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ネルソン・フレイレ ピアノ・リサイタル|藤原聡

ネルソン・フレイレ ピアノ・リサイタル 

2017年7月4日 すみだトリフォニーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi) 

<曲目>
J.S.バッハ:
 前奏曲 ト短調 BWV535(ジロティ編)
 コラール『主イエス・キリストよ、われ汝に呼ばわる』BWV639(ブゾーニ編)
 コラール『来たれ、創り主にして聖霊なる神よ』(ブゾーニ編)
 コラール『主よ、人の望みの喜びよ』BWV147(ヘス編)
シューマン:幻想曲 ハ長調 作品17
ヴィラ=ロボス:
  『ブラジル風のバッハ』第4番~前奏曲
  『赤ちゃんの一族』より
 
  色白の娘(陶器の人形)
 
  小麦色の娘(張りぼての人形)
 
  貧乏な娘(ぼろ切れの人形)
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58
(アンコール)
グルック(ズガンバーティ編):『精霊の踊り』
グリーグ:抒情組曲集 第8集 作品65~『トロルドハウゲンの婚礼の日』
ブラームス:6つの小品 作品118-2 間奏曲
ヴィラ=ロボス:子供の謝肉祭~第1番『小さなピエロの子馬』 

 

12年ぶりの来日リサイタルだというネルソン・フレイレ。1944年生まれだから当年73歳、その技巧にはいささかの衰えもない。柔らかくて深みのある低音、渋い輝きを放つ高音、ムラのない見事なレガート奏法による滑らかな歌、音彩のクリアな透明さ(絶妙なペダリング!)…。あの脱力があるからこそ、その力が最高に効率の良い形で指先に集中され、最小限の腕の動きであの豊かな音が導き出されるのだろう。全く最高の巨匠のワザ、としか言いようがない。 

但し、個々の作品の出来栄えについてはまた別の印象が生じるのは当然で、最初のバッハは、その音の美しさは申し分なくもいささか平坦で音響の立体性に欠けたが、次のシューマンはアンコールのブラームスと並んで個人的に当夜最高の演奏。いかにもラテン的な感性によって照射されたシューマンと言えるが、そういうアプローチもこの作曲家の作品には合う。テンポは速めで、響きは軽いと言うのではないが重々しさのないクリアさに富んで見通しに優れ、例えば第2楽章での錯綜する声部の重なり具合なども手に取るように聴き取れる。中でも内的なテンションがじわじわと高揚していく第3楽章が白眉。全体に軽やかな中にも細部のニュアンスに富み、それが物足りなくない最大の要因となっていると思われる。これは本当に見事な演奏であった。 

休憩後にはフレイレにとってのお国もの、ヴィラ=ロボス作品。どれもチャーミングな佳曲だが、シンプルな楽曲を単に「シンプル」とだけ思わせないような内容に富んだ弾きぶりを聴かせ、それはリズムの繊細さとタッチの濃淡による曲想の弾き分けの妙にあると思う。であるから、他のピアニストが弾くと、恐らくは「気の利いた小品」程度の印象に収まりかねないこれらの曲が、その外形とは裏腹に非常な含みを持った名曲として現前するのだろう。これらの作品、子供向きの体裁を取った大人のための曲、という意味ではシューマンの『子供の情景』やドビュッシーの『子供の領分』と同じだ。このヴィラ=ロボス作品はドビュッシーの影響を色濃く受けている、と伊熊よし子氏の解説にあるが、その流れで言うならば当夜のフレイレのヴィラ=ロボス演奏は、明らかにサンソン・フランソワのドビュッシー演奏に、あるいはシューマンで言うならばホロヴィッツの演奏に比類するような「上手さ」を持ったものと聴こえた。まさに名奏。 

本プログラム最後はショパンの『ソナタ第3番』。これもまた良いのだが、ここではフレイレお得意の流麗なレガートが、楽曲を先に先に、とややせわしなく駆り立てて行く印象なしとしない。第1楽章の第2主題、または第3楽章などはもっと立ち止まって歌って欲しいという思いが度々頭をもたげる(思えば近年のDECCA録音においてもたまにそのような印象があり、ショパンのノクターンなどがその最たる例)。しかしスケルツォやあの華麗な終楽章の演奏はこの上なく見事であり、後者ではさらなる豪胆な音響を聴きたいと思いながらもその滋味溢れるベテランのワザで納得させられる他なし。 

アンコールは4曲、中でもブラームスが最高。対位法が駆使されたこの曲はただのロマンティックな小品ではないのだが、この時の演奏は、有体な表現ながら「知・情・意」のバランスが完璧だ。これほどの当曲演奏を実演で聴いたことがない。これは本当に素晴らしかった。フレイレのブラームスと言えばこの3日後に飯守泰次郎&読響と『協奏曲第2番』を弾いたのだが、行けずに残念至極。尚、フレイレは2018年8月にすみだトリフォニーホールに再登場してリサイタルを行うことが既に決まっているが、これも必ず行かねばなるまい。最高のピアノ演奏芸術に再び出会えるのだから。