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アンドレア・バッケッティ ピアノ・リサイタル|大河内文恵   

%e3%83%90%e3%83%83%e3%82%b1%e3%83%83%e3%83%86%e3%82%a3アンドレア・バッケッティ ピアノ・リサイタル

2016年112日 浜離宮朝日ホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
アンドレア・バッケッティ(ピアノ)

<曲目>
J.S.バッハ:イギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV810
     フランス組曲 第5番 ト長調 BWV816
     イギリス組曲 第2番 イ短調 BWV807
     フランス組曲 第2番 ハ短調 BWV813
     フランス組曲 第1番 ニ短調 BWV812
     イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971

(休憩)

W.A.モーツァルト:ロンド ニ長調 K.485
        ピアノ・ソナタ 第13番 変ロ長調 K.333

(アンコール)
シューベルト:即興曲 第2番 変イ長調 D.935
J.S.バッハ:ゴルドベルク変奏曲アリア BWV988

最初の曲が始まった途端、面食らった。≪これ、バッハだよね?≫ バッハときいて思い浮かぶ音のイメージとあまりにも掛け離れているのだ。モーツァルトが先だったっけ?と勘違いしそうになるような、きらきらした音。しかし、こちらの戸惑いを他所にバッケッティのピアノはどんどん進む。「重々しく荘重に弾かねばバッハではないって誰が決めたの?」とでも言わんばかりに。「イタリアが生んだ鬼才」と銘打たれた本日のコンサート、最初から飛ばしてくれるではないか。

プログラムに挙げられた曲は、どれもピアノに親しんだことのある人なら、お馴染みの曲ばかり。子どもの頃、ピアノの発表会で弾いたという人も多いだろう。いったいこのラインナップで何をやろうとしているのか?という疑問を一瞬にして粉々にしてくれた。

ふつう、バッハの曲を弾くときには、テーマとなる旋律を核にしてそれを追いかけることによって曲の構成を明確にしていくが、バッケッティはテーマをそれほど強調しない。そのかわり、対旋律やテーマの裏側で普段隠れてしまうような音の動きを「ほら、ここにこんな綺麗な音の動きが隠れているよ。気づかなかったでしょ?」と言わんばかりに聴かせてくる。これまで私たちがバッハの曲だと思って弾いたり聴いたりしていたものは、いったい何だったのだ。

『イギリス組曲第5番』が終わったところで拍手が起こったが、それを制して次の『フランス組曲第5番』へ。そのまま第1部の終わりまで休みなく弾き続けた。ほぼ1時間、弾くほうも大変だが、聴くほうも体力勝負。それでも長いと感じなかったのは、次は何が出てくるのだろう?と心躍らせながらだったからか。驚くほどの軽快さやテンポの速さだったり、独特のアーティキュレーションだったり、音の柔らかさや透明感だったり。

なかでも圧巻だったのは『フランス組曲第2番』。アルマンドの音の柔らかさや大胆さ、クーラントのヘミオラの絶妙さ、綺麗としかいいようのないサラバンドとエール。メヌエットとジーグのたまらない愛おしさ。この曲への愛の深さがじんじん伝わってくる演奏で、「アーティストの希望」によりプログラムに追加されたという事情にも納得がいった。

第2部。モーツァルトの『ロンド』は弱音の美しさが際立っており、それは中間部において特に顕著だった。つづく『ピアノ・ソナタ』では、まるで1人でピアノ協奏曲を弾いているかのような多彩さにあっけにとられるばかり。バッケッティ劇場ここにあり!である。

しかし、彼の演奏は本当に「特殊」なのだろうか?これまで聴きなじんできたものと一線を画しているのは確かだが、ことさら「異端」を狙ったものではない。それは、楽譜に書かれたリピート記号に従って繰り返しをおこない、2度目には装飾音を華やかにしたり、旋律の一部の動きに変化を与えたりといった、作曲された当時の演奏習慣を再現しているということから明らかである。つまりバッケッティは、古いものを甦らせることによって新しい音楽を提示している。

だったら、ピアノなんか弾かないで、チェンバロやフォルテピアノで弾けばよいではないかと思われるかもしれない。だが、彼は*ピアノで*それをやりたいのだ。それは彼のピアノを慈しむように弾く姿勢や、ピアノの音の綺麗さにあらわれている。それがもっともよく伝わってきたのがアンコールのシューベルトと『ゴールドベルク変奏曲』の演奏だった。この2曲の演奏を聴けただけでも、ここに来た甲斐があったと思えるほど心に沁みた。

誰もきいたことのない珍しい曲目や目も眩むような超絶技巧の作品を演奏しなくても、革命は起こせるということを彼は証明してみせた。それでもなお求めてしまうことが1つある。バッケッティはバッハやモーツァルトなどと並んで、ハッセやガルッピ、ケルビーニなど彼らと同世代ながら普段あまり演奏されない作曲家の作品も録音している。そういった曲目もプログラムに取り入れたら、どんな世界が広がるだろうか。聴き馴染んだ曲でここまで刺激的な演奏会ができる彼のさらなる展開を期待したい。

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