アルディッティ弦楽四重奏団|齋藤俊夫

プラチナ・シリーズ:アルディッティ弦楽四重奏団

2017年6月24日 東京文化会館小ホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
アルディッティ弦楽四重奏団
  第1ヴァイオリン:アーヴィン・アルディッティ
  第2ヴァイオリン:アショット・サルキシャン
  ヴィオラ:ラルフ・エーラース
  チェロ:ルーカス・フェルス

<曲目>
モーリス・ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調(1904/1910)
細川俊夫:『沈黙の花』(1998)
バルトーク・ベラ:弦楽四重奏曲第6番(1939)
西村朗:弦楽四重奏曲第6番『朱雀』(2017/世界初演)

 

まず最初のラヴェルの弦楽四重奏曲を聴いて驚かされた。なんと細い音で編んだ音楽か、と。アルディッティの音の細さ、鋭さは筆者も既知のものと思っていたが、聴き慣れたラヴェル作品でかくも繊細な、触れなば壊れんガラス細工のような音楽を聴かされるとは。本作品は確かに線の太い音楽ではないが、しかしアルディッティの線の細さはまさに蜘蛛の糸のごとし。特に第2楽章の中間部のレントは思わず涙しそうになるほどの儚さ、切なさであった。だが第4楽章(Vif et agite:活発に、激しく)では現代音楽のスペシャリスト然とした激しい音楽を奏で、一筋縄ではいかない所を見せつけてくれた。

細川俊夫作品、弓奏とピチカートによるきしんだ音による(特殊奏法ではなかったようだが、通常の弦楽器の音ではなく、初めて楽器を弾いた人が失敗して出してしまうような音)延々と苦悶するような激しい楽想が現れては消えていく。聴こえる弱音限界のロングトーンからクレシェンドとディミヌエンドの波が生まれて、また消えていく。終盤で第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、その後チェロと第2ヴァイオリンが能の仕舞のような激情を見せるが、やはりこれも静寂に消えていく。最高音、最弱音のハーモニクスが消えゆき昇華されて終曲。
聴こえる音と、聴こえない静寂、沈黙を等しく聴くという、稀有な、しかし細川の音楽ならではの音楽体験をさせてもらった。

バルトークの『弦楽四重奏曲第6番』、メスト(悲しげに、の意)主題で各楽章が始まり、同時代のシェーンベルクらの表現主義と共鳴するかのような、無調に近い和声による沈鬱で、不気味で、そして狂気のこもった音楽である。アルディッティのアプローチは他声部書法のポリフォニックな線の絡まり合いを聴かせるのではなく、音が合わさったときの濁った不協和な響きを聴く者の耳に矢のように射し込んでくるもの。実に不穏である。第3楽章ではアイロニカルな響きと民俗的な響きが合わさり、陽気なのにどうしても怖くてたまらない音楽を聴かされた。第4楽章は悲しみを直截的に表現した音楽であったが、ここでアルディッティの音の線の細さが生きてくる。第1ヴァイオリンの主旋律が実に悲しい。消えてしまいそうな音、を、死んでしまいそうな音と言い換えたくなるような音楽なのである。
ヴィオラによるメスト主題の再現で終わるが、2017年の現代とバルトークの作曲年1939年が重なって映し出されるような音楽として聴こえた。

そして最後の西村朗委嘱初演作は、第1楽章は本演奏会最初のラヴェルの線の細い音楽とは全く異次元の、激しく、熱い音楽。書法が複雑すぎ、また楽想の転換が速すぎて何が起こっているのか、何を聴いているのか判明しない。だがぶつかってくる音の津波に身を委ねるのもまた一興。ジャズっぽく跳ね回る所や、西村の十八番のヘテロフォニーもある書法の満漢全席ぶりは圧巻の一言。朱雀が空を飛んでいるというよりは、ゴジラのような怪獣が地を転げ回っているかのような音楽であった。
第2楽章は一転して弱音のトレモロから始まるも、すぐに西村らしいグリッサンドで4人がひたすら絡み合い、うねり合い、それが超高速になったとおもったら全休止。チェロのソロが始まるがまた4人でねっとりねっとりと絡み合う。高音域に上昇していったかと思うと弱音になり、ジャズのようなリズミックな楽想が現れるがまた西村グリッサンドで収束していき、最後は謎めいた静けさの中ヴィオラが歌い、ヴァイオリン2人の最高音のハーモニクスで消えゆく。朱雀は天界へと上昇していったのであろうか。西村朗、アルディッティ弦楽四重奏団ここにありといった貫禄の演奏であった。