出家リチャード・ジョーンズの指導が徹底した舞台。
2014年グラインドボーン音楽祭で初演された演出の大道具・衣装・小道具を利用したものだが、歌手の歌うときの位置や向き、そして群衆の動きなどにジョーンズの鋭い目が感じられるものであった。

冒頭、後方のバスルームで元帥夫人(マルシャリン)がシャワーを浴びている。それを見ながら歌うオクタヴィアン、舞台下手のドアの陰ではモハメッドが中の様子をうかがっている。このようにマルシャリンをめぐる性的な関係をはっきりと見せながら幕が開く。セクシャリティはこの演出を通して大きな役割を果たす。その中で、モハメッドはケルビーノ(モーツァルト《フィガロの結婚》)に対応する役割を果たしている(少年が年上の女性に性的に憧れ、さまざまなアプローチを行う。)
また、第1幕の終盤、マルシャリンのモノローグでは、後ろにフロイト(プログラムに配役記載あり)が座り、彼女の話を聞いている。ジークムント・フロイトの精神分析を意識させる場面がその後も何度か出てくる。レオポルト(オックス男爵の庶子)も含め黙役がはっきりとした役割をもって舞台上に存在。
第2幕の舞台、「FANINAL」と大書された正面の壁(ブランドショップのように見える)の前には水が張られており、レオポルトが蹴り上げると、それを合図のようにレルヒェナウ家の家来がファーニナル家の女性を追いかけまわす。
この幕でのゾフィーの扱いは女性蔑視といえる。彼女を長いテーブルに上げ、降りようとすると阻止する。テーブルについた男たちはセリでもするように彼女を見ているが、それが成立した段階で、結婚契約書へのサインのために部屋を出ていく。
第3幕でオックス男爵へ圧力をかける人々の動きに、ジョーンズ得意の集団のさばきが見られた。前後に体をゆすったり、誇張した手の表情など、同じ動作を行列となって行う、照明の変化もあって印象的。幕切れでモハメッドが探しにもどるのはマルシャリンの脱ぎ捨てたショール、彼はその匂いをかぎ、大事そうに抱えて出ていく(オクタヴィアンの後任は彼という想定か)。
3幕ともに東京文化会館の舞台をかなり狭く壁で区切り、その中で動きをコントロールしている。しかし多くの人が入っても動線がぶつからないように考えられており、舞台上で同時に起こっていることもきちんと見える。また、大道具が反響版の役割を果たし、声を前方に飛ばす助けにもなっていた。

演出面をこまかく書いたが、提携公演と銘うっていても、演出家が来て現場の条件を見た上で指示を出すことは滅多にないこと。ましてやリチャード・ジョーンズのような大物が直接立ち会うことは、現地の再演でもまれなことだろう。結果はその効果が大きかったことを示していた。二期会としてもよい経験になったと思う。
演奏面も演出のこまかな動きにきっちりと対応していた。指揮者のセバスティアン・ヴァイグレが、ジョーンズの意図を反映し、動作と同期するような音楽をオーケストラから引き出した。読売日本交響楽団とは何度も共演しており、彼のボディーランゲージへの対応は的確であった。演奏の中では、ヴァイグレ自身の主張を抑えてジョーンズを立てたところも多かったのかもと感じるくらい演出と合致した音楽となっていた。
歌手はほとんどの人が初めて歌う役であったと思われる。中では、全幕に登場するオックス男爵の妻屋とオクタヴィアンの小林が、安定感のある歌唱、言葉さばきを示した。妻屋は、オックス男爵の下品さ、正直さ、華麗さといった側面を浮き上がらせていたし、小林は、幕ごとに変化するオクタヴィアンの気持ちを歌い出した。他の役もそれぞれに十全に役割を果たしていた。

今回の公演、東京の後、愛知、大分で10、11月に行われる予定である。このように複数の劇場が共同制作する形態、次第に数が増えてきている。個別に制作する場合と較べればそれぞれの負担は軽減されるだろうし、歌手にとっても歌う機会が多くなることは歓迎だろう。聴衆の側からみても、上演の習熟度が上がることが期待でき、望ましい。大いにすすめていっていただきたい。