東京混声合唱団第243回定期演奏会|藤堂清
2017年4月28日 第一生命ホール
Reviewed by 藤堂 清 (Kiyoshi Tohdoh)
<演奏>
指揮:鬼原良尚
松原千振
打楽器:會田瑞樹 (*)
合唱:東京混声合唱団
<曲目>
ヴォルフ:6つの宗教的歌曲より
2.調和、3.あきらめ
ガーデンシュテッター:ロックド・イン(バージョンb)-日本初演-
三ッ石潤司:祈り―2016 -委嘱初演- (*)
シェーンベルク:地には平和
(指揮:鬼原良尚)
—————(休憩)—————–
ラウタヴァーラ:無伴奏ミサ曲 -作曲者追悼-
ヴィカンデル:ユリの花、谷間の王
マデトヤ:春の夢
グリーグ:春
(指揮:松原千振)
————(アンコール)————–
トルミス:シニッカの唄(指揮:松原千振)
Ivan Erod:Viva la musica(指揮:鬼原良尚)
若手の鬼原良尚とベテランの松原千振、二人の指揮者による東京混声合唱団の定期演奏会。プログラム前半は鬼原が、後半は松原が振った。三ッ石潤司への委嘱作《祈り》には、打楽器の會田瑞樹が加わるが、他はすべてア・カペラの曲。
前半は、この日が東京混声合唱団(以下、東混と書く)へのデビューとなる鬼原良尚の指揮。
1987年生まれでドイツ語圏で修業を積んできたことからか、ヴォルフ、ガーデンシュテッター、シェーンベルクと3曲のドイツ語の曲を取り上げた。もっとも、ガーデンシュテッターの《ロックド・イン(バージョンb)》は、プログラムに鬼原自身が書いているように、「伝えたいが伝わらない(ロックド・イン)」すなわち「言葉にならない言葉」に付けられた音楽である。その状態の辛さや葛藤を表現したというのだが、聴き手は、「意味不明」な単語(らしきもの)の並びと音楽から、その困難な状況をつかみ取ることが要求される。逆に考えれば、作品と演奏がそのような多重構造を伝えられたかということでもある。
あらかじめ作品解説を読まずに聴いたこともあり、正直なところ筆者の耳にはドイツ語の単語らしきものが入ってはくるが、理解不能であった。ベックメッサーの歌を聴く親方たちの心境といったところだろうか。
このブロックの中心は、三ッ石潤司《祈り―2016》、東混の2017年の委嘱作の初演である。作品は、レクイエムの典礼文からRequiem aeternam, Dies irae, Lux aeterna, Libera meの4つ、日本国憲法第9条冒頭の英訳、そしてサルヴェ・レジーナを歌詞としている。いささか奇妙な組み合わせと思えたが、死者を悼む言葉から始まり、Libera meの間に織り込まれる日本国憲法、そして母なるものへの賛美で終わる構成は、死と生という人間の営みを戦争という暴力から守ろうとする気持ちが表現されていた。打楽器が加わることで、合唱だけでは出せないダイナミクスの大きな曲となっている。
シェーンベルクの《地には平和》をつなげ、「平和への祈り」が完結した。
鬼原の指揮は余裕はなかったが、着実なものであった。
プログラム後半は、松原千振の指揮。彼は1951年生まれのベテランで、東混には1995年以来何度も登場しており、2013年に正指揮者となっている。
昨年亡くなったフィンランドの作曲家、エイノユハニ・ラウタヴァーラの《無伴奏ミサ曲》が彼の追悼の意味で演奏された。2011年に作曲された(一部は1972年)、ミサ典礼文によるもの。Kirieの冒頭、女声の同じ言葉の繰り返しにはじまり、Agnus Deiの穏やかなメロディーまで、まったく弛緩するところがない、人間の声の美しさを感じながら、25分近くの曲にひたることができた。
この後に演奏された、スウェーデンのヴィカンデル、フィンランドのマデトヤ、ノルウェーのグリーグの作品は、ラウタヴァーラの余韻のように味わった。
アンコールは指揮者二人が一曲ずつ振った。こちらでは鬼原のリズムの冴えが聴けた。
東混のいつも変わらぬ安定した歌に感心するとともに、二人の指揮者の個性の違いも楽しむことができた。