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札幌交響楽団 東京公演2017|藤原聡   

札幌交響楽団 東京公演2017

2017年3月14日 東京芸術劇場 コンサートホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

指揮:ラドミル・エリシュカ

<曲目>
メンデルスゾーン:序曲『フィンガルの洞窟』 op.26
シューベルト:交響曲第5番 変ロ長調 D485
ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op.68
(アンコール)ドヴォルザーク:『ユモレスク』

 

毎年2月もしくは3月に行なわれている札幌交響楽団(札響)の東京公演。近年では2013年~2015年にかけて尾高忠明の指揮によって行なわれたシベリウスの交響曲全曲の名演が忘れ難いが、2015年に尾高が札響の音楽監督を勇退したことに伴い、2016年の東京公演は名誉指揮者であるラドミル・エリシュカに引き継がれる。そこでチャイコフスキー:交響曲第4番の剛直な名演をものしたことにより、恐らくは当日サントリーホールの多数を占めていたと思われる「エリシュカ&札響の実演に初めて接した」聴衆に圧倒的なインパクトを与えたことと思う(筆者は2015年6月に札幌コンサートホールKitaraにてこのコンビの実演を初体験。2016年の東京公演にももちろん接している)。
そして今年2017年も同じくエリシュカが登場、リニューアル工事中であるためにいつものサントリーホールから東京芸術劇場に会場を移して東京公演が行われた。今回はドイツ~オーストリアのいわば王道プログラム。

1曲目のメンデルスゾーンからエリシュカの演奏の特質が明確に理解できる。基本的にインテンポを固持し無用に動かさない。フレーズを大掴みに捉えて速めのテンポで流れを重視する。部分から全体を積み重ねるのではなくてまず全体を見通し、その中から部分の表情やテンポを決めて行く。これらは、『フィンガルの洞窟』という、一般的には「音楽による風景画」と見做される曲を演奏しても変わることがない。剛直で線が太く、逞しい。「しな」を作って聴き手にすり寄ったりしない。しかし、そういう中にふと見え隠れする人懐っこい表情や繊細な表情と音楽の生々しい息遣いが絶品であり、どのような曲を演奏してもモダニスト的印象が前面に来るエリシュカの内なる表現衝動が「自ら嵌めたタガ」から自ずと溢れ出て来るところにこそエリシュカの魅力がある。

それはあの素晴らしい曲、シューベルトの『交響曲第5番』でも然り。実にハードボイルドである。エリシュカはこの曲を初期ロマン派の抒情に満ちたナイーヴな楽曲としてではなく、古典派のようなある種の「普遍性」を持った「形式の音楽」と捉え、我々が普段聴き慣れた演奏からすると相当にザッハリッヒ(即物的)かつ厳格とも言えるような感じでザクザクと進めて行く(余談だが、グールドはとある映像で「内気な音楽というのはこれだよ」と言ってシューベルトの『交響曲第5番』を弾き始める)。この演奏で魅力的なのは瑞々しい音色、キビキビと弾むリズムの冴え、躍動感。余分な情緒を加えないがために成立した抽象的な「美」である。

休憩後のブラームスでも同じだ。これはエリシュカの美学が首尾一貫していることの表れだが、ここでは曲が曲だけにその音に重厚さが大きく付加される。まるでドイツのオケかと思ってしまうようなピラミッドバランスの弦楽器(チェロとコントラバスの強靭さ!)、隈取の明確な木管楽器群、輝かしくも渋みある金管群。
第2楽章の音色は包み込まれるような温かみがあり、札響自慢の透明な弦楽器群であるからそれがなおさら映えるが、曲によってガラッと音を変えてしまえるのは、繰り返すがエリシュカが「曲=テクスト本位」で演奏を考えているからだ。
しかし、ここではそのエリシュカが、特に終楽章では意表を突くテンポの変化やデュナーミクをも用いて相当に独自の「揺さぶり」をかけていたのが興味深い。この形式と我の危うい均衡。結果は大成功であろう。ドライでもなく、さりとて個性的と称したエゴの押し売りでもなく。最近聴いた「ブラ1」の中で疑いなく最高の名演奏。これだからエリシュカは聴き逃せない(金銭的・時間的余裕があればエリシュカの札響、大フィル他の客演全てを地元まで遠征して聴きに行きたい程だ)。

アンコールはドヴォルザークの『ユモレスク』。エリシュカが読響を指揮した『新世界より』を実演で聴いた際には、その絶妙、というも愚かな深みのある表情付けに圧倒された記憶があるが(会場も同じ東京芸術劇場)、やはりドヴォルザークを振るとこのモダニストの音楽により懐かしい味わいが前面に出て来るようだ。これもまた至芸。
このコンサートが行なわれた翌月4月にエリシュカは86歳となった。それを微塵も感じさせない音楽の緊張感と瑞々しさ、そして若々しい立ち居振る舞い。この指揮者には少なくともストコフスキー越えの96歳(!)までは指揮を続けて欲しいものだ。