folios critiques ⑦|ブルックナーはお好き?|船山隆
folios critiques ⑦
ブルックナーはお好き?
text by 船山隆(Takashi Funayama)
photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
フランソワーズ・サガンのベストセラー小説に《ブラームスはお好き?》という題名の作品がある。フランス語の《Aimez-vous Brahms?》というタイトルとドイツ音楽の典型のブラームスが重なって、一種のミスマッチの効果があり、時々頭に浮んでくる。
今回はこのタイトルをもじって、読者緒兄姉に〈Aimez-vous Bruckner?〉と問いかけてみたいと思う。
いうまでもなくA. ブルックナー(1824-1896)とG. マーラー(1860-1911)は、19世紀ロマン派を代表する交響曲作家である。この2人の作曲家はしばしば対照的に論じられ、音楽ファンもいずれかの作曲家に深く傾斜する傾向にある。
私自身は長年にわたってマーラー・ファンの一人で、マーラーの評伝を執筆したり、研究書を翻訳したり、またマーラーの生家を訪ねてボヘミアとモラヴィアに近いフンポレックまで出かけ、長い紀行文を書いたりしてきた。私は基本的にマーレリアーナである。
それにくらべて私のブルックナーの知識と経験はきわめて貧しいといわざるを得ない。しかし今年に入ってから、日本でブルックナーがとりあげられることが少なくなく、この音楽史上の特異な作曲家のことが気になりはじめた。
まず今年の1月にダニエル・バレンボエムとシュタッツカペレ・ベルリン(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)が、全国ツァーでブルックナーの1番から9番(0番と00番はなし)までをとりあげたが、これは日本におけるブルックナー受容史のなかでも画期的な試みであったと評することができるだろう。
バレンボイムはすでに70年代にシカゴ交響楽団とベルリン・フィルと2回の録音をしている。いろいろ調べてみるとブルックナー指揮者としては、ヴァント、カイルベルト、ハイティンク、朝比奈隆、アバド、インバル、チェリビダッケときら星のように並んでいるが、バレンボイムはその最右翼といってよさそうである。
これだけの大指揮者が演奏しつづけているブルックナーは音楽愛好家の好き嫌いを超えた端倪(たんげい)すべからざる大作家なのであろう。
私は今年に入ってからかなり数多くのコンサートにかよったが、11月に2つのブルックナーの《第7番》のコンサート、ヘルベルト・ブロムシュテットとバンベルク交響楽団(11月4日、東京オペラシティ・コンサートホール)と、マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団(11月22日、NHK交響楽団)があることを知り、出かけてみることにした。
89歳を迎えた名匠ブロムシュテットは、老いの影をまったく見せずに、すらりとした長身で指揮台に立ち、指揮棒をもたずに実に適切な指示を出していく。
第1楽章の冒頭は、チェロとホルンによる「霧のようなブルックナー開始」ではじまり、この主題がこの楽章全体にわたって展開されていく。ティンパニーが途中で主音のホ音をどこまでも持続させていく様子は実にユニークである。
第2楽章のアダージョは有名なワーグナーへの追悼の音楽で、4本のフレンチホルンも登場し、ブルックナー特有の壮大な響きのカテドラルが生みだされる。円熟のマエストロのまさに独壇場であろう。
このような形で次の3楽章と4楽章も続いていくのであるが、ブルックナー開始、ブルックナーリズム、ブルックナーゼクエンツなどの独特な手法によって、生涯にわたってオルガンを愛したブルックナーらしいオルガンの全パイプを利用したような音響の渦が出現してくる。
今回オペラシティのコンサートホールに身をおいて聴いていると、ブルックナーの音響のドラマは、変形ピラミッド形状の天井とホールの天然木の木目のこまかい壁面の空間にまさにぴったりとフィットしていることがよくわかる。
