大阪フィルハーモニー交響楽団 大ブルックナー展 第5回|能登原由美
井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 大ブルックナー展 第5回
2017年1月21日 兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 飯島隆/写真提供:大阪フィルハーモニー協会
<演奏>
指揮:井上道義
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
<曲目>
井上道義作曲:鏡の眼
ブルックナー作曲:交響曲第5番変ロ長調
井上道義指揮による大阪フィルハーモニー交響楽団の「大ブルックナー展」も5回目となった。第1回の8番、第2回の7番、第3回の4番、第4回の1番に続き、今回は5番を取り上げる。次回の9番をもって、2年半に及ぶこのシリーズも終了とのこと。故朝比奈隆が同楽団とともに代表的なレパートリーへと磨き上げていったものだけに、井上が敢えてこのブルックナーに向き合うのは大きな挑戦であっただろう。その挑戦もいよいよ大詰めを迎える。
さて、筆者は初回から欠かさず聞いてきたが、ここにきて井上の色が全面に出たという印象を強くもった。切れ味鋭く推進力のあるブルックナーが近年増えるなか、威厳を湛えゆったりとしたテンポで一つ一つ音を積み上げていく井上のブルックナーは、むしろ往時のそれを感じさせるもので、当初は意外に思えたものだった。それは朝比奈のスタイルからの脱却というよりはむしろ、その継承を目指すもののようにも感じられた。
けれどもこの度の演奏は違う。とりわけ目を覚まされたのは第4楽章。各モチーフを和音やリズムごとに丁寧に象(かたど)ってきたそれまでの歩みは一転し、各主題は時には過度と思われるほど激しく朗唱する。確かに、それまでに表れた主題を再び登場させながら織り上げられるフーガは、ベートーヴェンの《第九》同様、この終楽章をして傑作と言わしめるものであり、フィナーレにとりわけ熱が入るのにはうなずける。だが、井上によるこれらの主題は個々の主張が激しく、葛藤と相剋を繰り返す。もはや単なる音楽的主題の域を超え、独自の命を与えられた生命体の競演ともいえるほどだ。
だが、このような井上の世界は、そもそも前半で彼自身の作品を取り上げたところから始まっていたのかもしれない。その作品、《鏡の眼》は15分余りの曲で、プログラム・ノートによれば、作曲時に井上が抱えていた心の葛藤や寂寥感などが表れているという。なるほど、ここでは祭りやワルツを模したフレーズに、哀愁を帯びたメロディや夢心地な響きなど、井上の内面に表れた心象風景とおぼしきさまざまな音の断片が去来する。ただし、それぞれの音の断片は相拮抗し、融和することはない。振り返れば、主題相互の融和よりも対照を鮮明にさせたブルックナーのフィナーレは、ここから来たのではないかと思えるのだ。
その自作の演奏についていえば、熱を帯びたブルックナーとは異なり、井上は「鏡に映った自己を見る」かのようにどこか冷静であった。そのため、自らの内面を描写した内容であるにも関わらず聴き手を疎外することは決してない。余韻を残して静かに消えていく終結部はむしろ、我々の心の内にも何かを問いかけてくるものであった。
なお、この作品を振る際、井上は黒ではなく柄入りの上着を着用し、後半のブルックナーで黒のフォーマルに着替えて登場した。そうした演出にも、他者の世界ではなく自らの世界を表現するという井上のスタンスが見て取れる。だが結果的に、その世界は自作にとどまることなく公演全体に及んでいたといえるだろう。