トッパンホール ニューイヤーコンサート2017|丘山万里子

トッパンホール ニューイヤーコンサート2017
日下矢子、クレメンス・ハーゲン、河村尚子

2017110日 トッパンホール
Reviewed by 丘山万里子( Mariko Okayama
Photos by 大窪道治/写真提供:トッパンホール

<演奏>
日下紗矢子vl
クレメンス・ハーゲンvc
河村尚子pf

<曲目>
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第2番ト短調Op.5-2
コダーイ:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲Op.7
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シューベルト:ピアノ三重奏曲第2番変ホ長調 Op.100 D929

 

トッパンホールの《ニューイヤーコンサート2017》は日下沙矢子、クレメンス・ハーゲン、河村尚子の組み合わせ。

素晴らしかったのは日下とハーゲンのコダーイ。
たまたま、昨年末、長原幸太と宮田大で聴いたばかりだったが、全く違った音楽になっていて、演奏によってこんなに変わるものか、と改めて驚いた。
長原・宮田組は、特に長原の繊細な持ち味が、音楽にきめ細かな陰影を彫り込んでいて、逞しい野趣の中にも若いリリシズムがふっと香り立って素敵だったのだけれど、日下はもっと踏み込みが鋭く、ハーゲンの底鳴りするチェロにがっしと組みあい、ユニゾンのテーマなどでは両者でグイグイと音の流れの舳先を漕いで行く。その迫力たるや、両者の上げ下げする弓が満身の櫂に思えたくらい。ピッチカートのニュアンスも多彩で、その上でのソロもそれぞれの歌を機嫌良く歌う。実に生き生きした会話とやりとり。第3楽章のプレストともなると、ジグザクの細い山道を二人して山猫のように走るというか、飛ぶというか、その俊敏な音の身ごなし、スリリングなこと、コダーイの音楽の原野がパッパとフラッシュのように眼前する感じ。
つまり、両者の引き・押し、くんずほぐれつ、聴き合い・弾き合い、とそれぞれの音楽が正面から四つに組むデュオの真骨頂を聴かせてくれたのである。

あとの2曲については、熱演、力演で大いに喝采を浴びていたが、私は今ひとつ楽しめなかった。
河村のピアノが、あまりに大味すぎて。
ベートーヴェン、例えばチェロの儚いピアニシモに、もっと優しく応えられないものか。チェロの歌への相槌に、なぜ硬く声高な音を鳴らすのか。ハーゲンがつられて力む。こんな力の使わせ方、響のバランスが、チェロ・ソナタにふさわしいとは思えない。
ハーゲンは2013年、トッパンでの河村との初共演を「幸せな出会いで、音楽的アイデアもコミュニケーションも感覚でわかりあえた」と言っているが(当夜の前日、神奈川県立音楽堂でのデュオ・リサイタルについての音楽堂のインタビュー)、今回の演奏にそれを感じるのは私には難しい。

シューベルトも同様。彼の即興曲にあるようなピアノ高音部からの美しい 「身投げ」音形のたびたびを、毎回、単調にサラサラと弦の間に挟んで行く。全般に音色の単一が否めない。一方で和音を、二人を追い立てるように打ち鳴らす。
こういう河村の音楽的コミュニケイトぶり、主張を、大胆な推進力、とか、力のこもった個々のぶつかり合いを牽引、とかいう言葉で私は語れない。力の拮抗と力の摩擦は違うだろう。

室内楽ではいわゆる「合わせ」で遊ぶ、という日常感覚が生きる。音楽とは本来、音と音との関係性そのものなのだから、河村にはもっとたくさん音で遊び、音楽の愉悦を血肉化していってほしいと思う。
ハーゲン・河村のデュオ神奈川公演は本号で谷口昭弘氏が書く。河村のソロ・リサイタル@ヤマハホール(1/13)は藤原聡氏が書く。
音楽に何を聴き、求めるかは、人それぞれだし、演奏というのは、常に、この時、この場、この空気で、の、たった一度でしかありえない。
今回はたまたま3者がそれぞれに聴くので、ご参照いただければと思う。