京都フィルハーモニー室内合奏団 創立45周年記念 第208回定期演奏会|能登原由美
京都フィルハーモニー室内合奏団 創立45周年記念 第208回定期演奏会
2017年4月16日 京都コンサートホール小ホール(アンサンブルホールムラタ)
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 豆塚猛/写真提供:京都フィルハーモニー室内合奏団
<演奏者>
指揮:齊藤一郎
独唱:柳原由香(ソプラノ)
松平敬(バリトン)
ミュージックソー:おぎ原まこと
エレクトロニクス:有馬純寿
管弦楽:京都フィルハーモニー室内合奏団
<曲目>
末吉保雄:中原中也 “三つの詩” より 〈サーカス〉〈間奏曲〉〈春と赤ン坊〉
ソプラノ:柳原由香
木下正道:「石をつむV」バリトンと室内オーケストラのための
バリトン:松平敬
松村禎三:クリプトガム
ミュージックソー:おぎ原まこと
山本和智:女声、アンサンブルとライヴ・エレクトロニクスのための「韻律の塔」
ソプラノ:柳原由香
エレクトロニクス:有馬純寿
物事の始源というのはこのようにシンプルなことなのかもしれない。とはいえその瞬間、あらゆる膜が張り裂けんばかりの巨大な振動が世界を揺るがしもする。横向きにした大太鼓への一強打とともに始まる木下正道の《石をつむV》。あるいは、山本和智の《女声、アンサンブルとライヴ・エレクトロニクスのための「韻律の塔」》。人間の営みが開かれる瞬間の、言葉にならない声、いやもっと遡れば「息」によって万物が生成されていく過程を見るかのようだ。邦人作曲家の作品を集めた京都フィルハーモニー室内合奏団第208回定期演奏会。若手作家が提示する世界観が感性をくすぐるものとなった。
2014年に音楽監督となった齊藤一郎によるプログラミングや演奏内容は常に刺激的だ。今回は齊藤自身が力を入れている邦人作曲家作品を集めた企画。しかも、4作のうち2作については若手作曲家への新作委嘱という意欲的な取り組み。「中原中也をうたう 宮沢賢治をうたう 日本を奏でる」とのキャッチコピーにあるように、日本近代を代表する詩人のテクストも取り上げられる。こうした詩がどのように扱われるのか、現代の作曲家によるその受け止め方を見る上でも興味深い。
1作目は末吉保雄による《中原中也 “三つの詩” 》より〈サーカス〉、〈間奏曲〉、〈春と赤ン坊〉の3曲。「茶色い戦争」や「疾風吹く冬」とともに過ぎ去った時代の果てに、たどり着いた陶酔境をうたう〈サーカス〉。「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と独特の擬音語で表された空中ブランコは、現実と夢の境を行き来するものか。不安定な調の動きは壊れた機械仕掛けの人形のくるくる回り続ける様を描くかのようだが、何故かそれは現在の社会状況をも映し出しているかのように聴こえてきた。〈春と赤ン坊〉では、眠る赤子の上を吹き抜ける風と疾走する自転車を模写するかのようなチェンバロの走句が印象的であった。
2作目は冒頭で紹介した木下の作品。大太鼓への一打で始まる音の流れは、他の楽器を巻き込みながら静かに変容し、発展していく。バリトンによって表現されるたった一つの言葉、すなわちたった一つの行為である「石をつむ」ことが、こうした音の変容に絡み合いながら執拗に反復されていく。そう、世界は一つの小さな行為、出来事の積み重ねから成り立つのだ。それを取り巻く世界、周縁がどのように変化しようとも。けれども私には、無の世界に現れる最初の一打そのものが一つの変容、すなわち「石をつむ」ことなのであり、その一音によってすでに作品全体が語られていると感じられた。ただしそれはあくまで私の解釈。聴き手によって、無限の世界が広がっていく作品なのではないだろうか。
休憩を挟んだ後の3作目は、松村禎三の《クリプトガム》。クラヴィオリン(本公演ではシンセシザーで代用される)、ミュージックソーといった特殊楽器による実験的な音響、12音列技法など、作曲時の1950年代後半当時盛んに試みられた音楽書法をもつ作品。前半に聴いた2作が多分に想像力を触発するものであったせいか、こちらはあまり印象に残らないものとなった。
そして最後に山本の作品。ここではソリストを務めた柳原由香の全身から迸り出る声の好演が光った。小さな息は吐息となり破裂音、摩擦音などを交えながら感情の発露へ、あるいは声にならない声、言葉にならない言葉へと広がっていく。アンサンブルの増幅とともにライヴ・エレクトロニクスによって増殖されていく無数の声、音の塊が会場を満たす様は、私たちを異次元の空間へと誘うかのようだ。ただし、声は単に音響を構成する要素の一つかといえばそうではない。意味や規律を生み出す「言葉」以前の状態とはいえ、息の流れや揺れ、唸り、笑い、叫びといった衝動を伴う声は、これが生命体によって発せられたものであることを思い起こさせる。同時に、一つの息によって無限大に生成されていく世界の広がりを感じさせるものであった。
様式や技巧の創意工夫をみるのも良いが、音楽によって新たな世界が開けてくるのは一層嬉しいものだ。こうした企画は今後もどんどん進めてほしい。