東京春祭 歌曲シリーズ vol.20 マルクス・アイヒェ|藤原聡
2017年4月2日 東京文化会館 小ホール
Reviewed by 藤原聡( Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayahshi)
<演奏>
マルクス・アイヒェ(バリトン)
クリストフ・ベルナー(ピアノ)
<曲目>
シューベルト:
さすらい人 D489
月に寄す D193
宝掘りの願い D761
さすらい人 D649
さすらい人の月に寄せる歌 D870
ドナウ川の上で D553
船乗り D536
ベートーヴェン:
『はるかな恋人に』op.98
シューマン:
『リーダークライス』op.39
(アンコール)
ベートーヴェン:くちづけ
シューベルト:音楽に寄せて
ワーグナー:夕星の歌(歌劇『タンホイザー』より)
コルンゴルト:ピエロの踊り(歌劇『死の都』より “Tanzlied des Pierrot”)
筆者がマルクス・アイヒェという歌手の存在を知ったのは遠い昔のことでもなく、それは2013年12月のインバル&都響のバルトーク:『青ひげ公の城』においてであった。そこでのアイヒェは非常に理知的かつ冷徹な歌唱を聴かせ、それが逆に底知れぬ恐ろしさを感じさせて秀逸だった記憶がある。今回の来日は東京・春・音楽祭でのワーグナー:『神々の黄昏』におけるグンター役と当夜のリサイタルのためのもの。
アイヒェの声質は複合的な気がする。バリトンでありながらいかにも剛直なバス的低音、中域の柔らかさはハイ・バリトン的であり、そして高音はやや硬質な響きを持つ。オペラとはまた違った語句のニュアンスへの目配りもあるが、大きな身振りと動きを伴いながらのメリハリと振幅の大きな押し出しの強い歌唱はややオペラ的であり、いわゆるリート歌手のそれとは若干様相を異にする。しかし繊細なソット・ヴォーチェもまた上手く、表現の幅は多彩だ。こう言っては何だが「オペラ歌手の余技」でのリート歌唱とは全く違う。
とは言え、当夜の本プログラムで最も成功していたのは、アイヒェの健康的で剛直な特質がストレートな曲想と1番上手く合致していたベートーヴェンだろう。シューベルトでは曲によってムラがあり、中では最後の『船乗り』のような劇的な曲においてアイヒェの良さが十全に発揮される。休憩を挟んでのシューマンも見事な歌唱ではあったが、より内に沈滞するような繊細さが欲しい気がする。それは『月の夜』や『城にて』などで幾らか感じられた。基本的に全曲がダイナミック寄りに歌われているので、最後の『春の夜』での唐突な「飛翔」とそれまでの「自我を巡る内面的対話」との対比があまり生かされていない、と感じたのは筆者だけだろうか。
アイヒェの本領が発揮されたのはむしろアンコールだろう。ベートーヴェンではピアノのベルナー共々その演劇的な歌と身振りがいささかコミカルな曲想と歌詞を十全に引き立てていたし、ワーグナーとコルンゴルトに至ってはアイヒェの独壇場である。ここでもこの歌手のオペラティックな演劇性、その美声と強靭な押し出しが全てプラスに働き、声とピアノだけとは思えぬ世界を現出させていた。これはリートとは違った外面への指向性だが、これを聴くとやはりアイヒェ、本プログラムとの比較で考えても現段階では圧倒的に「オペラ歌手」であるようだ。しかし素晴らしい歌手であることは疑う余地もなく、今後リートの世界での活躍も続けて欲しいものである。ヴォルフで間違いなく良い歌を聴かせてくれる気がする。