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小人閑居為不善日記|キープ・オン・ロッキン・イン・ザ・キャピタリズム|noirse

キープ・オン・ロッキン・イン・ザ・キャピタリズム

text by noirse

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2017年は、はっぴいえんどや高田渡などを輩出し、のちの日本のロックやフォークに多大な影響を残したレーベル、ベルウッド・レコード誕生45周年となる。それを記念して、あがた森魚とはちみつぱいの初の共作アルバムが発売された。
はちみつぱいは、日本のロック史に残る重要なバンドだったが、アルバムを1枚残して空中分解した。中心メンバーだった鈴木慶一は、解散後ムーンライダーズを結成する。鈴木はのちに、はちみつぱいは経済的なヴィジョンがなかったが、ムーンライダーズは音楽で食べていくことを目標にしていたと述懐している。

鈴木はまず芸能界から仕事を探してきた。アグネス・チャンやキャンディーズのツアーバンドをしばらく務めて経済的な地盤を築き、それから自作に取り組んでいった。また、ライダーズのメンバーは積極的にバンド外での仕事を請け負い、CMや映画音楽、ゲーム音楽などに次々と関わっていった。今ではごく普通の光景だが、ロックミュージシャンがCMの音楽を作るなんて、当時はまだ珍しかった。
彼らの曲がトップチャートに入ったことは一度もない。端的に言えば、一度も「売れた」ことがない。だが地道に営業を行い収入を得ることで、流行から距離を置き、妥協のない音楽作りに打ち込める、理想的な環境を作ることができた。
以降ムーンライダーズは、2011年に解散するまで一度も「インディー落ち」することなく、メジャーレーベルを渡り歩き、日本ロック界のゴッドファーザーとまで呼ばれるようになった。ここまで長いあいだ孤高を保ちながらメジャーに君臨し続けたバンドは、日本では他に類を見ない。

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去る3月18日、チャック・ベリーが世を去った。享年90歳。ムーンライダーズが日本のロックのゴッドファーザーならば、チャック・ベリーはロックそのものと言っていい。彼がどれほど多くのミュージシャンから――音楽界を離れ、オバマ元大統領にまで――賛辞されてきたかは、言い尽くされるものではない。

だがチャック・ベリーは、同時に鼻つまみ者でもあった。とにかく人当たりがキツかったらしく、彼を尊敬する大物ミュージシャンが会いにいき、幻滅して二度と近付かなかったという類の噂は、しばしば耳にするところだ。
特によく聞くのは、金銭への執着だ。『ヘイル! ヘイル! ロックンロール』という映画がある。チャックを尊敬して止まないキース・リチャーズが彼の生誕60周年記念コンサートを企画、その模様を収めたドキュメンタリーだ。これを見た人の多くが、チャックの金への細かさに驚く。
キースは「チャックにまともなバンドをつけたかったんだ」と述べている。チャックは死ぬまでステージに立ったが(2011年には公演中に吐血し、病院に運び込まれている)、パーマネントなバンドは持たなかった。営業の声がかかると、公演先で適当にバックバンドを見繕い、ろくにリハも行わずに演奏して、さっさと帰るのが常だった。
チャックは何故そのような所業に及んだのか。答えは簡単だろう。腕の立つバンドを常に抱えていたら、相応のギャラを払わなくてはならない。それくらいなら、仕事先で売れないバンドを探し、安く発注したほうがマシというわけだ。当然クオリティは下がる。キースはそれに我慢できなかったのだ。
だが、音楽よりもギャラを優先させるチャック・ベリーの信条は、何処に由来するのだろうか。

3

チャックがデビュー曲〈メイベリーン〉で音楽史をひっくり返したのは、彼が29歳のことだった。1926年生まれのチャックは、同時多発的に現れたロックンロールのイノベイターの中で、最も年上である。プレスリーは、チャックより10歳近く年下だ。

ロック登場以前のアメリカの黒人音楽は、ジャズにブルース、ゴスペルなど、客観的に見ても白人の音楽よりも先進的だった。だがマーケットは完全に分離していて、まとめてレイス・ミュージックと呼ばれていた。raceとは人種という意味で、有り体にいえば差別用語だ。
デビューするまでのチャックは、長いあいだセントルイスのクラブで不遇を囲っていた。いくら努力しても、人種の壁を越えて成功するのは困難だったろう。チャックは知恵を絞ったはずだ。

ジョン・レノンは、チャック・ベリーをロックの偉大な詩人であると言った。既存の社会に抑圧され、不満を持っていた白人のティーンエイジャーは、チャックのシンプルだが力のある歌詞に深い共感を抱いた。
だが、三十路近い黒人の書く歌詞に、何故白人の若者は共感し得たのか。答えは簡単だ。若年白人層こそ未開発のマーケットであると見抜いたチャックが、そこに狙い定めて歌詞を書いたからだ。
多くのミュージシャンはロックを自己表現の場と考えたが、チャックには表現したい自己などなかった。ただひたすら、売れるために、まったく接点のない若者たちの歌を書き続けた。

