オペラ《眠れる美女 〜House of the Sleeping Beauties〜》|谷口昭弘
オペラ《眠れる美女 〜House of the Sleeping Beauties〜》
2016年12月11日 東京文化会館 大ホール
Reviewed by 谷口昭弘( Akihiro Taniguchi )
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi )
原作:川端康成(『眠れる美女』1961年、新潮文庫刊)
台本:ギー・カシアス、クリス・デフォート、マリアンヌ・ヴァン・ケルホーフェン
ドラマトゥルク:マリアンヌ・ヴァン・ケルホーフェン
作曲:クリス・デフォート
演出:ギー・カシアス
振付:シディ・ラルビ・シェルカウイ
<演奏>
老人(バリトン):オマール・エイブライム
女(ソプラノ):カトリン・バルツ
老人(俳優):長塚京三
館の女主人(俳優):原田美枝子
眠れる美女(ダンサー):伊藤郁女
眠れる美女たち(女声コーラス):原千裕、林よう子、吉村恵、塩崎めぐみ
管弦楽:東京藝大シンフォニエッタ
指揮:パトリック・ダヴァン
川端康成の小説『眠れる美女』を原作としたこのオペラは、休憩なしの3場からなる1時間半あまりの作品。物語は、主人公の江口老人が薬で眠らされた若い女性と交わりのない一夜を過ごすという「悦楽の館」で起こる。
オペラ全体は、館の女主人と江口の現実的で日常的な会話の部分、そして女性に添い寝する江口が体験する夜の幻想的な世界の2つに分かれている。前者が薄い背景音楽とセリフで進められるのに対し、後者はヴォーカル・アンサンブル、ソプラノとバリトンの独唱、色彩豊かな管弦楽で描かれていく。また眠る女性は象徴的に舞台の高所に設けられたスペースで、ゆっくりとした舞踊によって表現されている。台本のケルホーフェンの言葉を借りれば、主人公が夜を過ごす寝室は「歌声及びリリシズムの空間」である。
2009年、ブリュッセルのモネ劇場でこの作品が初演された時は、全編が英語で語り歌われた。しかし今回の上演では江口老人と女主人の会話部分が日本語化され、夜の世界における女声ヴォーカル・アンサンブルのテクストにも日本語が聞こえてくるようになっていた。さらに会話部分にはオペラ歌手ではなく長塚京三と原田美枝子という俳優・女優を配し、現実世界と幻想世界の性格付けが一層明確になったといえるし、芝居部分と歌唱部分のギャップが大きくなっているともいえるだろう。
さて、オペラの筋書きというのはそれほど込み入ったものではなく、小説では悦楽の館を5回訪れるエピソードだったものを3夜にしている。ただ、それぞれの夜には違った女性が江口老人と過ごすことになっており、彼女たちが各々一つの触媒となり、江口老人が過去に出会った女性たちの記憶が蘇ってくる。
音楽様式の面から見れば、現実世界のセリフの場面のそれがクラシックの世俗名曲を思いおこさせる古典的な味わいを持っているのに対し、「リリシズムの空間」である夜の寝室は、ブリテン風の折衷主義をさらに前衛方向に引っ張っていったような語法で書かれており、バリトン独唱も通常のベル・カント唱法だけではなく、首を締め付けられたような高域の声をあえて効果的に使っている箇所もあった。主人公である老人にとって、はたして夜の体験はいい夢なのか、悪夢なのか。
その歌の方は幻想的な夜の世界でさまざまに交錯する。プログラムノートに書かれたケルホーフェンの構想によると、4名のコーラスは「眠る若い女性達の体を描写」しており、ソプラノ独唱(カトリン・バルツ)は「江口の行動や思考、そしてこの物語の重要な役割を担っている『自然』の描写」であり、江口老人の役を担うバリトン独唱(オマール・エイブライム)は「若い女性たちに抱く第一印象、そして彼女たちが呼び起こす老人の過去の女たちの思い出」である。
しかしあらかじめこれらの音楽的役割を頭にインプットし、英語の歌詞をしっかり聞き取り理解しないと、舞台上の出来事とそれに対する音楽的機能を聞きながら分類して味わうのは容易ではない。特に字幕を追いながらだと、歌詞は確かに眠る女性たちを描写しているようであったり、江口の回想であったり、女性に対する男の哲学的な問いかけであったりする。しかし舞台上の誰がそれを発しているか、特に複数の声部が対位法的に絡む箇所では即座にそれを判断できない瞬間があった。
とはいえ個性的な長塚京三の存在感、時に艶かしい伊藤郁女の舞踊、複雑な色彩や映像を投写する舞台装置を通し、官能的な夜の時間や人間が持つ謎めいた心理を味わう面白さがこの作品には充分備わっていた。より深く歌のテクストを理解しながら作品に触れ合う機会が再度あれば、この不思議なオペラへの共感はより広い聴衆へと及ぶに違いない。