ラフマニノフ―ボリス・ギルトブルグ|谷口昭弘
東京・春・音楽祭 —東京のオペラの森 2017—
《24の前奏曲》シリーズ vol. 6
ラフマニノフ―ボリス・ギルトブルグ
2017年4月15日 東京文化会館 小ホール
Reviewed by 谷口昭弘(Akihiro Taniguchi)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)
<曲目>
ラフマニノフ:24の前奏曲
前奏曲 嬰ハ短調 op. 3-2《鐘》
10の前奏曲 op. 23
(休憩)
13の前奏曲 op. 32
(アンコール)
スクリャービン:練習曲 op. 2-1
ラフマニノフ:《音の絵》op. 3, no. 6
シューマン:ダヴィド同盟舞曲集より no. 14
ラフマニノフの<24の前奏曲>をフィーチャーした今公演の前半は、ピアノの叙情性を存分に活かした《鐘》と「10の前奏曲」作品23を演奏した。《鐘》は、冒頭のからずしりとした低音と、ゆったりと落ちるしずくのような高音がまずは淡々と続いていく。しかし明確に“鐘の音型”のない部分では、対照的に溢れ出る粒が自在に飛び回っていた。作品23の第2番になると、ギルトブルグは大げさな身振りで迫ることなく、ふくよかに、左手のアルペジオも豊かな和音としてまとまるように聴かせる。そして中間部を香り高く潤いのある音で、内声部を含めて丁寧に奏でていく。
続くマズルカ風の第3番では、符点をはっきりアーティキュレートすることによって曲想を打ち立て、大きなフレーズを見越してつないでいく一方、後半のダンスになると、大胆にはじけてくる。
次の第4番は丁寧に音を紡いでいく様や瞑想的に深まる部分にショパンの夜想曲を彷彿とさせる部分もあるが、一方で俄然として盛り上がり感情のほとばしりを抑えきれなくなってくる部分には、ロシアらしいピアニズムを強く感じさせられる。
「行進曲風」と題されている第5番はスネア・ドラムを思わせる裏拍のリズムに噛み付くなど気迫が激しく、これが謎めいた美しさに満ちた中間部におけるアルペジオや旋律と対比されていた。全体があくまでもキャラクター・ピースであることを、これによって再確認することになった。
第8番では、きらめく星のようなパッセージが輝き、これが内声部とのデュオを形成し、美しい。
第10番はシンプルな中にラフマニノフのエッセンスが凝縮されていて、複雑に絡み合う音の中から星座のようにつながっていく線が現われ、この曲に秘められた詩情を聴衆に向けて語りかけていた。
休憩を挟んで、後半は作品23の7年後に書かれた「13の前奏曲」作品32で、旋律の美しさによるロマンティシズムよりも、さまざまな音型の交錯による感情表現に聴かせどころを移していった。そのためかギルトブルグのピアノも起伏の激しいものとなっていく。例えば第3番はオーケストラ的なファンファーレで始まり、美しい音を保ちつつシンフォニックな鳴りで迫っていたし、第4番では、入れ替わり立ち代わり挿入される楽想をどのように配置し、大きな流れを構成していくかに聴き手を集中させていたようだった。第8番も同様で、両手の確固とした技巧によって左右に散りばめられる音型が絡み合いつつ、細やかに表情を変転させていく。表面的にはとりとめもない第2番や第9番については、自由な感情の発露としての前奏曲をじっくりと練り込んでいくギルトブルグのひたむきさに感化されたし、第10番については、どこに連れて行かれるのか分からない感覚が、かえって体を乗り出すようにして、ピアノの機能を最大限にいかして壮大な叙事詩となっていた。
全体を<24の前奏曲>とひとまとまりにすると、そこには一つの作品としての一貫性を感ずるのだが、実は作品23までの曲作りと作品32のそれとの間にラフマニノフの同時代音楽からの影響があり、それが両者の微妙な作風の差異につながっていることを認めさせられた。今回の演奏会では、この発見が大きな収穫だった。