パリ管弦楽団|藤原聡

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2016年11月25日 東京芸術劇場
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi

<演奏>
指揮:ダニエル・ハーディング
ヴァイオリン:ジョシュア・ベル

<曲目>
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

東京芸術劇場でのハーディング&パリ管弦楽団、2日目(初日の評文は別項をご参照下さい)。
こう言ってはなんだが、1曲目は「名曲なのは理解するが、積極的に聴こうとは思わない曲」アンケートでも実施すれば間違いなく上位に食い込むに違いないメンデルスゾーン。しかし、当夜の演奏は一味違って引き込まれた。まずハーディングの指揮するオケが違う。上品な抒情と哀愁に満ちた、とでも形容されるであろうこの協奏曲を相当に攻撃的かつ神経質に演奏していた。まずこれが異色だ(ここでも千々岩氏のSNSからの文章を引けば、ハーディングからはvn独奏部に続く総奏部について「慟哭をそのまま出すように、キレイにしてしまわないように」という指示が総練習のたびに出された、という。冒頭の分散和音ですら、淡々とレギュラーに弾かないで情緒不安定さを出してくれとも言った、と)。ベルの演奏も同様で、相当に鋭角的かつやりたい放題(ここでもカデンツァはベル自作と思しきもので、流れの中では浮いていた感もあるがそれ自体は秀逸なものだった)。つまり、この演奏傾向は2人の共同戦線とでも言うか、確信犯である。ロマン派作曲家の中でも自我の押し付け感が希薄で、ともすると「バランスの取れた常識人」的に捉えられがちなメンデルスゾーンの中にある葛藤を引き出さんとした演奏、とでも形容できるか。それが成功していたかどうかは個々人の捉え方だろうが、面白く聴けたのは間違いない。

休憩後にはマーラーの『交響曲第5番』。ハーディングと日本との結び付きにおいて特別な曲である(と指揮者自身も語っている。言うまでもなく3.11当日に新日本フィルと演奏した曲である)。当夜の演奏は一風変わった趣を持つものだったと思う。この演奏において、ハーディングは曲の持つ分裂症的な要素や情念の深みといった部分に拘泥していないように聴こえた。問題は、そのように聴こえたのは意図とは別に「結果として」そうなったのか、あるいは「狙った通りに」そうなったのか、だ。この指揮者のマーラーが一律にこういう傾向なのかと言うと必ずしもそうではない。例えば新日本フィルとのマーラー:『第8』では鋭角的かつ陶酔的な音楽が作られていたし、『第4』でもまた然り。しかし、この日のマーラーでは、極めて轟然としたその迫力は素晴らしかったものの、相当に一本調子な演奏だったと思われた。言うならば太い鉈でザックザックと切り進んで行くかのような。細かい表情記号への反応も弱い。いつものテクスチュアをノミで丹念に掘り込んでいくようなこの指揮者の手つきは、指揮者でもあったマーラーのスコアの「異常性」を、バーンスタイン的に「感情」という音符の外側からではなく、音符それ自体で語らしめる巧みさがある。筆者は、当夜の演奏の「大味感」はオケと指揮者の意思疎通がまだ十分ではないためなのだろう、という感触を持った。さらに共演を重ねた暁にはより優れた演奏になるのは間違いない(つまり、先の設問の答えは前者だ)。

尚、パリ管はこのマーラーにおいて彼らとしては相当に重厚な音を出していたけれど、カラフルな弦楽器に軽めの低弦、華やかかつあまり合っていない(!)木管群の合奏(これは否定的に言っているのではない)、楔のように明確に打ち込まれるティンパニ、などでその独自の個性を存分に主張していた。

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