パリ・東京雑感|トランプ大統領は嘘をつかない~オルタナティブ・ファクトと二重思考|松浦茂長
トランプ大統領は嘘をつかない~オルタナティブ・ファクトと二重思考
text & photos by松浦茂長( Shigenaga Matsuura)
トランプ大統領は自分で嘘と知りながら、政治的目的のために事実と違うことを言うのだろうか、それとも無知と軽率で事実に反することを言ってしまうのだろうか。
たとえば、2月18日にトランプ氏は「昨日の晩スウェーデンで起ったことをご覧なさい。こんなひどいことが起こるとは誰が信じられますか。難民を大勢受け入れた結果があれだ!あの国は途方もない問題を抱えてしまった。」と演説したが、スウェーデン政府には心当たりがないので、米国務省に一体全体どんなテロ事件を指すのか問い合わせたそうだ。どうやら、トランプ氏はフォックスニューズのドキュメンタリーで、ガラス窓の壊されたシーンか何かを見て、「テロだ」と早とちりしたらしい。
トランプ氏は大統領選の得票総数でヒラリー・クリントンに負けたのが許せないらしく、不法移民らによる300万の不正投票があったと言い張ったし、大統領就任式に集まった群衆の空撮写真がオバマ大統領就任時の空撮と並べて新聞に載り、二人の人気の違いが歴然としたため、トランプ氏は終日エキサイトしっぱなし、翌日スパイサー報道官が「トランプ氏は史上最大の聴衆を集めた」と言うはめになった。
こんな子供っぽい負けず嫌いから出た嘘の後始末に、大変な言葉が飛び出す。NBCテレビで、報道官の嘘について問われたコンウェイ顧問は「そんなにドラマティックに考えることはない。報道官はオルタナティブ・ファクトを示しただけよ。」と弁明したのだ。オルタナティブと言えば、陳腐な常識的ファクトと違う新鮮なファクトが別にあるかのような、見事な言い換えではないか。
他方、新聞がトランプ側近とロシアとの怪しい関係について報道すると、トランプ氏は「フェイク・ニュース」と切り捨てる。不都合なファクトはすべて<でっち上げ>というわけだ。トランプ氏は主流メディアに戦争をしかけたのである。ホワイトハウスのブリーフィングからニューヨークタイムズやCNNを締め出すところまでエスカレートした対メディア戦、どうやら現状ではトランプ・チームが優勢。「メディアとトランプ大統領のどちらを信頼しますか?」というエマーソン社の調査に、「メディアは信用に値する」と答えたのが39パーセント、「トランプ政権は真実を語っている」と答えたのが49パーセントだった。
何を嘘と感じるかは時と所によって大きく変わるものらしい。モスクワにいた時それを実感した。ソ連崩壊の直後、『アガニョーク』という人気雑誌に「ゴルバチョフからエリツィンへの引継ぎが深夜までかかったのはなぜか。それは、秘密都市の人口を統計に入れてなかったのでソ連の人口は2億8000万人ではなく、実は4億であり、食糧不足の真の原因はそこにあることを、エリツィンに納得させるのに手間取ったからだ」という記事が載っていた。どうも嘘か冗談の匂いがしたが、念のため助手のガーリャに「本当かな?」と聞くと、「この国ではどんなことでも起こる。」と大真面目だった。彼女は、ロイター通信やワシントンポストで働いてきたベテランだが、ぼくの勘の方が当たっていて、これはエイプリルフールのおふざけだった。
でも、嘘と本当の区別がぼやけてくるのも無理はない。共産党支配下の新聞を読んでも肝心のことは何もわからない、口コミでかろうじて真相らしきものが伝わって来た国だ。ゴルバチョフの時代に、クレムリンの下の広場にいろんな訴えを持った人がテントを張って座り込んだことがある。ある女性は「私は存在しない学校の教師として30年間給料を貰っていた」と言う。計画経済の国だから、数の上では学校数が計画に合っていても、その中には紙の上だけの学校もあり、紙の上だけの先生もいたということらしい。この時もガーリャは「彼女の話を信じる」と言っていた。考えてみるとガーリャが飛びついて信じるのは、政府のデタラメにつながる情報が多かったかもしれない。
その裏返しに、ある老婦人は「ソ連が宇宙に飛行士を打ち上げたなんて、嘘に決まってます。冷蔵庫はすぐ壊れる、テレビは火を噴く、行列しても肉が買えない、こんな暮らしの国に宇宙ロケットなんて作れるはずがない。あれは全部セットで撮影したフィクションです」と不信の固まりだった。彼女は猜疑心の強い性格かと言うと、ガーリャとは対照的に、素朴で人の良さそうなおばあさん。生活の実感から出た国家不信なのだろう。ガーリャの方は、同僚を敵ないし密告者とみなして警戒を怠らないソ連的インテリで、知りすぎたために判断の基準が歪んでしまったのに違いない。
リトアニア(当時はソ連の一部だった)の青年が「この国はアリスの<不思議の国>です」とうまい形容をしたけれど、なるほどそう思えば何もかもフィクションのように見えるし、逆に見方によってはどんな奇妙なストーリーも事実に思えてくる。つまり事実と嘘を見分ける確たる土台が消えた社会だったのだ。ニューヨークタイムズの読書ページにハンナ・アーレントを引用し、こうした現象を読み解こうとした記事があった。「(全体主義の)マス・プロパガンダの聴衆というものは、どんな不条理でもあっさり受け入れたし、騙されたと不服を唱えることもないのがわかった。なぜなら彼らは、どの発言・発表もしょせん嘘だと思っているからだ。この騙されやすさとシニシズムの混合状態は、変化と不安の時代に付き物であり、虚構世界の構築を図る政治家が利用するのにおあつらえ向きの政治風土なのである。」確かに、ガーリャと気の良いおばあさん、正反対の性格の持ち主なのに、<騙されやすさとシニシズムの混合状態>を共有している。
