NHK交響楽団第1855回定期演奏会|齋藤俊夫
2017年1月28日 NHKホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)
<演奏>
NHK交響楽団
ヴァイオリン:クリストフ・バラーティ(*)
指揮:下野竜也
<曲目>
ボフスラフ・マルティヌー:『リディツェへの追悼』(1943)
カレル・フサ:『プラハ1968年のための音楽』(管弦楽版/1969)
ヨハネス・ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77(*)
(アンコール)J・S・バッハ:無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番よりガヴォット(*)
世界が憎悪と暴力に満ちてきている。だからこそそんな世界に抗するための音楽を求めたい、そう思っているのは筆者だけではあるまい。そして今回取り上げられたマルティヌーとフサは悲しみへの共感と怒りの発露の音楽であり、会場は聴衆と音楽家たちとの共感・連帯の場となった。
マルティヌー『リディツェへの追悼』は1942年のチェコでナチ親衛隊によって行われた虐殺への抗議の音楽。だが、この作品は冒頭と終曲近くに鬱勃たる情念のこもった和音が鳴らされるものの、全体としては声高に怒りを示すのではなく犠牲者への追悼・哀歌を悲しく歌い上げる。戦争という大いなる不条理の中で何故人間は死ななければならないのか。死すべき人間などいない。残されたのはただ悲しみだけ。ならば、その悲しみを音楽としよう、そのような作曲家の意思が聴き取れた。
次のフサ『プラハ1968のための音楽』は<プラハの春>弾圧事件への怒りの音楽。マルティヌーと違いフサは直截的に怒りの感情を表出する。ピッコロに始まり次第にオーケストラが怒りを増していき、トゥッティによる同音連打とその余韻で終わる第1楽章。ヴィオラとチェロで鬱々たる無情感をたたえた旋律が奏でられ、やがて管楽器も加わって怒りの咆哮が襲いかかる第2楽章。スネア(小太鼓の裏面に張られる金属の鎖のようなもの)なしの小太鼓のソロで始まり、不穏な空気を打楽器のみで描き出し、最後はスネアを張った小太鼓の強音連打で第4楽章にアッタッカでつながる第3楽章。協奏曲的に主旋律を各パートで代わるがわる奏し、嵐のように荒ぶりつつ同音連打からティンパニーが第1楽章で出てきたモチーフを再現し、それがトゥッティで高らかに鳴らされて終曲となる。怒っている。この音楽は怒っている。人間の愚かさを。為政者の暴力を。人間が人間として扱われない全体主義を。重い作品である。だが、今の日本、世界にはこのような音楽が必要なのだ。
後半は前半とは一転して明るいブラームスのヴァイオリン協奏曲である。これはソリストであるクリストフ・バラーティの、明朗な音の美しさに驚嘆させられることしきりであった。饒舌に感情を語りかけてくることなく、ブラームスの楽譜に書かれた以上の「芸」は見せない。だがピアニシモからフォルテシモまでの細やかなデュナーミクの弾き分け、オーケストラとの古典的均整のとれた調和が信じがたいほど美しい。ヴァイオリンのE線の高音とはかくも美しいものだったのかと筆者は初めて知った。音がただ音としてあるがままの姿で現れ、だからこそそこに音楽的美が宿る。古典主義者ブラームスの音楽として最良の演奏であった。アンコールのバッハも飾り気のない透徹した演奏に聴き入った。