エンリコ・オノフリ バロック・ヴァイオリン・リサイタル|佐伯ふみ

%e3%82%aa%e3%83%8e%e3%83%95%e3%83%aaエンリコ・オノフリ バロック・ヴァイオリン・リサイタル
「哀しみと情熱のはざまで」

2016年11月1日 東京文化会館小ホール
Reviewed by 佐伯ふみ(Fumi Saeki)
Photos by木幡飛一 /写真提供:杉田せつ子

<演奏>
エンリコ・オノフリ(Vn)
リッカルド・ドーニ(Cemb)
杉田せつ子(Vn)
懸田貴嗣(Vc)
桒形亜樹子(Org)

<曲目>
B.マリーニ:2つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ「ラ・モニカ」
G.A.パンドルフィ・メアッリ:教会または室内のためのソナタ Op.3より「ラ・チェスタ」
A.カルダーラ:室内ソナタOp.2 No.1 ニ短調
F.M.ヴェラチーニ:ソナタ・アッカデミカ Op.2 No.5 ト短調
G.F.ヘンデル:トリオ・ソナタ Op.2 No.5 ト短調 HWV391
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ No.2 ニ短調 BWV1004より「シャコンヌ」
A.コレッリ:合奏協奏曲 Op.6 No.4 ニ長調

バロック・ヴァイオリンの雄エンリコ・オノフリは、1967年イタリア・ラヴェンナ生まれ。早くから才能を評価されてジョルディ・サヴァールやニコラウス・アーノンクールと共演を重ね、古楽界ではつとに知られた存在である。特に1987年から2010年までソロ・コンサートマスターをつとめたイル・ジャルディーノ・アルモニコとの活動は高い評価を得ており、グラミー賞をはじめ数々の栄誉を受けている。2000年には自身のアンサンブル、イマジナリウム・アンサンブルを結成。また同年よりベッリーニ音楽院教授に就任して後進を育てている。

近年、コンスタントに来日し、私たちが身近にその音楽に触れられるようになったのは、ひとえに杉田せつ子の情熱の賜物だ。オノフリとの出会いでバロック・ヴァイオリンに開眼したという杉田は、2007年に古楽プロジェクトCipango Consort(チパンゴ・コンソート。オノフリの命名による)を立ち上げ、自主運営で彼の来日公演を主催。共演者として、日本の定評ある古楽奏者たちが結集し、知られざるイタリア・バロックの作品を中心に、毎回、明確なコンセプトをもったプログラムを構成。目の醒めるような新鮮で躍動感あふれる演奏で、じわじわと熱狂的なファンを獲得してきた。今回の来日は、これまでよりキャパの大きな上野文化会館小ホールへ場を移し、さらに静岡音楽館AOI、兵庫県立文化センター、京都府立府民劇場アルティでそれぞれ主催公演を獲得、少しずつ曲目を変えながら巡演するという、充実したツアーとなった。

毎回、プログラムのコンセプトを表現するタイトルが掲げられているが、今回は「哀しみと情熱のはざまで」、キーワードは「メランコリア(憂愁)」。イタリア・バロックの作品を中心に、ヘンデル、バッハ、コレッリの有名曲を配したプログラム。これまでにない試みとして、鍵盤楽器奏者が2名。イル・ジャルディーノ・アルモニコの首席チェンバロ奏者リッカルド・ドーニが加わり、いつもの桒形亜樹子が今回はオルガンにまわった。オノフリと杉田の2つのヴァイオリン、そしてチェロの懸田貴嗣という、まさに少数精鋭といった演奏家が顔をそろえ、これだけでも何かあると思わせる布陣である。

曲によって編成が変わり、前半でフルメンバーが顔をそろえたのは開幕のビアージョ・マリーニ(1587頃~1663)と3曲目のアントニオ・カルダーラ(1670頃~1736)。マリーニは16~17世紀に広く知られた旋律「ラ・モニカ」を主題にした一種の変奏形式の作品。カルダーラは典型的な室内ソナタの形式で、ゆるやかなプレリュードに、緩急自在の舞曲が3つ。オノフリとチパンゴ・コンソートの面々にかかると、まるでその音楽がその場で生まれてきたかのような錯覚に陥る。一筋縄ではいかない、凝った作曲の作品を集めているのに、即興の自由さ、新鮮さがあって、実に不思議な魅力をたたえた演奏なのである。

2曲目のジョヴァンニ・アントニオ・パンドルフィ・メアッリ(1630~1669/70)の『ラ・チェスタ』は、オノフリ、ドーニ、桒形の3人。オルガンとチェンバロの上でヴァイオリンが自由に飛翔する。編成がそもそも面白く、とりわけオルガンをどう使うのか興味津々で聞き耳を立てる感じで楽しんだ。

オノフリのヴァイオリンはなんと形容すべきか、軽やかで明るくてキレが良いなどと言ってしまうと、表層的過ぎて何も伝えていない、もどかしさを感じる。この人からしか聴けない音楽であることは確かで、演奏が始まったとたん空気が明らかに変わるのだ。そして、私たちが慣れ親しんでいるドイツのバロック音楽とはまったく違う響き。これがイタリアか。

前半最後のフランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ(1690-1768)は、オノフリ、懸田、ドーニの3人。破天荒なエピソードで知られる作曲家だが、曲もその人物像を映して破格。ヴァイオリン・ソロの「メッサ・ディ・ヴォーチェ」のイントロ。ほとんど音楽が止まってしまいそうな、ゆったりと自由な拍で、シンプルにレ-ソ/ソ-レ-ソと上昇していく。いったい何だこの出だしは? なんという不自然で強引な作曲、しかしなんという魅力。

後半は名曲選といった趣の構成。しかし、ヘンデルってこんなに面白い作曲家だったっけ。バッハの『シャコンヌ(チャッコーナ)』はオノフリのソロを堪能。
終演後、客席に多く見られた、楽器をかついだ若い演奏家たちが「別次元!」と嘆息をもらしながら帰っていったが、確かに、ほかと比べようのない(比べても意味のない)音楽。

最後のアルカンジェロ・コレッリがまたすごかった。プログラム解説は桒形亜樹子による読み応えあるものだが、その中の「コレッリがいなかったら、その後のヴィヴァルディなどのイタリア音楽のみならず、ヘンデルもバッハもその作風が違っていたかもしれない」、「まだまだコレッリの評価が日本では低すぎる」という文章が、そのまますとんと腑に落ちた。

音楽とは耳の愉しみであり、身体の快感であり、スリリングな知的な営みである。オノフリのコンサートはそのことを思い出させてくれて、何とも嬉しい。次回の来日公演は、早くも2017年1月におこなわれるとのこと (金沢、富山、大阪、東京) 。今から楽しみだ。

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