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Back Stage|草津音楽祭が育てた音楽|林 美樹

草津音楽祭が育てた音楽

text by 林 美樹(Miki Hayashi)
photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

20世紀を代表する名テノール、エルンスト・ヘフリガーが亡くなって10年経った。1919年スイスに生れ、チューリヒの芸術学校と神学校で学んだ彼は、早くからソリストとして活躍し、特にバッハの『受難曲』の福音史家として頭角を現した。ベルリン・ドイツ・オペラを拠点として、欧州のみならず米国も含む主要な劇場でオペラに出演し、特にモーツァルトを得意とした。その活躍の一方で、後進の指導にも熱心で、各地でマスタークラスを持った。日本でも、1980年から草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルの講師として、毎年参加し、沢山の生徒を育てた。多くの弟子が、ソリストとして、又、指導者として、さまざまな舞台で活躍している。

今年3月、天羽明恵、日野妙果、岩見真佐子、太田直樹、望月哲也らが、師の偉業を称えようと、演奏会を企画した。売れっ子の彼らゆえ、スケジュール調整は容易ではなかったが、それでも、駐日本スイス大使館、三軒茶屋サロン・テッセラと、草津温泉のお膝元である群馬県、上毛新聞社ホールの3公演が実現した。スイス大使館公演には、高円宮久子さまのご臨席を仰ぎ、また来日中だったスイスの国会議員や、ヘフリガー氏の息子であり現在はルツェルン音楽祭の芸術総監督を務めるミヒャエル・ヘフリガー氏も来席した。前半は、出演者それぞれが師に指導を仰いだドイツ・リートや、師と共に学んだ日本の歌曲を披露。後半は、モーツァルトのオペラ『魔笛』から有名なアリアを、5人のソリストで次々に繰り広げ、お客様を大喜びさせた。最後に、師との思い出を語った太田のドイツ語の正確さに、厳しく行き届いた指導の一端が現れた。終演後のレセプションでは、ミヒャエル氏が感極まって、乾杯の挨拶に声を詰まらせる一幕もあった。公演のホスト、パロ駐日スイス特命全権大使が、期待を大幅に上回るレベルの高さに舌を巻いていた。音楽だけでなく、特に、日本を愛したヘフリガー氏の思いが、しみじみと伝わる一夜となった。

この公演を聴いた、草津の音楽祭の事務局長 井阪紘は、ヘフリガー氏追悼プログラムを今年の音楽祭に含めることを即決。スケジュールの関係で、同メンバー同プログラムとはいかないが、それでも、8月24日夜19時半開演のコンサートで、大好評だったモーツァルト『魔笛』のダイジェスト版を再演する。

G・ベルタニョッリ/マスタークラス

ヘフリガー氏が育てた声楽のクラスは近年、イタリアで活躍するソプラノ歌手ジェンマ・ベルタニョッリが担当している。彼女は、ヘフリガー氏、そして、ヒルデガルド・ベーレンス女史の後継として、草津の音楽祭で声楽クラスを担当できることを大変名誉に思っている。そして、彼女が草津で出会った生徒の中から既に、優秀な生徒がイタリアへ留学し、夢の舞台へ歩みを進めている。

声楽に限らず、弦楽器、管楽器ともに、草津での師との出会いが、将来への大きな一歩の入り口になったケースは、枚挙にいとまがない。ヴァイオリンの庄司紗矢香は、サシコ・ガブリロフと小学生時代に出会った。オーボエの茂木大輔は、その著書の中で、師パッシンとの草津での出会いについて「人生を変えた」と感慨深く紹介している。茂木とはNHK交響楽団の同僚である藤森亮一も元受講生。今年は、8月29日に、ウィーンフィル首席チェロのタマーシュ・ヴァルガ氏と、チェロカルテットで共演し、久々に、草津の舞台に登場する。

P.フランチェスキーニ/マスタークラス

この音楽祭は、《アカデミー&フェスティヴァル》という長い名前がついている。師と学ぶマスタークラスがあり、そして、講師を中心とする一連の演奏会、フェスティヴァルがある。受講生たちは、第一線で活躍する芸術家である師が、本番に備えて、何を準備し、時にどうリラックスするのか、実技のレッスンだけでなく、プロフェッショナルの生活をすべて観察できる。また、多くの卒業生が、講師と共演し、舞台に登場することは、「いつか、私も舞台に!」との夢を具体的に見せるお手本でもある。逆に、卒業生にとっては、学生時代の自分に戻る原点回帰、里帰りのような感覚がある。指導者となった者は、自分の弟子に受講を勧め、ときにはそのレッスンを見学し、普段の指導が、師の教えからずれていないか確認する。マスタークラスで、弟子のレッスンを聴講することは、自分自身の受講以上の緊張感があるそうだ。
こうして、草津の教えは、日本中の様々なオーケストラ、音楽学校へ、伝播した。そして、「草津に行った」は、まるで合言葉となった。世代は違っても、夏の2週間をあの場所で過ごすことは、音楽に対する価値観の共有となる。演奏家だけでなく、裏方もしかり。

もうすぐ、草津の夏。お客様には、毎夕の演奏会と日本一の温泉だけでも十分お楽しみいただける。さらに、午前中のマスタークラスを聴講すれば、未来の芸術家が、羽ばたこうとしている姿を見つけられるかもしれない。
もう「草津に行った」?

林 美樹(草津アカデミー事務局)
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公演情報
8/17〜30@草津音楽の森国際コンサートホール
http://kusa2.jp

コンサート/ヒンクvn+ヒンタ―フーバーpf
+カテジナ・ヤヴ―ルコヴァhrn