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広島交響楽団 第368回定期演奏会 秋山音楽監督ファイナル“マチネ”|馬場有里子

広島交響楽団 第368回定期演奏会 秋山音楽監督ファイナル“マチネ”

2017年3月18日 広島文化学園HBGホール
Reviewed by 馬場有里子(Yuriko Baba)
写真提供:広島交響楽団

<演奏>
指揮:秋山和慶
管弦楽:広島交響楽団
クラリネット:ダニエル・オッテンザマー

<曲目>
モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K.136
モーツァルト:クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
(ソリストのアンコール … ダニエル・オッテンザマー レミニセンス「回想」)
―(休憩)―
R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

 

1996年に初めて客演指揮者として広響を振り、1998年4月に首席指揮者・ミュージックアドバイザーに就任(2004年からは音楽監督・常任指揮者に就任)して以来、約20年の長きにわたって同交響楽団を率いてきた秋山和慶の、音楽監督・常任指揮者として最後の定期演奏会が、桜の開花も待ち遠しい3月半ばのおだやかな陽気の中、マチネで行われた。地元新聞社の紙面には、数日前に「チケット完売」の告知が載り、会場には満員の聴衆が詰めかけた。

20年と言えば、人で言えば生まれて成人するまでの年月でもある。一昨年出版された自身の回想録『ところできょう指揮したのは?』(冨沢佐一との共著、アルテスパブリッシング)の中で、秋山は、オケは成熟までに100年ぐらいかかると述べている。出会った頃の広響は26年目、「まだ少年期で、育てがいのある楽団」と感じたという。オケの成長尺度で言うなら、約20年後の今の広響はさしずめ成長真っ盛りの思春期といったところか。この日の「ファイナル」はそんなことにも思いを巡らせながら耳を傾けた。

秋山がプログラム冒頭に置いた《ディヴェルティメント ニ長調》K.136は、桐朋学園のオケで故斎藤秀雄から最初に薫陶を受けた、まさに原点といえる曲。出だしから、非常にクリアかつ軽やかで優美な音に引き込まれる。春のそよ風が吹き抜けるような心地よさは、しなやかで自然な呼吸を感じさせるフレージングから来るのだろう。気品漂わせるその音色から、香りまで立ち上ってくるように感じたのは、これが初めてだ。反復される下行音型での絶妙なデクレッシェンドをはじめ、細部まで考え抜かれた完成度の高さにも感嘆しきり。アンサンブルのバランスも素晴らしい。弦5部によるこのディヴェルティメントは、広響弦パートのまごうかたなき成長の跡の、見事な証となった。

続いて、同じくモーツァルトの《クラリネット協奏曲 イ長調》K.622。迎えたソリストがあのウィーン・フィル首席のダニエル・オッテンザマーというのは、音楽監督・秋山による定演の掉尾を飾るにまさにふさわしい華やかさだ。聴く前からクオリティの高さはいわば保証済みと言えようが、初顔合わせとなる広響との相性はいかに。
果たして、そこから生まれたのはまさに極上の、と言いたくなる音楽だった。オッテンザマーのモーツァルトは、あたかも、腕利きの料理人が、自らの包丁の冴えと繊細の粋を極めた味付けだけで、飛び切りの素材からその持ち味を最大限に引き出した絶妙の一品を作り出すような、息をのむ美しさ。なかでも強く印象に残ったのが、どの音域もなめらかに柔らかく澄んで響く音色使い、そして、ときに5つか6つくらいp記号がつくのではと思うほどの最々弱音までに及ぶディナーミクのパレットの豊かさだ(ちなみに、その抜きん出たセンスと技量は、アンコールで披露された自身の作曲による《レミニセンス「回想」》でも如何なく発揮されていた)。
一方の広響も、そのオッテンザマーに見事なまでにぴったりと合った息遣いで、コンチェルトでありながら心通う仲間たちと奏でる室内楽のようにも感じさせる、音楽による親密な会話を繰り広げた。
秋山の、脇に控える名執事のごとく、あくまでさりげない気配りで両者に寄り添う指揮ぶりも実に秀逸。それにしても、音楽を通したここまでの幸せな化学反応は、おそらく一昨年8月のマルタ・アルゲリッチとの共演以来とも言えるだろう。秋山の‘ファイナル’に忘れがたい花を添える名演となった。

ここまでの前半で心は既に十分すぎるほどに満ち足りていたのだが、この日はまだ必聴の大曲が控えている。秋山にとって、広響では1997年の2回目の客演以来、実に20年ぶりというR.シュトラウスの《交響詩「英雄の生涯」》。規模としても内容としても、音楽監督としての集大成となるこのファイナルで取り上げるにまさに相応しい作品と言えよう。
全6部で構成されるこの壮大なドラマの、冒頭の勇壮な英雄の主題から、力強くツヤと伸びやかさのある響きに一気に引き込まれた。強奏でも割れず、まろやかさも具えた金管、豊かなふくらみのある弦。上々の出だしに期待が高まる。
第2部以降も、次々に立ち現れる特徴的な主題がそれぞれに説得力ある存在感と立体感をもって描き分けられ、巧みなドラマ的起伏と緩急をもって進んでいく。叙事詩的なスケール感と奥行きを演出しながら、45分を超える演奏時間をあっという間と感じさせた手腕は、さすが秋山である。
そのタクトに応える広響も、「英雄の敵」や「英雄の戦場」での、不穏な嘲笑、鋭く抉るように迫る力強い音の奔流から、「英雄の伴侶」のたおやかな美しさ、曲終焉の深みのある静謐さまでを見事に演じ分け、役者としての成長ぶりをまざまざと感じさせた。
秋山・広響の到達点となる渾身の演奏に、鳴り止まない拍手とスタンディング・オベーションが続いたのは言うまでもない。

この4月からはいよいよ、恩師である秋山からバトンを継いで音楽総監督に就任する下野竜也のもと、広響の新時代が始まる。脇を固めるのは、下野の信頼を受け首席客演指揮者に就任するクリスティアン・アルミンクに、ミュージック・パートナーに就任するウィーン・フィル・コンサートマスター、フォルクハルト・シュトイデ。さらなる高みを目指す広響の今後に、期待と興奮は尽きない。