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The 饗宴(東アジア文化都市2017京都オープニング事業)|能登原由美

The 饗宴(東アジア文化都市2017京都オープニング事業)

2017年3月19日 京都芸術センター
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by Kim Sajik/写真提供:京都芸術センター KYOTO ART CENTER

【オープニング:書】
白井進、吉井公林

【第一部:音×舞「古木参天さんざめき」】
<作曲>
朴守賢

<出演>
金一志(舞踊)
杵屋浩基(三味線)
李在洙(テグム)
清水久恵(二胡)
和田悠花(ソプラノ)
崔理英(ピアノ)
金克典(韓国打楽器)

<曲目>
1.京(三味線、テグム、二胡、ピアノ)
2.白の御神樂(舞踊、ソプラノ、ピアノ)
3.揉琴〜飛泉(三味線、二胡、ピアノ)
4.星空への願い(テグム、ピアノ)
5.靈劍(舞踊、三味線、テグム、二胡、ピアノ、韓国打楽器)
6.古木参天さんざめき(舞踊、三味線、テグム、二胡、ソプラノ、ピアノ、韓国打楽器)

【第二部:狂言×中国変面「からくり人形」】
<作・演出>
村上慎太郎(夕暮れ社 弱男ユニット主宰)

<出演>
茂山千五郎(大蔵流狂言師)
茂山茂(大蔵流狂言師)
姜鵬(中国変面王)
中村壽慶(邦楽囃子方)
井口竜也(大蔵流狂言師)

異なるものを掛け合わせるのは一見面白い。融合を目指すにせよ、並行で終わらせるにせよ、それによって何が出てくるのか、どのような化学反応が起きるのかはわからない。わからないだけに、作り手と受け手の胸は期待と好奇心で一杯になる。だが、常に首尾よくいくとは限らない。チャレンジ精神を褒め上げるだけで終わることもしばしばだ。

東アジア文化都市2017京都のオープニング事業。公演前には京都市長による挨拶もあった。日中韓三ヶ国の文化交流をうたうが、文化交流を通して政治的にもうまく交流していきたいというのが本当のところであろう。年々複雑になっていく三ヶ国の関係を前に切にそう願うが、今日の行事は政治とは切り離したところで楽しみたいものだ。

オープニングは二人の書家による実演から始まった。本公演のタイトルである「饗宴」の二文字を二枚のカンバスに分け、一人一文字ずつ書き進めていく。文字の浮かび上がった二枚のカンバスは、終演まで舞台の両端に。二人の書家による筆致の違いは、これから始まる公演の前口上と捉えるべきか。ただし、実演自体はあっという間であったが、終始目に飛び込むこの二文字の存在感は予想以上。通奏低音のように公演全体を支えることになった。

第一部は音と舞。大阪を拠点に活躍する若手作曲家、朴守賢が作曲と構成の全てを担う。朴はとりわけ吹奏楽作品で人気、評価ともに高い作曲家だが、一方で、東アジアの伝統楽器や言語への関心も高く、それらを融合させながら独自の音楽書法を追求してきた。そうした汎アジア的な創作態度や、西洋と東洋の違いを超えた音の世界を目指す姿勢が評価され、白羽の矢が当たったのだろう。

朴は<古木参天さんざめき>と題し、6つの自作品を用意した。三味線、テグム、韓国打楽器、二胡という三ヶ国の伝統楽器に、韓国舞踊とソプラノを加え、曲の編成に応じて東アジアと西洋の音楽・舞踊を様々に掛け合わせる。全ての曲に取り入れられたのはピアノ。朴の説明によれば、この西洋伝来の楽器が「統合」の役割を担っているという。確かにその説明は納得のいくものではあるが、全曲を通して聞くと、ピアノは諸刃の剣であると強く感じさせられた。音域や強弱の幅も広く単旋律から和音まで万能な楽器ではあるが、何よりもその平均律による絶対的な音程間隔が、テグムや二胡の微細な音程や音色の揺れから生まれる特性を覆い隠してしまう。とりわけ3曲目《揉琴〜飛泉》や4曲目《星空への願い》のように、テグムや二胡とピアノが共に旋律を奏する曲でそれが顕著になっていた。

一方、舞踊を融合させる試みは、朴のそれまでの音楽に新局面を与えたように思う。これは特に、二曲目の《白の御神樂》で鮮明に感じられた。一音一音、神妙に、交わることなくゆるやかに推移していくピアノとソプラノ。その上に、白装束に白布を手にした舞い手の動きが音もなく重ねられていく。いや、音こそ発しないが、舞はここでは3つ目の旋律だ。3つの旋律は、エネルギーを徐々に蓄積させながら曲の終盤へと向かい、その放出とともに静かに至福のときを迎える。視覚と聴覚によって創出されたポリフォニーの波が、会場を埋め尽くすかのようだった。本作については以前、巴烏(バーウー、中国や東南アジアに伝わるリード楽器)とファゴットの編成で聞いたが、ピアノ、ソプラノ、韓国舞踊という今回の編成では、旋律線の絡み合い、エネルギーの推移が一層明確になっていた。また舞によって空間性を持たせることで、時間と大気の流れがより大きなスケールになったといえる。

第二部は狂言と中国変面。劇団「夕暮れ社 弱男ユニット」を主宰する村上慎太郎が、二つの伝統芸能を掛け合わせた《からくり人形》を新作した。筆者も本公演で初めて知ったのだが、中国変面とは演者が面を瞬時に変えていく技のことらしく、四川省に伝わる伝統芸能「川劇」の技の一つとのこと。村上は舞台を江戸時代に設定し、からくり人形に目がない大名が、詐欺師と貧乏人の仕掛けた「踊るからくり人形」に大金をつぎ込むという狂言話を創作した。変面の技を狂言の笑いへと転化させたストーリー展開もさることながら、「踊るからくり人形」を演じる姜鵬が、舞台から客席まで縦横に踊りながら次々と面を変えていったのは見事というほかない。会場は大いに盛り上がった。

総じてみれば、異なる文化、異なる人々の発想や息遣いがさまざまな形で掛け合わされていたけれども、冒頭から両端に置かれていた「饗宴」の二文字が表すように、違いは違いのままに、それでいて何かしら通じ合い、共振する場を創生していたように思う。楽しい公演であった。