硬派弦楽アンサンブル 石田組|谷口昭弘
2016年10月22日 横浜みなとみらいホール 大ホール
Reviewed by 谷口昭弘(Akihiro Taniguchi)
Photos by 藤本史昭/写真提供:横浜みなとみらいホール
<演奏>
石田泰尚、執行恒宏、丹羽洋輔、岩村聡弘、村井俊朗、鈴木浩司(Vn)
鈴木康浩、冨田大輔、鈴村大樹(Va)
金子鈴太郎、辻本 玲、田草川亮太(Vc)
米長幸一(Cb)
<曲目>
レスピーギ:《リュートのための古風な舞曲とアリア》より 第3組曲
チャイコフスキー:弦楽セレナード
(休憩)
バルトーク:ルーマニア民族舞曲 (Arthur Willner 編曲)
ピアソラ:タンゲディアIII (近藤和明編曲)
レッド・ツェッペリン:カシミール (近藤和明編曲)
エルマー・バーンスタイン:荒野の七人 (近藤和明編曲)
ディープ・パープル:紫の炎 (近藤和明編曲)
(アンコール)
クライスラー:美しきロスマリン
ヴィヴァルディ:《四季》より<秋>第3楽章
シーザーズ・パレス・ブルース
プログラム前半は、弦楽合奏としてはスタンダードといえるような名曲が2つ並ぶ。旋法的な旋律が印象的に始まるレスピーギ作品では、第1楽章から、一人ひとりの個性が合わさって自然に膨らむようなアットホームなアンサンブルが聴けた。第2楽章においても、ヴィオラが哀愁漂う旋律を聴かせつつ、アップテンポな部分でもはしゃぐことなく、優しく、洗練された響きの中で、しっかりと音を紡いでいく。第3楽章においては、首席だけで演奏する冒頭部分に透明感を持たせ、しっとりと聴かせつつ、室内オーケストラに迫るスケール感も出しており、アンサンブルの柔軟さに感心させられた。最終楽章においても同様で、気品を漂わせながら重厚に響きあい、語り合う様子を堪能した。
次のチャイコフスキーのセレナードでは、シンフォニックな冒頭部分に張り詰めた清涼感があり、第1楽章の主部に入ると、ぴりっとした緊張感を持ちながら勢いを削がずに進めていく。
第2楽章はテンポの緩め方にもぴったりとした呼吸の一致があり、決してだれることなく、前進する三拍子を聴かせた。
第3楽章は、自然な呼吸でのびのびと歌い継ぎ、鎮痛な哀歌というよりは、安らぎを感じさせるテンポ運び。この澄んだアンサンブルは、古典的な風情を持つ最終楽章へとつながっていく。そして表情豊かな音の宴となる第4楽章は、最後の畳み掛けも見事で、音楽を創り出す喜びを心から感じさせるものだった。
休憩が終わり、メンバーは黒尽くめの装束で1階客席中央列の下手入り口から現れた。そして舞台に上がって演奏した後半最初の曲はバルトークの《ルーマニア民族舞曲》。オスティナートのアクセントを推進力として掴まえ、これに乗せて生命力溢れる歌を歌っていく。切れ味ある不思議な旋律は、ときには村のバンドのような盛り上がりにまでつながっていった。
こすれるような和音に高音のグリッサンドがアピールするピアソラの《タンゲディアIII》では、突如としてゲネラスパウゼが入り、客席側を振り向いた石田泰尚が笑いを誘う。
さらにレッド・ツェッペリンの《カシミール》では、石田がチョーキングを含めたエレキギターの奏法をうまく取り入れたソロで会場を興奮させる。
ただピアソラにしてもツェッペリンにしても、低弦なり、伴奏を含めるパートがどのように曲を盛り立てていくのか、ロックほどエッジのない弦楽器で音楽をつないでいく難しさも同時に感じさせた。
一方、映画『荒野の七人』の音楽は、各パートの活躍の場があり、音色的な変化も楽しめたし、メランコリックで懐かしいアメリカの雰囲気が醸しだされていた。幾つかの場面からのメドレーにしたアレンジの妙技もあっただろう。
コンサートの最後を飾ったディープ・パープルの《紫の炎》になると、「コレをやりたいんだ!」という石田のはしゃぎっぷりが実に面白い。また彼の冴え渡るヴィルティオジテが単なるスタンドプレーに終わらず、低弦のリフの音の立ち上がりも鋭いし、バックビートに乗せたいろんな楽器間の反応も随所に織り込まれていた。
アンコールは、チューニングをしていると見せかけていきなり曲が始まったクライスラーの《美しきロスマリン》、ピチカートを派手に聴かせエネルギッシュに演奏したヴィヴァルディの<秋>第3楽章、オリジナルほどのインパクトはつけにくいものの会場の異様な盛り上がりを誘った《シーザーズ・パレス・ブルース》の3曲だった。
石田組は「硬派弦楽アンサンブル」とされている。おそらくメンバー全員が男性ということもあるのだろうが、ポピュラー楽曲にしても、必ずしも誰もが知る名曲という訳ではなく、エッジの聴いた曲を選んでいるところも「硬派」らしいところだろう。ただコンサートのコンセプト自体には、演奏者たちの頭の柔らかさがある。このグループの人気の秘密が何となく分かった公演だった。