パリ・東京雑感|文人大統領マクロンの即位~政治ロマン復興|松浦茂長   

文人大統領マクロンの即位~政治ロマン復興

text by松浦茂長( Shigenaga Matsuura
photos by Présidence de la République française

去年の夏、テレビで不思議な光景を見た。若者たちがアパルトマンを一軒一軒訪ねて、新しい政治運動について説明する。マクロンが作った<前へ!>とでも訳すほかない運動体だ。およそ活動家タイプとは正反対の生真面目で内向的な感じの青年が多いので、「いったい何に惹かれてこんなドンキホーテみたいな真似を始めたのだろう?」と好奇心をそそられた。
そのうち、マクロンは経済大臣をやめてしまった。彼のおかげで日曜日もデパートが開くようになったし、僕は大いに期待していたのに、本人は改革のなかばで社会党政権に見切りをつけ、大統領選に打って出るつもりらしい。正真正銘のドンキホーテ。選挙まで1年もないのに、ゼロから自分の党を作って勝とうなんて、正気の沙汰ではない。政治のプロもジャーナリストも嘲笑ったものだ。
<前へ!>に参加したアラン・ランドンさん(47歳)の手記が『ルモンド』紙に載っていた。アランさんは人口900人の村の助役。政治には無縁だったが、マクロンが、これまでと違う政治をしようというのに惹かれ、1年前、運動に加わった。当時はマクロンが大統領選に出るのかどうか分からなかったし、勝利するとは思ってもいなかった。仕事が終わると、街に出て戸別訪問。「私は<前へ!>のシンパです。ちょっと時間をいただけますか。」と切り出しても、たいていは「うんざりだよ」とか「政治なんて、みんな腐ってる」とはねつけられた。アランさんはフランス人がこれほどの政治不信、いや政治に対する憎悪を抱いているとは想像もしなかったそうだ。
なんとか対話にこぎつけると、ペシミズムの壁に突き当たる。「フランスでうまく行っているものは?」と聞くと「何もない」という答えが多い。具体的な例を挙げて話しあううちに「そうだなあ、自由。それから学校教育がタダ。」といった具合に少しずつフランスの良さに気づく。そしていったんペシミズムの壁を破ると、相手の心に、変えることは可能だという希望、変えたいという願いが生まれたという。

社会は時に「絶対変わらない」という頑固な諦めの淵に沈み込んでしまうものだ。ポーランド、チェコなど東欧の国々が次々民主化に成功したころ、ルーマニアに行くチャンスがあり、会う人ごとに聞いてみたが、驚いたことに一人残らず「世界中が民主化してもルーマニアは独裁が続く」と絶対的確信をもって断定した。チャウシェスクが倒れたのはそれから半年後。独裁者支援集会の混乱が、絶望に凍り付いた人々の心を溶いたのだ。
1989年のルーマニア人の恐怖と2017年のフランス人の政治不信とでは状況の深刻さが違うが、希望を拒否するかたくなさにはまり込んでしまったところはそっくりだ。マクロンは、手ごわいペシミズムの壁を破る才能をどこで手に入れたのだろう。

1999年、哲学者ポール・リクールが政治学院のフランソワ・ドス教授に自著の注の確認作業などのために学生を紹介してほしいと頼み、ドス教授は「ひらめきがあり、にこやかで、情に厚く、感性と知性に優れ、もったいぶらない」若者としてマクロンを推薦した。ヘーゲルとマルクスを研究していたマクロン青年(22歳)は現象学の権威リクールの著作を1冊も読んでいなかったので、なんの感激もなく老学者(86歳)の家を訪ねたと回想している。ところが、ドス教授に言わせると2人はたちまち「スピリチュアルな親子」のような親密な間柄になる。
マクロンがリクールに提出したノートは大胆不敵だ。「クロノソフィーの定義をもっと正確にすること」、「ここでポール・ヴァイエンヌを引用しては?」、「書き直し。最初から仮説を立てていることを明確に」といった調子で注文をつけ、どちらが先生だか分からない。
この仕事が完成したときマクロンはリクールにあてて大変詩的な手紙を書いている。「私は偉大な交響曲を聴き、魅了されてホールから出る子供。自分のピアノを酷使していくつかの音符を音にしようと格闘する子供のようです。」