コンウェイ顧問が<オルタナティブ・ファクト>という名文句を発した翌週、一挙に米ベストセラーの一位に躍り出たのがジョージ・オーウェルの『1984年』。この小説の<二重思考>が<オルタナティブ・ファクト>にそっくりだからだ。スターリニズムのグロテスクな姿を投影した未来小説が、ソ連崩壊から四半世紀もたってベストセラーになるとは誰が想像しただろう。
『1984年』の主人公ウィンストンが勤務する<真理省>は、歴史の書き換えが仕事だ。たとえば「つい先頃、この2月に潤沢省は1984年中にはチョコレートの配給は減らさないという約束を公表した。ところが現実には、ウィンストンも知っているように、チョコレートの配給は今週末に30グラムから20グラムへと減らされることになった。したがって、元々の約束を、4月のどこかの時点で配給量の削減が必要になるだろうという警告に置き換えさえすればいいのだった。」という手の込んだ書き換え。党は過ちを犯さないから、つねに<正しい歴史>に書き換えるわけだ。
歴史が毎日書き換えられるのに、もし個人の記憶が昨日のままだとしたら、記憶と歴史の齟齬が起こり、不幸な結果になる。だからこの国の人は前日の記憶すらとどめない。
「チョコレートの配給を週20グラムに増量してくれたというので、<ビッグ・ブラザー(独裁者)>に感謝するデモすらあったらしい。だが、つい昨日—彼は思ったー配給が週20グラムに減るという発表があったばかりではないか。あれから24時間しかたっていないというのに、誰もがそんなことを鵜呑みにできるものだろうか?できる、みんな鵜呑みにしたのだ!」
いま『1984年』を読むアメリカ人はきっと「みんな鵜呑みにしたのだ!」という驚嘆と絶望の混じった台詞をトランプ支持者にぶつけたい気持ちに違いない。≪そうだ、オーウェルの世界と同じ思考の変容が起こったのだ!昨日の記憶をきれいさっぱり洗い流しさえすればよい。そうすれば「トランプ氏は真理を語っている」と心の底から信じることができるではないか。≫
さて問題の<二重思考>は、「ふたつの相矛盾する信念を心に抱き、その両方を受け入れる能力」と定義され、「意識的欺瞞を働きながら、完全な誠実さを伴う目的意識の強固さを保持すること」「故意に嘘を吐きながら、しかしその嘘を心から信じていること、都合の悪くなった事実は全て忘れること」が最も重要とされる。
では、過去の記憶を消し去れない人、嘘を吐きながら嘘を信じきれない人はどうなるか。ウィンストンのように捕らえられ、拷問と注射と脳の電気ショックで<二重思考>の人間に作り変えられる。
「ウィンストン。君は現実とは客体として外部にある何か、自律的に存在するものだと信じている。さらにまた、現実の本質はだれの目にも明らかだと信じてもいる。自分に何かが見えていると思い込む錯覚に陥ったときには、同じものが他の誰の目にも自分と同じように映っている、と君は勝手に想定するわけだ。しかし、いいかねウィンストン、現実は外部に存在しているのではない。現実は精神のなかにだけ存在していて、それ以外の場所にはないのだよ。…現実は党の精神のなかにのみ存在する。…党が真実であると考えることは何であれ、絶対に真実なのだ。」
途方もない詭弁に聞こえるが、<党>を<トランプ>に置き換えて読み直してみてはどうだ。「現実はトランプの精神のなかにのみ存在する。トランプが真実であると考えることは何であれ、絶対に真実なのだ。」だとすれば、トランプ氏が嘘をつくはずはないし(嘘をつくことはできないし)、<オルタナティブ・ファクト>が輝いてくる。
スターリンのときも、ヒトラーのときも、国民の大多数は独裁者に魅了され、身の回りで戦死者や粛清の犠牲が出、生活物資が乏しくなっても、最後まで唯一の救いはスターリン/ヒトラーにあると宗教的信頼を抱き続けた。その間<ファクト>=戦争・粛清・窮乏の意味を問うことを避け、<オルタナティブ・ファクト>の魅惑に浸っていた。その結果、『1984年』の国民のように「類推しない能力、論理上の間違いを見抜かない能力」が養われ、「信じやすく、無知で狂信的で、恐怖、憎悪、追従、勝利の興奮が、支配的な感情」となった。
スターリンが死んだときソ連国民の衝撃は想像を絶するものだった。弔問の列に並ぶロシア人の顔は喪失感と恐怖に凍り付いたように見える。数があまりに多いうえ、精神的安定を失った群衆だったから、パニックの中で押しつぶされ、少なくとも数百人が死んだと言い伝えられるが、真相は謎に包まれている。
映画『ヒトラー~最期の12日間~』には、ヒトラーなしの人生は考えられないと泣き叫ぶ市民や<殉死>する軍人、子供を殺し自殺する妻が描かれていたし、独裁者への敬愛は驚くほど強くドイツ人の心をとらえていたようだ。
いまアメリカで始まった現象は、こうした宗教=政治的熱狂ではないだろうか。「類推しない能力、論理上の間違いを見抜かない能力」はすでに支配的現象になった。「狂信と憎悪」に取りつかれた国にならないことを祈るばかりだ。