パリ・東京雑感|謝罪の力~少女像をめぐって|松浦茂長
謝罪の力~少女像をめぐって
text by 松浦茂長( Shigenaga Matsuura)
世界が北朝鮮の無軌道ぶりをハラハラして見守っているさなか、韓国駐在の日本大使の<一時帰国>が3か月も続いた。毒ガスか原爆を積んだロケットがいつ飛んでくるか分からない一触即発の状況だというのに、大使がいなかったとは恐ろしい。少女像がなぜこれほどの外交問題になったのか。慰安婦について考えるとき、フランスで見たテレビニュースを思い出す。
ナチの強制収容所跡での追悼行事の一コマ。中年のドイツ人女性がマイクの前で涙をぽろぽろ流しながら話している。彼女はかつての看守の娘で、ユダヤ人の生き残りの子たちと一緒に収容所を訪ね、彼らに向かって父親の犯した罪の許しを求めているのだという。謝罪というのは、大統領が1回謝り、補償金を払えばそれで終わりというものではないらしい。
戦後ドイツでも、国民は「悪いのはナチスだ。自分たちは犠牲者だ」という被害者意識が強く、政治指導者が率先して謝罪したことに批判的だったようだが(1952年イスラエルへの補償を決めた当時、支持したドイツ人は11パーセントしかいなかった)、1990年代になると市民の間から、「普通のドイツ人もナチスに心酔し荷担したではないか」と、自分たちの過去の責任を問い直す動きが強くなったという。
ベルリンに行ったら、ブランデンブルク門の南の1万9000平方メートルの広大な空間をユダヤ人犠牲者の記念碑がびっしり埋めているのを見て息がつまりそうになった。統一ドイツのシンボルともいえる場所に、ドイツ史の恥の圧倒的な記念碑を建てる。皇居前広場を数千の<慰安婦>像で埋めるようなものだ。2012年には議会の建物の前にナチスに殺されたロマ(ジプシー)の追悼碑が建てられ、メルケル首相が除幕式を行った。謝罪は年々深みと広がりを加えて続くのである。
以前、イギリスにいるドイツ人教師から「毎年毎年あのひどい時代を振り返り、外国の前に恥をさらさなければなければならないのはつらい。いつまでこれを続けなくてはいけないのか、とたまらない気持ちになりますよ。あなたは日本人だから分かるでしょう。」と告白されたことがあるし、「ホロコーストは嘘だ、収容所はなかった」と信じるドイツ人、ヒットラーを敬愛し続けるドイツ人もいた。ドイツは国民に戦争という犠牲を強いたのに続き、戦後は謝罪の恥辱という精神的犠牲を課してきたわけだ。
ヴァイツゼッカー大統領が東京で記者会見したとき、「日本は韓国、中国への謝罪がなかなか通じないのにくらべ、ドイツが謝罪に成功したのはなぜか」と質問され、「私たちはキリスト教の伝統の中に生きており、人間は悔い改めることによって生まれ変わると考えています。日本は違う文化伝統を持っているから、この考えは通用しないでしょう」という意味の答えをした。
日本が<恥の文化>だとすれば、たとえどんなに悔い改め謝罪したところで恥が消えるはずはない。長年フランスで暮らした日本人彫刻家K氏は「ヨーロッパ人はいい加減だよ。謝れば許されちゃうのだから」と口癖のように言っていた。過ちを犯し、恥を雪ぎたければ死ぬのが唯一の正しい解決であり、謝罪に積極的な意味はない。保守の論客西尾幹二氏も、「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」の一節で知られる1985年のヴァイツゼッカー演説を欺瞞だと糾弾し「ドイツ民族がユダヤ民族に行った絶滅政策を真に反省し、清算するなら、……道徳上の論理を突きつめるなら……ドイツ民族の絶滅を容認せざるを得ないであろう。」(『日本とナチスは同罪か』p105)と集団ハラキリを勧めている。
哲学者のモーリス・ベレ師に言わせると、ヨーロッパでは謝罪する人は尊敬されるのだそうだ。日本では「謝らない欧米人」というのが通念になっていて、「外国に行ったらむやみに謝ってはいけない」と本にも書いてあるくらいだから、「謝罪する人は尊敬される」と聞いても首をかしげたくなるが、この態度の源流は中世にまでさかのぼる。