「ロックに貢献したのは時代であって、おれは歯車に過ぎない」。往年のチャックの言葉だ。尊大さのない、冷静な思考だと思う。チャックは自分の能力を客観的に分析し、どうすれば未開のマーケットに自分の才能がフィットするか考え抜いたのだろう。
確かにチャック・ベリーは、狭量でケチな男だったかもしれない。だが彼の出自を考えれば、それは致し方ないことだった。そしてその境遇から生じたビジネスライクな思考こそが、ロックの可能性を拡張し、誰もがなし得なかった黒人のマーケットの開放を実現した。声高に開放を叫ぶよりも、自らにヒップな価値を与えることが、返って黒人の地位向上に寄与したのだ。

ハードな人生を経てきたチャック・ベリーの周りに恵まれた白人の若者たちが寄ってきても、彼には何の感慨もなかっただろう。若者たちはロックに理想を抱いたが、チャック・ベリーにとってロックンロールとは、ただの商売道具に過ぎなかった。だがそれこそが、彼にとって唯一の、生きるための術だったのだ。

4

チャック・ベリーに守銭奴のようなレッテルを貼ってしまう行為は、ロック=反抗であって、資本家的な発想とは一線を画すという、今となってはむしろ保守的なイメージによる。反抗するのは自由だが、誰だって食べていかなくてはいけない。若いうちはよくても、老後はどうするのか。家族は誰が養うのか。いつまでも親のスネを齧るのか。

マネージャーやレーベルに喰い物にされ、キャリアを損なった音楽家の例は枚挙に暇がない。プレスリーは詐欺師めいたマネージャー、パーカー大佐に搾取され、音楽面まで管理されて、あたら絶頂期を棒に振り、ボロボロになって死んでいった。アラン・クレインは巧妙にビートルズに近付き、アップル・レコードに亀裂を入れ、ポールと他のメンバーのあいだの軋轢を生み、バンド解散の遠因になったとも言われている。
だが次第にバンド側も学習していく。やはり当初はアラン・クレインにマネージメントを任せていたミック・ジャガーは、彼をクビにしてレーベルを立ち上げ、自らの管理下で経営して、ローリング・ストーンズを国家的なビッグ・プロジェクトへ成長させた(ミックはデビュー後も学校に通って経営学を学んでいた)。

資本側の気まぐれで、作品を台無しにされた者もいるだろう。だがビジネスと音楽を切り離すことも、またできない。
イギリスは税金が高いことで有名だ。成功した英国のミュージシャンは、節税対策のために国外へ移住したり、あるいは海外のスタジオでじっくり制作に取り組むようになった。土地が変われば、当然音楽にも影響を与える。ストーンズやデヴィッド・ボウイ、エリック・クラプトンやロッド・スチュワート、U2らの傑作群は、アメリカやフランス、ドイツやジャマイカなど、世界中で録音されている。だがそれによって彼らのアルバムにはブルースやカントリー、レゲエなど多様な音楽が反映し、豊かさがもたらされたのだ。

5

60年代最後の巨大ロック・フェス、ワイト島のドキュメンタリーに、チケットが買えず暴徒化したヒッピーたちが、フェンスを破壊して侵入してしまうシーンがある。自由の象徴であるロック・フェスを資本の論理で管理側にこそ問題があると、彼らは自らを正当化した。確かに運営側は事前にフリー・コンサートの可能性を仄めかしており、わざわざ英国の離島まで来て締め出されたヒッピーが怒る気持ちも分からないではない。だがこれは、明らかなフリー・ライダー(タダ乗り)だ。
CDが売れなくなったと言われて久しい。理由はいくつもあるが、配信や安価なレンタル、違法視聴は大きな理由のひとつだ。聴衆はいつだって、タダで音楽を楽しもうとする。一方、メジャーレーベルに所属しながら、未だにバイトしなくては生活できないというミュージシャンもいる。

こんな例もある。先日のグラミー賞で新人賞を受賞したチャンス・ザ・ラッパーは、フィジカル・リリースなしで同賞を受賞した初の音楽家として話題になった。彼は音楽を「販売しない」ことがポリシーで、作品はすべて無料でダウンロードできる。CDやレコードは(公式には)一切市場に流通していない。
だがそれでどうやってマネタイズできるのだろう。彼の収入源は、グッズ・ビジネスが中心らしい。だがグッズを作るにも資金源がいる。あとわたしが知っているのは、彼が政治家の両親を持つエリート一家の出身ということだけだ。

誤解しないでほしいが、チャンス・ザ・ラッパーの音楽は素晴らしいものだ。だがそれだけでは、不況の世に音楽だけで食べていくことはできない。チャック・ベリーが遺したものは、音楽だけではないはずだ。

チャック・ベリーは昨年新作を完成させた。まだリリース前だが、早くもいくつかの新曲が、先行で配信されている。無料登録したSpotifyでチャックの新曲を聞きながら、わたしはこの原稿を書いた。
年老いた身体を引きずって作った渾身の新作を世界中の聴衆にフリー・ライドされ、あの世のチャックは何を思っているだろう。彼の遺作は、60年前とほとんど変わっていない。

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noirse
同人誌「ビンダー」、「セカンドアフター」に映画/アニメ批評を寄稿