紀尾井ホール室内管弦楽団 第106回定期演奏会|丘山万里子
紀尾井ホール室内管弦楽団 第106回定期演奏会
リニューアルオープニング
2017年4月22日 紀尾井ホール
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<演奏>
指揮、第1ソロ・ヴァイオリン:ライナー・ホーネック
第2ソロ・ヴァイオリン:千々岩英一
紀尾井ホール室内管弦楽団
<曲目>
ストラヴィンスキー:二調の協奏曲(バーゼル協奏曲)
バッハ:2本のヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1043
(以上2曲、コンサートマスター玉井菜採)
〜アンコール〜
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー父:バッハ「2本のヴァイオリンのための協奏曲」第3楽章のためのカデンツァ
(ソリスト:ライナー・ホーネック&千々岩英一)
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ハイドン:十字架上のイエス・キリストの最後の七つの言葉 Hob.XX/1A
四谷の土手をピンクに染めた桜も今はすっかり若緑、遅れて咲くぽってりした八重の花びら舞う道を歩きながら、この楽団、聴くのずいぶん久しぶりだな、と思う。
この4月、首席指揮者にウィーン・フィルのコンマス、ライナー・ホーネックを迎え、その名も紀尾井シンフォニエッタから改称した紀尾井ホール室内管弦楽団。
なんていい音。ストラヴィンスキーの冒頭、嬰ヘ音の刻みにすっと低弦が入ってきた時、思わずぞくっとしてしまった。天鵞絨の光沢にふっと香り立つ弦の手触り。わあ、ちょっとウィーン・フィルを思い出すなあ、と。変拍子の中、ニ長調とニ短調が揺れ動くとらえどころのなさが、河辺に舫(もや)う小船の揺籃のような感覚を呼び覚ます。この作品、決して優美なんかでないし、第3楽章のリズムのキレなどいかにもストラヴィンスキーなのだが、そこに一刷毛ふわっとしたまろやかさがあるのは、ホーネックの味の反映だろう。
バッハはだから、実に美しかった。
ホーネックは艶のある、けれどやたらに自己主張しない美音(それがやはりウィーン・フィルのコンマスの品格・矜持なのだ)、それに応えてゆく千々岩はほんの少しくぐもった音色、そのバランスが絶妙だ。第1楽章の弾み具合の快さ。上行下行の細かな音型の一つ一つがモザイク模様になって生き生きと踊る。
でもやっぱり、第2楽章が忘れがたい。金糸銀糸(と言ってもピカピカ光るのでなく、あくまでシックな梨地の)で縒り綯われてゆく旋律線の、絡み、ほどけ、流れてゆくさま、その間を埋めてゆくオケの、こっくりした色合い。2つのヴァイオリンが入ってくるたびに心を掬いとられるような気持ちになる、永遠にこの音楽の螺旋を聴いていたい(永遠に、舞い散る桜を眺めていたい、みたいに)、それをこの二人はなんてすべらかに、こまやかに歌い上げたことだろう。第3楽章はかっきりしたメリハリと躍動。終わったあとの余韻にたっぷりひたっていたら。
アンコールがこれまた・・・ホーネック、さすが、としか言いようのない、ヨーゼフ・ヘルメスベルガー父(ウィーン・フィルのコンマス1863~1877在位)の作曲による、今弾き終えたばかりのバッハの第3楽章のためのカデンツァであった。これがバッハのエッセンスをちょちょっとつまんで聴きどころ満載に仕立てたなんともおしゃれで気が利いた一品。心憎いセンスに脱帽!
イースターの時期に相応しいハイドン「十字架上の〜」では指揮に見惚れた。ホーネックのしなやかな両手(指揮棒なし)が大きく音を抱き取ったり、すいっと引き寄せたり、さあっと拡げたりと、響の妙がその指先の動きから生まれ出てゆく感じ。
私は、先日ふと思い立って出かけた清春芸術村の美術館(桜に南アルプスが美しい)で見たルオー『聖顔』を思いだしつつ聴いたが、7つの言葉につけられた音楽はどれも代わり映えせず(最後の地震も何だか・・・)。ハイドンお気に入りの作品とのことだが、首を傾げて終わった。
音楽の都(ウィーンはやはりそう呼ぶにふさわしいと私は思う)の洗練がどんなふうに彼らを成熟させてゆくか、新生の息吹を感じた春の午後。