コレージュ・ド・フランスのミシェル・ザンク教授が『謙虚と恥辱』という2年連続の講義をした。ヨーロッパの中世は騎士の時代だから、日本の武士と似て名誉を命より大切にする<恥の文化>に生きていた。おもしろいことに、フランス人がヨーロッパ中世を<恥の文化>として再認識したのは、ルース・ベネディクトの『菊と刀』が与えた衝撃によるのだそうだ。この本は戦争中アメリカが不可解な敵国日本を知るために文化人類学者を動員して書かせた日本人論の古典だが、ヨーロッパ人にとっては、彼らの<罪の文化>と異質の文化を体系的に理解するための材料を提供したのである。しかし、ヨーロッパ中世は激しいコントラストの時代だ。一方に名誉に生き名誉に死ぬ騎士道があり、もう一方に、謙遜を説くキリスト教があった。社会は恥を何よりも恐れたのに宗教は恥を愛したから、人々は対立する2つのモラルに引き裂かれ、その倫理的ジレンマの中から<辱めによる贖罪>の思想が練り上げられた。
『悪魔のロベール』という物語がある。子供のない公爵夫人が悪魔に頼んで出産の願いを果たす。ところが息子ロベールは気性が荒く、修道女を犯し、修道院を焼き払い皆殺しにするなど乱暴の限りをつくす。たまりかねた母はロベールに出生の秘密を語る。自分が悪魔の子(生物学的には夫侯爵の子ではあるが)と知ったロベールは森の隠者を訪ね、罪を告白。隠者は許しを与え、贖罪のため狂者として生き、犬に与えられる食べ物を犬から奪って食べ、口が利けないふりをするよう命じる。ロベールが町に入ると、町中の人が出てきて、濡れたぼろきれや汚物をなげつけ、棒でなぐり唾を吐きかけて面白がる。口々に罵りと嘲りを浴びせるが、抗弁することは出来ない。中世の人にとって言葉をしゃべれることが人間のしるしだったから、言葉を禁じられたロベールは獣と同列に身を置く恥辱に生きたのである。
悪魔の子すら許される狂の贖罪。狂がかくも貴ばれたのはこれ以上の辱めは考えられないから。そして「恥の文化」に生きる中世人にとって辱めは死よりつらい究極の苦しみだからだ。究極の苦しみには究極の贖罪力が期待されるはずだし、同時に恥辱は十字架の恥を耐えたイエスを真似る喜びでもある。恥を憎む社会と恥をたたえるキリスト教という二重モラルの中から、こうして西欧は辱めのなかに高貴なものを見る伝統を生み出した。涙ながらに謝罪する人に対しヨーロッパ人が尊敬の気持ちを抱くのには、中世以来の心の歴史があるように思う。(2016年1月のコラム「娼婦・聖女神話~マグダラのマリアから『奇跡の海』まで」の中で司祭殺しの『聖母の奇跡』という贖罪物語を取り上げた)
一見荒唐無稽な中世の物語から現代を生きる知恵を読み取ろうと試みるのはザンク教授だけではない。ワグナーの楽劇『パルジファル』のバイロイト公演(2012年)をテレビで見て、はじめは「なんだこれは」という感じだったが、繰り返して見るうち、歴史を振り返る真摯な姿勢に打たれ、納得させられた。時代はナチスが支配した戦時から民主化される戦後に設定され、最後の場面の背景はベルリンの国会議事堂である。前奏曲のあいだ、パルジファルの母の死の無言劇が演じられる。大人たちが幼いパルジファルをベッドの母に近づけようとするが、身をもがいて逃れ、外でのんきに遊ぶうちに、母はのたうちまわって息絶える。この冷酷・鈍感な少年がやがて聖杯王国を破滅から救い、癒えることのない罪の傷の痛みにもだえ苦しむアンフォルタス王に平安を与えるまでの物語であり、痴者による贖罪と救済がテーマだ。
舞台はパルジファルが思いやりのない痴者として放浪する間、ナチスの軍国主義支配が続き、パルジファルが同情心を獲得し、聖杯王国の救済を果たすとき、ドイツは民主主義に生まれ変わる。苦しむ人を見て一緒に苦しむことのできる人間に変わるまでのパルジファルの試練が、ドイツ再生への試練に重ねあわされるのである。
私たちは2015年、メルケル首相がシリア難民を無制限に受け入れると言ったとき、そしてドイツ市民が難民を熱狂的に出迎えるのを見たとき、ドイツがどれほどの高みに生まれ変わったかを思い知らされた。フランスのラジオからは「19世紀にフィヒテがドイツ人によるドイツ語の国を唱え、わがルナンは言語や民族を越えた国を唱えたが、いまはフランスがフィヒテの国へ、ドイツがルナンの国へと逆転した」とうらやむ声が聞こえた。70年間の贖罪によってドイツは他者の痛みに最も敏感な国に生まれ変わり、新しい統一ヨーロッパの倫理をリードする国の位置を占めるようになった。人権の祖国を自負するフランスとしては不面目な敗北を認めざるを得なかったのである。(2017年4月5日)