東京交響楽団 第649回定期演奏会 |齋藤俊夫
2017年4月22日 ミューザ川崎シンフォニーホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 佐藤佳穂/写真提供:東京交響楽団
<演奏>
東京交響楽団
指揮:沼尻竜典
独奏チェロ:堤剛(*)
合唱:東響コーラス
合唱指揮:大谷研ニ
<曲目>
ソフィア・グバイドゥーリナ:『アッシジの聖フランチェスコによる「太陽の讃歌」~チェロ、室内合唱団と打楽器のための』(*)
グスターヴ・ホルスト:組曲『惑星』作品32
前半、約50分に及ぶグバイドゥーリナの大曲『太陽の讃歌』は、とても厳しい音楽であった。全篇にわたってチェロのソロは呻き、苦しみ続ける。混声合唱は「Ah-」と言葉にならない声を誰か(神?)に向って歌い、またテクストを古風な発声法(東方正教会の発声法なのかもしれないが、日本の聲明にも似ていると筆者には感じられた)で歌いもする。途中でソリストはドラを叩く、大太鼓をマレットでこする、合唱団の前でフレクサトーンを弓奏する、チェロの糸巻きを少し回し、音高をわずかにずれさせるといった通常のチェロとは違った「身振り」をするのだが、それがいわゆる前衛・実験音楽における異化や奇想の楽しみといったものとは全く違う、それを楽しむことを禁じられた聖性を帯びた「身振り」として現前する。意味はわからない。だが、その精神は確かに伝わるのだ。宗教的敬虔さが曲全体を通じて感じられるのだが、同じキリスト教的音楽でもメシアンの作品に聴こえるような法悦的宗教性とは対極にある、苦悩に満ちた宗教性である。プログラムに掲載されたテクストを読む限り、太陽を創りし神を称える歌のはずなのだが、筆者には独奏チェロと合唱がこの世界の苦しみの理由を神に問いかけるような音楽に思えた。
後半のホルスト「惑星」は大編成のオーケストラによる大艦巨砲主義的な「火星」から音が実によく響いてくる。リリカルな「金星」、ユーモラスな「水星」、豪華絢爛たる「木星」、悲劇から浄化へと昇華していく「土星」、アイロニカルな音楽からドタバタ喜劇的、道化的な音楽へと移る「天王星」、そして神秘的、瞑想的な終曲「海王星」まで、音のパレットが豊富で、それぞれの曲ごとに最適解の音響で彩られた惑星が現れる。「火星」「木星」のような壮大な音楽も良かったが、特筆すべきは「土星」の、ひそやかに始まりクレシェンドで劇的な昂ぶりを見せた後で安息に至る音楽の構築法、また「海王星」の澄みきった弱音の中に音のさざなみを作る沼尻の采配である。ややもすれば通俗名曲と軽んじられることもある本作品が前半の厳粛なグバイドゥーリナと拮抗しえたのは奇跡的であり、またこの選曲に挑んだ沼尻・東響の音楽的冒険精神には大きな賛辞を贈りたい。