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Books | バッハ・古楽・チェロ:アンナー・ビルスマは語る | 大河内文恵

バッハ・古楽・チェロ:アンナー・ビルスマは語る

アンナー・ビルスマ+渡邊順生 著
加藤拓未 編・訳
アルテスパブリッシング
2016年10月出版
3800円(税別)

text by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)

古今東西、作曲家や演奏家の言説を収録した書籍は数多ある。先ごろ翻訳改訂版が出版されたクヴァンツの『フルート奏法』や新訳版が出たレオポルト・モーツァルトの『ヴァイオリン奏法』といった18世紀のものを始めとして最近のものまで、数えあげたらきりがない。本書はバロック・チェロ奏者として名高いアンナー・ビルスマに、彼と親交の深いチェンバロ、フォルテピアノ、クラヴィコード奏者の渡邊順生がインタヴューをし、そこに同席した加藤拓未が翻訳と編集を担当するという形をとっている。ビルスマのインタヴュー本を翻訳したのではなく、最初から日本語で出版することを前提とした企画だという点に、本書の斬新さと創意が感じられる。特に編集を担当した加藤の苦労は相当のものだったのではないかと察せられる。

こういったものを読むとき、ある程度古いものを読む場合には特に、そこに書いてあることが「どれだけ正しいのか」ということを計算しながら読む必要がある。たとえば、こういう場合にはこう演奏しなさいと書いてあったら、「当時はこう演奏していたのか」と納得するか、「当時の人はこうはやっていなかったから、わざわざこう書いているんだな」と深読みするかによって、解釈は180度変わってしまう。

同時代のものであれば、「こう演奏している」のか「していない」のかは、たいていわかるし、逆説的に言っているにしても察しがつくものだが、これが100年たったら、おそらく誰にもわからない。その観点からすると、ビルスマの言葉に多くの注釈が付され、巻末に置かれた渡邊による「ビルスマの思い出と彼の芸術」と題する最終章において、さらに詳しく補完がなされていることは、後世の人々にとって非常に有用であろう。

第1部の終わりのほうの「私の病気について」の項目で、ビルスマは自分の病状と発症したときの様子を淡々と語っているが、「あっさりと運命を受け入れたような印象をもって読まれる方も多いかもしれないが、じっさいはそんなに生易しいものではなかった」と渡邊が最終章で証言しているのが最も印象的であった。

筆者は残念なことにビルスマの生演奏を聴く機会を持つことができなかったが、それができたらどんなに心躍る経験ができたことだろうと、ビルスマの言葉1つ1つを読むたびに思われてならなかった。彼の言説の心惹かれたところに付箋を貼っていったら、本が付箋だらけになってしまったほどである。

それらを大きく分けると、1)ビルスマの音楽歴と「古楽」演奏創成期事情およびその歴史に関するもの、2)演奏者とはいかにあるべきか、3)楽器に関するもの、4)演奏する際に大切なこと、5)具体的な演奏上の留意事項、6)ビルスマの作曲家観となる。

ビルスマはトロンボーン奏者を父親にもち、家族でアンサンブルをするという環境に育った。元々はモダン・チェロの奏者であるが、バロック音楽を家族でアンサンブルした経験が彼の原点となっているという。また、師匠であるボームカンプからの影響も大きかったと語っている。古楽の復興が盛んになったと一般に考えられている時期よりもずっと前にあたる、1947年にボームカンプが『古い音楽の雰囲気』と題する本を出版しているというのは、筆者には驚きであった。

作曲家観や具体的な楽曲の演奏上のアドバイスなどは、頷けるものもあれば、首を傾げたくなるものも正直ある。しかし、演奏者としてのビルスマの信念に関する部分には、非常に共感した。「楽譜に書かれたとおりに弾くことが大切なのではなくて、作曲家の頭に鳴り響いていた音を、楽器による演奏をとおして再現し、聴衆に届けることが重要」という部分である。これは、楽曲をその当時演奏されていた楽器で、その当時の演奏習慣に則って演奏するという古楽の考えかたと一見矛盾するかもしれない。しかし、彼のいうように演奏すれば、おそらく古楽の考え方と結果的に一致するのだ。

「良い演奏家とは?」とビルスマが語っていることは、古楽であるかそうでないかということにかかわらず、また時代の演奏様式(流行?)にかかわらず、広く演奏家が心にとめておくべきことで、さらにいえば音楽を聴く人も知っておいたほうがよいことである。それは、個々の曲をどう弾くか?という部分(無伴奏チェロ組曲については第3部まるごと割いて詳説している)よりも、汎用性が高いものだからだ。

汎用性と個別性とを併せもっていることが、この本の魅力の1つであることは間違いない。だからこそ、個々の部分では正確を期して欲しい。1つだけ挙げるとすれば、冒頭のシモン・ゴルトベルクの項である。彼のヴァイオリンはスミソニアン博物館に寄贈され、手に取って演奏することは許可されないとビルスマは語っているが、現在、ゴルトベルクのヴァイオリンはアメリカ議会図書館の所蔵になっていることが議会図書館のサイトで公表されており、その楽器はニコラス・キッチンというヴァイオリン奏者に貸与されている。ビルスマの認識が古かったのはしかたないが、注釈でこれにふれて欲しかった。そうすることが、この本が何十年、何百年先にも有用なものとして引き継がれていくことに繋がるのだから。