ウィーン便り|亡命音楽家の展示会|佐野旭司
亡命音楽家の展示会
text & photos by 佐野旭司(Akitsugu Sano)
ウィーンではナチス・ドイツのオーストリア併合のために、亡命を余儀なくされた音楽家が大勢いる。そして彼らの中には今日名前が知られていない人も少なくない。そんな音楽家について研究し、その価値の再発見を試みているのがウィーン音楽演劇大学(ウィーン国立音楽大学)にある亡命音楽研究センターexil.arte Zentrumである。
ウィーン音楽演劇大学は今年で創立200年になり、その記念のイベントの一環としてこのセンターでは5月下旬から亡命音楽家を紹介する展示会を開催している。この展示会は少なくとも今年いっぱいは続く予定だそうだ。
5月22日にはそのオープニングイベントとして、亡命した音楽家の作品の演奏会と展示室の案内および懇親会が行われた。演奏会はセンターではなく大学内のホールで行われたが、披露されたのはいずれも今日忘れられた作曲家の曲ばかりである。アメリカに渡りメトロポリタン歌劇場で活動し、さらにインディアナ大学で作曲賞を受賞したユリウス・ビュルガー、ニュージーランドに渡ったのちオーストリアに戻りウィーン国立歌劇場の指揮者となったゲオルグ・ティントナー、ニューヨークでピアノ教師および作曲家として活動し190もの作品を残したヴァリー・ヴァイグル、アメリカに移住したのちロサンゼルスタイムズの批評家として活躍し今年で97歳になるワルター・アーレン。作曲家ごとに作風は様々で、その意味でも中身の濃い演奏会だった。20世紀のウィーンの作曲家といえば新ウィーン楽派の3人やツェムリンスキーなどが特に有名だが、ここで取り上げられた作品はいずれも彼らとは一味違った響きがして興味深かった。しかもその作品の一部は展示室でも聴くことができる。
演奏会が終わると亡命音楽センターの展示室に案内された。そこに入るとまず目にするのがエゴン・ヴェレスが使用していたピアノである。エゴン・ヴェレスは20世紀に活動した音楽学者で、シェーンベルクのもとで作曲も学んでいる。オーストリアが1938年3月にナチス・ドイツに併合された際ヴェレスはアムステルダムにおり、その後ウィーンに戻ることはなかった。そんな彼が所有していたベーゼンドルファーのピアノが展示室の入り口に置かれており、22日にはなんとこのピアノでヴェレスのピアノ曲が演奏され、参加者はそれを聴きながら展示を見て回るという贅沢な時間を過ごすことができた。
展示室では20世紀のウィーンゆかりの音楽家に関する多くの情報に触れることができる。一口に音楽家と言っても作曲家、演奏家、指揮者、音楽学者、教師など多岐にわたり、もちろんそれらを兼業していた人も少なくない。この部屋ではその一人一人の音楽家について英語とドイツ語で解説が書かれており、しかもそこに掲載されている彼らの写真からはその人物像が見えてくるようだ。また人によっては大学の学籍簿が公開されていたり、自筆の楽譜(主に和声や対位法などの課題)までもが展示されていたりと、当時の音楽家たちの存在が身近に感じ取れる。他にも演奏会のプログラムや当時の音楽学者の著書など、展示物はきわめて多岐にわたるが、なかでもコルンゴルトが着ていたフロックコートや彼の愛用の筆記用具などが私には特に印象的だった。
さらにこの展示室には録音資料も豊富にある。その大半は当時の作曲家の作品であるが、マーラーやシェーンベルク、ツェムリンスキー、コルンゴルトといった有名な作曲家だけでなく、一般的にはあまり知られていない同時代の作曲家の作品も多い。それらの中には前述の演奏会で披露された曲も一部含まれており、今まで知られてこなかった20世紀ウィーンの音楽像を耳で体感できる。さらに音楽だけでなく、作曲家による講義やインタビューなど、おそらくこのセンターにしかない貴重な歴史的価値のある録音が自由に聴ける。近現代の音楽に少しでも興味があるなら、これらは必聴である。
そして展示物は室内にとどまらない。展示室の廊下にはこれらの音楽家の作品を収録したCDや彼らについて書かれた本などが並んでいる。そしてそれらの間にはスクリーンが設置され、当時の音楽家について映像を通して知ることもできる。私は時間の都合でゆっくり鑑賞できなかったが、おそらく内容は遺族のインタビューを交えて音楽家について紹介したものだろう。
22日のオープニングイベントには大勢の人が訪れ大盛況のうちに終わったが、それに先立ち5月18日には亡命音楽センターによる会見がホテルで行われた。ここでは、ユリウス・ビュルガーと晩年に親交があった彼の権利者がビュルガーの遺品をセンターに寄贈することが発表された。このセンターの展示室ではそれらが(全てかどうか分からないが)公開されている。彼のアメリカへの帰化の証明書や、友人からプレゼントされた革製のケース(おそらく煙草かペンの)もあれば、彼の母親と兄弟の強制収容所抑留を示す書類などもある。
「第三帝国」の時代にはウィーンでも多くの音楽家の人生が左右され、その後歩んだ道は様々である。この亡命音楽センターは彼らの生涯の軌跡に触れることのできる貴重な場である。
このセンターはコンツェルトハウスのそばにあり、大学内の施設ではあるが展示室には誰でも無料で入ることができる。所在地や開室時間をなどの情報はホームページ http://www.exilarte.at/exhibitions.html に詳しく書かれている。ウィーンに住んでいる、もしくは旅行する予定がある人で近現代の音楽に少しでも興味があるならば、是非ともこの展示を見ることをお勧めする。
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佐野旭司 (Akitsugu Sano)
東京都出身。青山学院大学文学部卒業、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程および博士後期課程修了。博士(音楽学)。マーラー、シェーンベルクを中心に世紀転換期ウィーンの音楽の研究を行う。
東京藝術大学音楽学部教育研究助手、同非常勤講師を務め、現在東京藝術大学専門研究員およびオーストリア政府奨学生としてウィーンに留学中。