赤松林太郎 ピアノコンサート 2017 夏|大田美佐子

赤松林太郎 ピアノコンサート 2017 夏

2017年7月29日 サロン・ドゥ・アヴェンヌ
Reviewed by 大田美佐子(Misako Ohta)
写真提供:サロン・ドゥ・アヴェンヌ

<曲目>
田中カレン:『地球』より「海」
モーツァルト:ピアノソナタ 変ロ長調 KV 570
シューマン:子供の情景 Op.15
 「見知らぬ国」「不思議なお話」「鬼ごっこ」「ねだる子供」「満足」
 「重大な出来事」「トロイメライ」「炉端で」「木馬の騎士」
 「むきになって」「こわがらせ」「眠っている子供」「詩人のお話」

〜休憩

プロコフィエフ:『三つのオレンジへの恋』より「行進曲」
スクリャービン:『炎に向かって』Op.72
ドビュッシー:『喜びの島』

アンコール ピアソラ/山本京子編曲:『リベルタンゴ』

 

ピアノはつねに「サロン」文化の花形であった。録音メディアからライブ回帰が叫ばれる昨今、顔の見える近さで、演奏に触れ、観客の反応が敏感に演奏者に伝わるサロンの人気は根強い。関西圏でもクラシック音楽のライブハウスは人気で、12周年を迎えた大阪堂島のサロン・ドゥ・アヴェンヌでは、赤松林太郎のコンサートが開催された。

赤松といえば、パリ、ハンガリーで研鑽を積み、国際コンクールで幾度も入賞し、海外でのコンサート活動のみならず、リリースされたCDは音楽雑誌で推薦盤に選ばれ、ピティナの動画やレクチャーを通して、日本のピアニスト育成に力を尽くしていることでも名を知られている。昨秋には『虹のように』(道和書院)というエッセイも出版された。けれども、あえて私自身は赤松のピアノの音に出会うのは録音や言葉でなく、「ライブ」であることに拘っていた。

自身の面白いエピソードを織り交ぜつつ、軽妙なトークで始まったサロンならではのコンサート。一曲目は田中カレンの『地球』から「海」。最初の曲目から、スケールの大きな赤松ワールドに唸ってしまった。美しい旋律線を高らかに歌い上げるのでなく、波間を表現する左手のリズムのゆらぎのなかでおおらかに紡がれていく歌。その大きな波の呼吸が、聴者を一気に「海」と一体の世界に引込んだ。
前半は他に、モーツァルトとシューマン。モーツァルトの疾走する軽やかさと遊び、シューマンの歌で紡がれる繊細な味わい。ベーゼンドルファーの特徴が存分に活かされたあたたかみのある繊細な音の世界である。テンポや軽やかさ、ダイナミクスといった部分で、それぞれの時代や作家性を丹念に読み込みつつ、次から次へと出てくる宝石箱の楽しさは、まさにサロンコンサートの醍醐味だと感じた。

後半はプロコフィエフ、スクリャービン、ドビュッシー。
世界を旅してきた赤松のピアニズムは、高度な技術に裏打ちされたその深みのある「語り」が特徴的だ。微妙なアクセントの移動が絶妙なうねりを生み出し、楽曲に見出されるはっきりとしたイメージの輪郭は、その作品の出自と結びついて、翻訳や意訳ではなく現地の言葉を聴いている安心感を聴者に与える。プロコフィエフの音楽に仕組まれた知的で諧謔的なマーチ、スクリャービンの『炎に向かって』の圧倒的な熱量、そしてドビュッシーの描く桃源郷『喜びの島』。それぞれの音楽の語り方が、赤松が体得してきたイマジネーションの豊かさを証明していた。

アンコールは、ピアソラの『リベルタンゴ』(山本京子編曲)。およそその楽器がピアノであることを忘れてしまうような、熱く滾るようなリズムと叙情性で、ピアノとアコーデオンの境界の世界を浮遊しているような感覚に陥った。

コンサートの後、赤松のエッセイを初めて開いた。そこに描かれていたのは華々しいピアニストの日常ではない。恩師から伝えられた伝統と、アーティストが自己、自分の音楽を発見する過程が、言葉と感性の交感のなかで鋭い視点で綴られている。コンサートでの一期一会の音楽との出会いが想起され、彼の言葉によって深く追体験した。

ピアノを聴く喜びとは、アーティストが積み重ね、体感してきた深淵を、聴者が音楽を通して共有することかもしれない。世界を舞台に活躍するアーティストとして、赤松林太郎はこれからどのような世界を私たちに見せてくれるのだろう。その展開を味わう楽しみと同時に、見守り、伝えていく責任も私たちにはあるように思う。