パリ・東京雑感|トランプの勝利と『大衆の反逆』|松浦茂長

トランプの勝利と『大衆の反逆』 

text & photos by松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

トランプが大統領に選ばれたあの日以来、世界が厚い黒雲に覆われたような、陰鬱な気分にとりつかれ、何をやっても気が晴れない。ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは、その時の気持ちを「世界は地獄に向かっているが、自分にできることは何一つない、ならば自分の庭の手入れだけしていればいい、と。私は<その日>以降の大半はニュースを避け、個人的なことに時間を費やし、基本的に頭の中をからっぽにして過ごした」と告白している。
リーマンショック、地震と原発事故、狂信者によるテロと怖い出来事には慣らされたはずだが、今度の怖さはどこかが違う。クルーグマンと並ぶ『ニューヨークタイムズ』の看板コラムニスト、トーマス・フリードマンは「トランプの勝利に、私は63年の人生で最も強い恐れを感じている。(中略)そして初めて、米国で居場所をなくしたと感じている」と書いた。

一体トランプの何が我々を不安にさせるのだろう。ヘイトスピーチ的言動を繰り返し、ネトウヨの親玉のような男を知恵袋としてホワイトハウスに入れたからだろうか?プーチンを尊敬し、ヨーロッパも日本も、もっと金を出さなければ守ってやらないと脅すからだろうか?事業の破たんを巧みに取り繕ってきた詐欺まがいの企業家だから、国家の経営に大失敗しかねないからだろうか?
いや、過激な思想、挑発的な発言は確かにショッキングだが、本当に怖いのは人柄の異様さだ。大国の指導者には揺らぎない洞察力と、期待を裏切らない誠意が求められるのに、トランプの行きたりばったりの言動からは打算、うそ、はったり、子供じみた勝利感しか見えてこない。デービッド・ブルックスに言わせると「トランプが大統領の務めを果たす上での最大の問題は、彼のファシスト的イデオロギーではない。注意力が続かないこと、無知、無能である」。
こんな頼りがいのない男をアメリカ国民の半分が支持したとはどういうことなのか。荒廃したかつての鉄鋼の町の、時代の流れに取り残された白人労働者のルポなどを読むと、経済格差がトランプ現象を生んだと考えたくなるが、そうした合理的解釈で納得したくなる誘惑に負けてはいけない。(貧困層、黒人などマイノリティは民主党に投票した)。女性を誘惑した自慢話からイスラムへの憎悪、移民への嫌悪を露骨な言葉でぶちまけると喝さいを浴び、テレビの視聴率が上がり続ける。良識を口汚く罵倒すればするほど人気が上がる。ポリティカリ・コレクトつまり女性への敬意、黒人の権利、性的マイノリティへの配慮といった良識そのものを打ち壊すことがトランプ現象なのである。なぜこれほど多くのアメリカ人が良識破壊に熱狂したのか?フランスの哲学者は「歴史を振り返ると、時に狂気が伝染し、集団全体が発狂することがある。トランプ現象はその例だ」と言っていた。