来年創設20周年を迎えるこのホールは、マーラーよりもブルックナーにふさわしいかもしれない。
当夜の聴衆はブルックナーとその指揮者のブロムシュテットに熱狂的な拍手を送っていた。ブルックナーを正面から聴いてみると、ブルックナーも悪くないと思った。
それからほどなくして、マーラーの《交響曲第5番》を11月25日の東京芸術劇場のパリ管弦楽団で聴いた。指揮者はパーヴォ・ヤルヴィの後任者の新鋭ダニエル・ハーディング。
すばらしい充実した演奏会だった。今回はじめて聴くハーディングの得意とするレパートリーについては何も知らないが、今年の6月の新日フィルの定期でマーラーの《千人の交響曲》をふっているので、マーラーは得意なレパートリーなのだろう。
私はブルックナーの《7番》の演奏記憶のなかでマーラーの《5番》の出だしを待った。
例のトランペットの葬送のファンファーレから全身をマーラーの多次元的な音響に捉えられた。マーラーではすべての異質の音が対立し、衝突し、融合していく。冒頭のファンファーレからアダージョの透明なハープと弦楽アンサンブルまでの音響は、このホールの客席の奥に向けて広がる扇形空間を自由にとんでいく。私はこのマーラーの演奏を聴いて、マーラーはブルックナーよりもすぐれているといういつもの持論に帰らざるを得ない感じがした。
〈ブルックナーはお好き?〉と聞かれたらやはり〈ノン〉と答えると思う。
しかしブルックナーVSマーラーの問題はそう簡単には解決できないと思う。
ここでたまたまホールの話が出たので、最後にホールの好き嫌いに触れておきたい。私は現在骨折の後遺症で杖をついて音楽会にかよっている。ホールの中の階段にはいつも苦労しているが、東京芸術劇場もサントリーホールも階段がひじょうに多い。ホールには案内嬢がいて座席の案内などをしているはずだが、案内もあまりうまくなく、どうしてあんなに沢山の女性が制服を着て立っているのか不明である。
昨年パリに出来た新しい〈フィルハーモニー・ド・パリ〉も階段が多く、3階以上の席に行くと目もくらむような思いがする。しかしパリのホールの案内嬢はとても親切で、杖をもっているとかならず花咲くマドモアゼルたちが客席まで腕をとって連れていってくれる。数10年前のテアトル・シャンゼリゼでは、案内の老娘がチップをわたさないといやな顔をしていたものだが、なんという変化だろう!
東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアルの座席の通路にはまったく段差がないのはありがたい。しかし案内嬢の態度は東京の他のホールと同じで、おそらく同じところで研修を受けているためだと思う。
それはともかく東京オペラシティは私の好きなホールである。
東京オペラシティは来年創立20周年の記念プログラムを計画しているようである。私が武満徹の協力者のような形でホールの設立準備会の仕事をしたのは20数年前のことになる。今手元に〈東京オペラシティ 文化施設基本構想策定業務報告書〉という1991年3月付のぶ厚い書類が残されている。
基本構想にたずさわった音楽関係者は、武満をはじめほとんどすべてこの世を去っている。しかしこの基本構想で語られていることは、この20数年で達成されつつあるように見える。来年の記念イヴェントが今から楽しみである。
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船山隆(Takashi Funayama)
福島県郡山生まれ。東京藝大卒、パリ第8大学博士コース中退。1984年より東京藝大教授、2009年同名誉教授。2014年より郡山フロンティア大使。1985年『ストラヴィンスキー』でサントリー学芸賞受賞。1986年芸術選奨文部大臣新人賞受賞。1988年仏の芸術文化勲章シュヴァリエ受賞。1991年有馬賞受賞。東京の夏音楽祭、津山国際総合音楽祭、武満徹パリ響きの海音楽祭などの音楽監督をつとめる。日本フィルハーモニー交響楽団理事、サントリー音楽財団理事、京都賞選考委員、高松宮妃殿下世界文化賞選考委員を歴任。