マクロンは「私を政治に駆り立てたのはリクールだ。彼自身が政治に乗り出さなかったから」と回想している。老哲学者の心の底には、1968年の5月危機のとき、学生の荒々しさに威圧され、大学の責任者として言うべきことを言わなかった自責の念があり、社会が危機に立った時、行くべき道を思索だけでなく、行動によって示すのが哲学者の義務だと教えたのである。
マクロンはリクールから何を受け継いだのだろう。彼は師の並外れた他者理解の能力に驚嘆し「リクールはしばしば“すべての本が私の前に開かれている。あらゆる考え、あらゆる視点が”と言っていた」と書いている。マクロンは、この<他者への開き>を受け継ぎ、逆方向の流れを一つの運動にまとめあげ、対立・矛盾する見解を一つの計画にまとめることを第一の課題にした。左か右かレッテルを張れないマクロンの分かりにくさはこのためであり、サルコージに「政治的両性具有」とからかわれたのも無理はない。
しかしイスラムのアイデンティティを誇示したがる移民の2代目、3代目と、古き良きカトリック文化を懐かしむフランス人たちとの険悪な関係、そして<右>と<左>の砦に立てこもったまま身動きできない既成政党といった状況を突破するには型破りの発想が必要ではないか。マクロンに言わせると「たとえ矛盾・対立する要請であっても、社会を機能させるためにそれらを和解させ両立させることが不可欠なのであれば」それらの多様な要素を、「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」と<同時に>(この語はマクロンの標語)取り組まなければならないのだ。

左右中道共存、半数を民間から、男女同数の内閣

マクロン自身は社会党出身だが、大臣の顔ぶれを見ると、首相と経済相には共和党、法相には中道政党の大物を入れ、異質の要素の対決ではなく共存を目指す、<同時に>型内閣になっている。

フランス人は金もうけを軽蔑するから、マクロンが投資銀行に勤めた3年半に莫大な利益を上げ、<金融のモーツァルト>とあだ名された経歴は、ライバル候補にとって格好の攻撃材料になり、選挙期間中、文人マクロンの経歴はかすんでしまった。しかし、大統領になると文学・哲学の実力がにじみ出てくる。
過去のフランス大統領を振り返ってみると、ドゴールの『回想録』は第一級の文学作品とされているし、ポンピドゥーは文学の先生で、彼の編んだ『フランス詞華集』は広く読まれた。ジスカールデスタンはアカデミー会員に選ばれたし、ミッテランの哲学者、宗教家との交流の深さは語り草になっている。そのあとシラク(縄文土器と相撲の良き理解者だが)、サルコージ、オランドの3人とも文人大統領の風格はなかったから、今回ひさびさに伝統が復活したと喜ぶ知識人も多い。ゴンクール賞審査メンバーのエリク・エマニュエル・シュミット氏が「文化への深い情熱を欠いた大統領が3代続いたことと、この3代の間に大統領の威信が下がり続けたこととは無関係ではない」と決めつけているのは、知識人の我田引水とばかりも言い切れない。フランス人の文化への思い入れの深さには、外国人には理解し難いものがあるのだ。

文人大統領への憧れの奥には、王様へのノスタルジーが隠れている。また八方ふさがりの鬱屈した空気を一気に吹き払ってくれる摂理的ヒーロー、ジャンヌダルク、ナポレオン、ドゴールへのノスタルジーもある。<物語>の哲学を説いたリクールの弟子にふさわしく、マクロンは、<国民のロマン>をスローガンにしているほどだし、高校のとき演劇指導教師に恋して結婚したほどだから、フランス人が心の深層でどんな大統領像を願っているか考え抜いたに違いない。大統領当選の夜のセレモニーは、若き国王戴冠の儀式そのものだった。場所も、かつての王宮ルーブル前広場。ナポレオンも第一執政となる儀式に使ったシンボリックな場所である。
マクロンは2015年に、民主主義には「不在者」がある、それは「王」だ、「フランス国民は王の死を望んでいなかった」と言い、ナポレオンとドゴールはその空白を埋めることができたが、大統領像が平凡化するにつれ「政治空間の中心がふたたび空洞化してしまった」と警告する。そして、「国の歴史に根差し、豊かな象徴世界と未来への意欲に支えられた、新しいタイプの民主的権威を生み出さなければならない」と、<共和国君主>のような大統領像を提唱する。
一番古い民主主義国のアメリカが大統領を選ぶのに失敗し、日本では首相の暴走に対し国会は何もできない。あちこちで民主主義のほころびが目立つ時代にあって、民主主義の根本的脆弱性から考え直そうとする哲人大統領が生まれた。成功するか、大失敗するか。歴代の大統領に比べ就任直後の人気は低いが、考えてみればこんな奇想天外なドンキホーテが当選したこと自体、奇跡に近かったのだから、いまから悲観するにはあたらない…。
(2017年5月30日)