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東京フィルハーモニー交響楽団 第107回東京オペラシティ定期シリーズ|大河内文恵   

東京フィルハーモニー交響楽団 第107回東京オペラシティ定期シリーズ

2017年2月23日 東京オペラシティ コンサートホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ミハイル・プレトニョフ:指揮
アンドレイ・イオニーツァ:チェロ
東京フィルハーモニー交響楽団

<曲目>
ストラヴィンスキー:ロシア風スケルツォ(シンフォニック版)
プロコフィエフ:交響的協奏曲(チェロ協奏曲第2番) ホ短調 作品125
(ソリスト・アンコール)
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番より サラバンド
プロコフィエフ:「子どものための音楽」Op.65より マーチ

~休憩~

ストラヴィンスキー:バレエ『火の鳥』組曲(1945年版)

 

プレトニョフによるオール・ロシアものプログラム。ファンにとっては垂涎の演奏会である。が、少し気が重かった。プレトニョフがまだピアニストだった当時の筆者の印象は、完璧なテクニックをもつザ・完全主義の人。凄いことはわかるけれど、どちらかというと苦手だった。それゆえ、彼が指揮者となってからも、積極的に聴く気になれず、これまでなんとなく避けてきた。今回、機会あって聴くことになり、どうやら大いなる勘違いをしていたことに気づいたのだった。

『ロシア風スケルツォ』は予想していたよりも若干遅めのテンポで始まった。2回あらわれるトリオの部分に危なっかしさを感じはしたが、スケルツォ部分のロシア・バレエを見ているようなキラキラと立体的に輝く音色がそれを補っていた。3回目に出てきた最後のスケルツォは、このまま続くと見せかけていきなり終わる体なのだが、それを唐突に感じさせずにかっこよく終わらせて、わずか4分ほどの曲をうまくまとめるところはさすがである。

プロコフィエフのチェロ協奏曲のソリストは、2015年のチャイコフスキー国際コンクールの覇者で、プレトニョフからのオファーにより今回の協演が実現したという。まだ若いチェリストであるが、ソロの出だしの音を聴いた瞬間に惹き込まれた。同じプロコフィエフのバレエ『ロミオとジュリエット』『シンデレラ』を思い起こさせる中低音が充実したオーケストラの響きに酔いしれる1楽章が終わると、いよいよチェロの超絶技巧が散りばめられた2・3楽章。速いパッセージもほとんど崩れることなく弾いているところはさすがだが、普通に上手いというレベルと言えなくもない。

そんな彼を支えたのはオーケストラだった。チェロとオーケストラで同じパッセージを遣り取りするところでは、「ほら、こんなふうに弾いてごらん」とオーケストラが音色やフレージングの手本をみせ、チェロが見事に応える様子がみられたほか、この若者がなんとか上手くいくよう指揮者とオーケストラが一体となってフォローしていた。

数十年前の日本のオーケストラでは、海外の有名な指揮者やソリストと共演して彼らに引っ張ってもらうことが多かったように思われるが、プレトニョフがついているとはいえ、海外の若手ソリストを引き上げるという逆の立場にたてるように日本のオーケストラもなったのかと感慨をかみしめながら、湧きあがる拍手を聞いた。

ソリスト・アンコールはまず、バッハの無伴奏チェロ組曲より第3番のサラバンド。昨年10月におこなわれたリサイタルで演奏されたもので、筆者はそのリサイタルを聴いていないが、自信を持って弾いているのがわかった。協奏曲での余裕なさそうな様子と対照的に、良い意味で若さを感じない演奏だった。2曲めはプロコフィエフの子どものためのピアノ曲集の中の1曲をチェロ用に編曲したもの。先ほどのバッハとはうって変わった軽妙で洒落た雰囲気によって、彼のポテンシャルの幅広さを示したといえよう。いずれにしても、まだ20代前半の伸び盛り。今後どのように成長していくか大いに楽しみである。

最後は『火の鳥』の1945年版で、これは3つ存在する組曲の中でも一番長いものである。バレエで観る場合でも組曲で聴く場合でも、火の鳥が出てくるところ(火の鳥のヴァイリアシオン)で一瞬盛り上がるものの、スケルツォまでは起伏が少なく単調で、聴いているほうはその後の展開を楽しみにじっと耐えるというのがいつものパターンだ。

だが今回は違う。これまでつまらないと思っていた序奏がなぜか面白いのだ。オーケストラのあちこちから魅力的なフレーズが次々と繰り出される。ワクワクしながらそれを追いかけていたら、あっという間にスケルツォに辿り着いてしまった。え?もう?そこから先はもう放っておいても曲の魅力で最後まで飽きることはない。どころか、さらに面白くなった。

プレトニョフの指揮は大げさなことは何もしない。ほんの少しの手の動き、体の向きでオーケストラを引っ張っていく。しかも、彼の動きを見ながら音を聴いていると、まさにその動きの通りの音が次々に出てくるのだ。もうそれが面白くて面白くてニヤニヤが止まらない。終曲の讃歌にきたときには胸がいっぱいになった。たしかにいつも心踊らされる曲ではあるが、今までのどの感動とも違う。

よくよく考えてみると、プレトニョフはその指揮と同様、特別なことは何もしていない。テンポ設定も曲の組み立てもフレージングも。違うのは、オーケストラのすべての楽器がやるべきことをやっているということ。印象的な主旋律を担当する楽器だけでなく、低音も内声も上声でさえも、まるで職人技のように「いい仕事をしている」のである。『火の鳥』は曲そのものに途轍もない魅力があるため、それをうまく音にして勢いさえ失わなければ、演奏として成立してしまう。プレトニョフはごく当たり前のことを当たり前のようにやることによって、その先にあるものをみせてくれた。これまで食わず嫌いしていたことを、心から後悔する夜になった。

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