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ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール|藤堂清

ナタリー・デセイ&フィリップ・カサール デュオ・リサイタル
“Portraits de femmes”

2017年4月19日 東京オペラシティ コンサートホール
Reviewed by 藤堂 清
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ナタリー・デセイ(ソプラノ)
フィリップ・カサール(ピアノ)

<曲目>
モーツァルト:歌劇《フィガロの結婚》より
  スザンナのアリア「とうとうその時が来た〜恋人よ、早くここへ」
シューベルト:
  ひめごと D719
  若き尼 D828
  ミニョンの歌 D877
  ズライカⅠ D720
  糸を紡ぐグレートヒェン D118
モーツァルト:歌劇《魔笛》よりパミーナのアリア「愛の喜びは消え」
プフィッツナー:歌曲集《古い歌》op.33
——————–(休憩)————————
ショーソン:終わりなき歌 op.37
ビゼー:別れを告げるアラビアの女主人
ドビュッシー(ピアノ・ソロ):
  亜麻色の髪の乙女
  水の精
ドビュッシー:
  未練
  死化粧
グノー:歌劇《ファウスト》より宝石の歌「何と美しいこの姿」
——————(アンコール)——————–
ドリーブ:カディスの娘たち
R.シュトラウス:僕の頭上に広げておくれ op.19-2
ドビュッシー:歌劇《ペレアスとメリザンド》第3幕より
ドリーブ:歌劇《ラクメ》より「美しい夢をくださったあなた」

 

素晴らしかった。
デセイのすべて、歌や音楽にとどまらず、これまでの歌手生活や人生までもが凝縮されたひととき。

前半は、最初のスザンナのアリア以外はすべてドイツ語の曲、共通するテーマは「恋」。恋の喜び、あこがれ、苦しみ、そういった思いが強く感じられる演奏であった。
二人が舞台に登場し、さあ演奏開始というときに、カサールが弾きだしたのはモーツァルトのピアノ・ソナタの一節、歌う態勢に入っていたデセイは、虚を突かれたようにピアニストの方を向くが、彼は知らん顔で続ける。「仕方がないわね」とあきらめたようにピアノにもたれ、うつむくデセイ。続いていた音楽が本来そうであったかのようにスザンナのアリアの前奏へ入っていく。その瞬間、「そう、これこれ」というように体を起こし、歌へ入っていく。そんな演出からリサイタルは始まった。
愛しているフィガロがいることを知りながら、他者(伯爵)を待つ気持ちを歌う。でも実はそれはフィガロに対する気持ちをストレートに伝えるもの。デセイはスザンナを持ち役にはしていなかっただろう、でも他の誰の歌よりもスザンナの心の高ぶりを感じさせる。
続くシューベルトの5曲、すべてがやはり「恋」へのあこがれ、喜び、苦しみを歌う。タイトルからみれば関係なさそうな「若き尼」も、地上での心の苦しみと天上の花婿(キリスト)への憧れを歌っている。デセイとカサールは、言葉に応じテンポを緩めたり、せかされるようにしたりと、かなり自由に変更を加えていた。例えば、「糸を紡ぐグレートヒェン」の第7節 “sein Händedruck, und ach, sein Kuß!”の”Kuß!”を、通常より長く強く伸ばすといったように。シューベルトのこういった歌曲で、こんなに直接「エロス」を感じたのは初めて、楽譜に忠実な演奏とはいえないだろうが、胸に迫るものがあった。
パミーナのアリアは、失われた恋を嘆き死を望むもの。かつて夜の女王として《魔笛》の舞台に君臨したデセイの気持ちには、失った声と役を想うところもあったのかもしれない。
前半の最後におかれたのはプフィッツナーの《古い歌》、スイスの詩人ゴットフリート・ケラーの詩に付けた8曲からなる歌曲集である。愛と死を基調とし、天国へのあこがれまでが歌いつがれる。演奏される機会が少ない曲だが、プフィッツナーらしい古風な響きをデセイはとつとつと歌っていった。
彼女の声は前方だけでなく、両脇、後方にもかなりの密度を持って響く。二度目の声帯の手術の後、コントロールに苦労することもあったようだが、この日は声の状態は良く、安定していた。

プログラムの後半はフランス語の歌。ショーソン、ビゼー、ドビュッシーの歌曲とグノーの《ファウスト》から「宝石の歌」。
歌曲は、過ぎ去った幸せ、別れ、死化粧など、愛の終焉、そして死を意識させるもの。なかでも、ビゼーの「別れを告げるアラビアの女主人」の “Hêras! Adieu! Adieu!” の繰り返しが次第に熱を帯びていくさまは、女性の想いの深さを表わし、リサイタルのサブタイトル “Portraits de femmes” を聴き手にはっきりと意識させるものであった。
ドビュッシーは、カサールのピアノ・ソロをはさんだが、いったん楽屋に戻ったデセイはピアノが続いている間に舞台にもどり、そのまま歌い始める。プログラムのつながりを大切にした演出。
最後の「宝石の歌」は彼女のもともとのレパートリーに近い曲。前半の「糸を紡ぐグレートヒェン」と呼応した曲でもあり、女性が人生を振り返り、美しい時間を思い出すということで、リサイタルの円環が閉じられる。一般の女性の生涯をテーマとしていながら、デセイ自身の歌手生活も投影されている。「宝石の歌」の技巧的な輝きは今の彼女の最高の姿を見せてくれた。

アンコールの3曲目を終えた後、カサールは大きな花束を持ってあらわれ、デセイに渡し、すぐにピアノを弾きだす、”Happy Brithday”、会場も唱和する。この日はデセイの52歳の誕生日だったのだ。次に登場したとき、彼女はバースデーケーキをかかえ、4曲目となるアンコールを歌った。《ラクメ》より「美しい夢をくださったあなた」。それはむしろ我々聴衆の彼女に対する気持ちなのだが・・・・
彼女がオペラの舞台に戻ることはおそらくないだろう。高音域の響きも限界はある。しかし、こういった緻密なプログラムでのリサイタルは彼女の独自性を発揮できるもの、この分野での活躍を期待したい。