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ジリノフスキー

テレビ局が競ってトランプを追いかけ、一挙手一投足を伝えたのは、彼の言動が面白いからだ。相手に汚い言葉を浴びせる漫才のような魅力だろうか。自分自身も茶化すオバマのユーモアとは正反対。チャップリンの『独裁者』が爆笑を誘うのと似たおかしさかもしれない。なぜかポピュリストには漫才士的才能を備えた男が多い。フランスのジャン=マリー・ルペン(右翼政党フロン・ナショナルの創設者で今の党首マリーヌ・ルペンの父親)は、怖いことを言うくせにひょうきんなところがあったし、ゴルバチョフ時代に登場したロシア自由民主党の党首ジリノフスキーも暴言がピエロ的だった(トランプが勝利したとき、ジリノフスキーは記者たちにシャンペンをふるまって祝ったそうだ)。そういえば日本でも漫才士や喜劇タレントが知事に当選したのだ。ユーモアなき<おどけ>のなかに、ポピュリズムの本質を理解するカギが潜んでいるのではないだろうか。
ヨーロッパでファシズムが荒れ狂う直前の1930年に出版されたオルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』にはこう書いてあった。「不まじめと<冗談>、これが大衆人の生の主調音なのである。彼らが何かをやる場合は、<親の膝下にある子供>がいたずらをするのと同じように、自分の行為は取り消すことができないのだという真剣さに欠けている。あらゆる面において、努めて悲劇的で、せっぱつまった、決然とした態度をとっているかに見えるのは、単にうわべだけのことなのである。彼らは、この文明世界に真の悲劇などありえないと信じているから、悲劇をもてあそんでいるのである。(中略)ヨーロッパ全土に、すべての人々を例外なく巻き込んでしまう笑劇の大嵐が吹きまくっている。」
オルテガのいう<大衆>は、<庶民>、<勤労者階級>と同義語ではなく、彼が<大衆支配>の最悪の例に挙げているのは、科学者つまり現代社会のエリートである。ニュートンのころと違って科学が専門ごとに細かく分かれ、研究者には世界の全体像が見えない。見えないくせに、自分の専門以外の分野にまで支配権を及ぼしたがるというのだ。<大衆>は、人類が民主的な国家を作り上げるまでにどれほどの血を流し、数知れない犠牲と苦悩を伴ったかを忘れているし、ロシアもアラブ諸国も中国も民主主義を目指す闘いが無残に失敗したのを見てもわかるように、民主的な社会を作るのに成功した国はむしろ幸運な例外だという歴史的事実も意識していない。国家をあたかも与えられた<自然>のように見なし、その脆さを知らない。大切に守ろうとする意志がなければたちまち壊れてしまうものなのに、取り返しのつかないことが起こりうるという悲劇への感性を持たない忘恩の徒がオルテガの<大衆>である。

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民主ロシアのデモ90年7月

モスクワにいたとき、哲学者のグレゴリエーバさんが「歴史は100人の目覚めた人たちが作るのです」と教えてくれた。政治家は世論より一歩先を行って、世論を引っ張ってゆかなければ歴史は前に進まない。近年の例を思い出せば、フランスで1981年に死刑を廃止したとき、世論の多数は廃止に反対だったし、同性愛者のカップルのためにPACSという結婚に準ずる制度を作ったときも世論の多数は同性愛に否定的だった。しかし、制度ができるとどちらも世論が見事に逆転し、後に戻ろうという声はほとんど聞かれない。
しかし、フランスのハッピーな歩みと対照的に、グレゴリエーバさんの国ロシアの「目覚めた100人」は挫折と逆流を経験しなければならない。ゴルバチョフの改革が始まったとき、毎月のように民主化を支持する数万人のデモがクレムリン近くの広場を埋め尽くし、演壇では、シベリアの収容所から出てきた司祭も演説し、よどんだ空気を吹き払う希望の風が吹き抜けた。
デモのリーダーに会いに行くと、町はずれの小さなアパートに住み、穴の開いたいっちょうらのセーターを着た物静かなユダヤ人が、必ずデモに紛れ込むKGBが「クレムリン突入」などの跳ね上がりに出るのをどうやって防ぐかを、仲間と打ち合わせていた。やがて、エリツィンがクレムリンに入ると、収容所帰りの司祭もデモを組織したユダヤ人ミーシャも都心の役所で仕事し始めたが、相変わらず穴の開いたいっちょうら。「ミーシャはまったく野心のない男だ」という仲間たちの評判通り、政権が腐敗する前に姿を消してしまった。

ヤクーニン神父

ヤクーニン神父

あのミーシャや反体制司祭の姿を思い出すと、オルテガの言う<大衆>と<貴族>の象徴的対置が分かるような気がする。トランプは「地球温暖化はでっちあげだ」と決めつけたかと思うと、「きれいな空気ときれいな水は命に関わる大事なものだ」と環境派に宗旨変えし、温暖化についても「しっかり考える」と約束したり、テロ容疑者への水責め拷問を肯定したかと思うと「拷問は役に立たない」と前言を翻したり、政策と<冗談>の区別がつかない根無し草。これこそ<悲劇>を知らない<大衆>の典型だとすると、ミーシャや反体制司祭には深い<静寂>があった。歴史の真実に深く根を張った<貴族>の落ち着きである。

オルテガは「われわれがその生を何かに賭けることを避ける度合いに比例して、われわれは自己の生を空虚にしてゆくのである」と<大衆>の病理を説き、「全地球上から恐ろしい叫び声が湧き起こり、無数の犬のほえ声のように天空にまで響きわたり、命令を下してくれる者、仕事や義務を与えてくれる者の存在を求める日もそう遠くはないであろう」とヒトラーの時を予言している。トランプらの巻き起こした<笑劇の大嵐>のあとにやって来るのは何だろう。

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50万人デモ91年3月