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イザベル・ファウスト&ジャン=ギアン・ケラス&アレクサンドル・メルニコフ

音楽堂ヴィルトゥオーゾ・シリーズ17
イザベル・ファウスト&ジャン=ギアン・ケラス&アレクサンドル・メルニコフ

2017年2月26日 神奈川県立音楽堂
Reviewed by 谷口昭弘(Akihiro Taniguchi)
Photos by青柳聡/写真提供:神奈川県立音楽堂

<演奏>
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)
ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)
アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)

<曲目>
シューマン:ピアノ三重奏曲第3番ト短調 Op. 110
カーター:エピグラム
(休憩)
シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番 Op. 99, D898
(アンコール)
シューマン:ピアノ三重奏曲第2番より第3楽章

 

まずはシューマンの『ピアノ三重奏曲第3番』から。起伏の激しい第1主題では、ファウストの鮮やかなアゴーギク、ケラスの豊かなニュアンス、メルニコフの明晰なリズムと各奏者が腕前を存分に見せつつ、滔々と盛り上がるロマンチシズムというよりは、すっきりと響きの中に構造美を盛り立てるアプローチ。随所に聴かれる細かな動機を確かに受け渡ししつつ、瞬発力あるダイナミクスで緊張感を保ちながら聴衆を唸らせた。
揺れ動きつつ進む第2楽章ではファウストとケラスが絶妙に歌い合う。とはいえ、どちらかが一方的に進めたり抜きん出たりすると、とたんに魅力が飛んでしまうような微妙なバランス感覚の要求される難物であることを感じさせる楽章。3人は全体として方向性は合わせつつ、それぞれが互いを尊重しあう緻密なアンサンブルで、これまた溜息が出た。
細やかに進めつつ反復音型は思い切ってあっさりと通すスケルツォの第3楽章に続き、第4楽章も、各奏者の「引き具合」に感心させられた。しかしそれは消極的になっているのではなく、ケラスのはじけ具合と楽しそうな表情からも分かる通り、互いを信頼し、思いきって演奏できる喜びが伝わってくるものだった。

アメリカの作曲家エリオット・カーターが最晩年の103歳の時に作曲した《エピグラム》。そのタイトルは、プログラム冊子にあるような「警句」、あるいは「機知・風刺に富んだ短い文や詩」といった意味だろうか。12の短い曲を組にしたもので、3人が互いに細やかな動機に呼応したり、一つの音響体として迫ってきたり、2つのグループに分かれて対話したり、そこかしこに叙情性が垣間見られたり。張り詰めた空気の中に集中した再現芸術が凝縮されていた。

後半のシューベルトは、滑らかな旋律で始まったかと思えば、素早いパッセージは勢いよく奏で、小さくまとまるかとおもいきや転調部分では大胆にドラマを展開し、再現部では泉のごとく歌が溢れ出る。また展開部では、メルニコフの弾く動機をエネルギーとして起伏に富んだ流れが作られ、3人は決然と音楽に向かっていった。
第2楽章は、シューマンにもあった絶妙な声部間のバランスが聴かれたが、シューベルトの旋律はシューマンよりもずっと声楽的であることを突きつけてくる。しかも、ただお互いに寄り添うというのではなく、適度な距離を保っている。それに従って聴き手の側も、たんに夢うつつに演奏に誘われるというよりも、人間が生み出す表現の無限の可能性を外から冷静に見つめられるようになっていた。
第3楽章は繊細なファウスト、澄み切ったケラス、控えめながら確固としたニュアンスを持ったメルニコフによる三つ巴の、スリリングなスケルツォ。遊び心あふれるケラスの楽しそうな表情が再び見られた。
第4楽章も付点音符のみずみずしいニュアンスが生きたスケールの大きな音楽で、後半は切れ味も増してくる。ロンド・ソナタ形式ということで、ある程度の展開は予想できるものの、現実のステージ上で繰り広げられる演奏にはただただ興奮した。シューベルトの作品で頭が飽和状態になるなんてことは考えもしなかった。
最後は悩ましげな表情をみせつつ爽やかに余韻を残したアンコールのシューマンにより、幸福な時間を過ごしたことを、改めて噛み締めた。