冨田一樹 オルガン・コンサート|片桐文子

冨田一樹 オルガン・コンサート 

(ライプツィヒ国際バッハコンクール オルガン部門第1位記念凱旋コンサート)

2017318日 羽曳野市立生活文化情報センター(LICはびきの)ホールM
Reviewed by 片桐文子Fumiko Katagiri
写真提供:羽曳野市立生活文化情報センター(LICはびきの)

<演奏>
冨田一樹(Org)

<曲目>
C.P.E.バッハ:幻想曲とフーガ ハ短調 Wq.119/7, H.75/5
J.S.バッハ:
  「装え、おおわが愛する魂よ」BWV654
  「われは神より離れず」BWV658
J.G.ミューテル:幻想曲第3番 変ホ長調
J.S.バッハ:ヴィヴァルディによる協奏曲 ニ短調 BWV596
***(休憩)***
J.S.バッハ:
  「来たれ聖霊、主なる神よ」BWV651
  「愛するイエスよ、われらここにおり」BWV731
  「主なる神、われらの側にいまさず」BWV1128
  フーガ ロ短調 BWV579
  パッサカリア ハ短調 BWV582

 

バッハ国際音楽コンクールのオルガン部門で、日本人初の優勝という快挙を成し遂げた冨田一樹のオルガン・リサイタル。TBSのドキュメンタリー番組「情熱大陸」で紹介されたこともあって、音楽界のみならず一般の人びとの耳目も集め、今や「時の人」。まだ大学院(ドイツ・リューベック音楽大学)在学中、27歳の若さなのだが、あちこちで引っ張りだこの人気である。

大阪音楽大学出身ということで、地元の盛り上がりはなかなかのもの、いずみホールでもこのあとリサイタルがあった。できれば両方を聴きたかったが、今回、LICはびきのリサイタルを選んだのはいくつか理由がある。
このホールのオルガン(フェルスベルク社製)は、バッハと同時代のオルガン・ビルダー(制作者)、ゴットフリート・ジルバーマンのコンセプトを基に制作されたもので、日本では初めての試みと話題になった。さらに、LICはびきのでは長年にわたって毎年、大阪音楽大学のオルガン専攻生によるコンサートを開催していて、冨田も在学中からたびたび演奏してきたという。ゆかりの地の、バッハ由来のオルガンで、話題の奏者を聴く。これはぜひ行っておきたい!

LICはびきのは大阪近郊(新大阪駅から1時間余)、丘陵地帯をバスに揺られて到着する。ホールの響きは柔らかく、舞台正面にしつらえられたパイプオルガンは、シンプルで美しいデザイン。600席余の客席は満員だった。後日のいずみホールも満員の盛況だったと聞くが、ここはおそらく地元の人々が多いのだろう、くつろいだ雰囲気で、奏者に向けられる拍手は温かいものだった。パイプオルガンという、日本人には少々なじみにくい世界に、こうして話題性と実力を兼ね備えた演奏家が登場したこと。そのことの意義を痛感させられる光景で、嬉しかった。

前半は「激戦バッハ・コンクールでの演奏再現!」と題したプログラムで、コンクールの課題曲だった作品が並ぶ。最初の4曲は、ライプツィヒ近郊(レータ)聖ゲオルク教会のジルバーマン・オルガンで演奏・審査をされたそうだ。
後半はオール・バッハで、奏者お気に入りの作品が並ぶ。オルガン・コンサートでよく耳にする有名曲と、珍しい作品とが組み合わされた、上手い選曲。
休憩後には、大阪音楽大学やLICはびきののオルガン講座で講師を務める、関西を代表するオルガニスト・土橋薫が聞き役となって、冨田の話を聞くトーク・コーナー。冨田の飄々とした人柄を感じさせるやりとりで客席からは笑いももれ、親しみが増す。

冨田の演奏は、とくに足鍵盤の扱いの巧みさが大きな要素と思うが、キレが良く、生き生きとしている。音色の選択は、奇を衒うことなく正統的なものだが、1つ1つの声部がくっきりと浮かび上がり、鍵盤の使い分けによる曲想の対比が明瞭。でも極端には走らず、とてもバランスがよく品のある選び方と思う。
なかでもJ.S.バッハのBWV658、596、651、579、582の演奏が印象に残り、特にフーガの演奏が闊達で、面白い。
緩徐楽章も美しかったが、さすがに若さも感じさせられて、年配の音楽家の味わい深い演奏を思い出したりしたが……それは高望みというもの。逆に、これからが楽しみなところと思う。

気になると言えば、曲の終わりの音の延ばし方。あっさり短すぎと感じる曲もあれば(冒頭の C.P.E.バッハ、ミューテル)、長すぎる(BWV651、582など)と思うこともあり、なかなかこちらの呼吸と合ってこないなぁという印象。オルガンのリサイタルでは、他の奏者でも時折感じることなので、奏者が演奏台ではかる呼吸と、客席の呼吸とがずれやすいのかもしれない。ただこの日の演奏会では、このずれを感じることが多かったので、もしかしたら、課題は「呼吸」と「うた」なのかもしれない、などと思った。

オルガンは教会で聖歌の伴奏として発展してきた歴史があり、パイプに空気が通ることで発音する楽器でもあるので、筆者は何よりも「呼吸」が大切な、歌う楽器と思っている。それからすると、冨田の演奏は「器楽的」と言えるのかもしれない……もちろん、器楽的で良いわけだけれど……などなど、聴きながらいろいろ考えさせられた。
ただこの1週間後、日本オルガン研究会が開催した「日本オルガン会議」で、再び冨田の演奏を聴く機会があって(東京・国際基督教大学のリーガー社製オルガン)、その時はそのような違和感はなく、鮮やかな終結だった。

今後も、いろいろな場、いろいろなオルガンで、注意して聴き続けていきたい、そしてぜひ、年齢とともに深まる音楽を聴きたいと思う。これからの活躍を楽しみにしている。