カデンツァ|若冲とモーツァルト|丘山万里子 

若冲とモーツァルト

text by 丘山万里子(Mariko Okayama

「貝甲図」部分(カタログより)

「貝甲図」部分(カタログより)

今年4、5月に開催された上野の「若冲展」、私は行かれなかった。6時間待ち、絵の前は黒山の人だかりで大混雑の情報に恐れをなし、諦めた。
若冲の名が私に刻まれたのはずいぶん前、かの《群鶏図》を何かで見て、トサカの赤と羽の白、黒の色彩の鮮烈、デザインのシャープさに、衝撃を受けた。なんてモダン!
で、2007年京都相国寺での「若冲展」(開基足利義満六百年忌記念)には何としても実物を、と馳せ参じた。寺の境内で1時間待ちは、文庫本『ブッダのことば』を読みつつ。いざ堂内で33幅の絵に囲まれた途端、あ、これはまさに華厳経の華厳世界だ、と圧倒された。人の頭越しでなく一つひとつゆっくり、じっくり観て、分厚いカタログも購入、ホクホクしながら新幹線に乗った。『釈迦三尊像』と『動植綵絵』が120年ぶりの再会(里帰り)、あるべきところにある(真ん中に三尊像3幅、両脇に動植綵絵30幅)という展示だったから、京都日帰りもなんのその。
今回の展示はその時とほぼ変わりない内容であったので、手元の美麗なカタログを眺めることで我慢した。

その若冲のプレ・イベントとして、上野の「春祭」で「ミュージアム・コンサート〜モーツァルトと若冲 音楽の冗談」(〜300年の時を経て、同時代に生きたふたりの天才が会すとき〜)というのがあり、え、若冲と一緒にモーツァルトを聴けるの?二人はどういう接点?と興味を持ったが、都合がつかず。
このコンサートはプログラムに『音楽の冗談』を配し、「ユーモア」を両天才のキーワードとしたようだが、『不協和音』もあって、私はこちらの方が若冲だな、という気がした。それに、二人にあるのは「遊び心」の方が言葉としては似つかわしい、とも。

展覧会の会期中にNHKで特番があり、見ていたら83年ぶりに見つかったという『孔雀鳳凰図』の孔雀の羽が下絵も輪郭線も描かず、細かいところでは0.2ミリほどの幅を一箇所のミスも、描き直しもない、という説明があった。なるほど、モーツァルトだ、と私は思ったのである。天才は一気呵成、頭にあるものを迷いなくすらすらと描く、書く、若冲とモーツァルト。
そしたらこの9月に『遊戯神通 伊藤若冲』(河治和香著/小学館)という本が出て、飛びついた。研究書でなく小説で、私はこういうファンタジーに遊ぶのが好きだ。
そうして、若冲とモーツァルトが一つに重なった。

若冲は1716年生まれ、1800年85歳で没した。モーツァルトは若冲より40年遅く1756年生まれ、1791年、若冲より10年ほど早く、35歳で世を去った。でも、若冲は京の青物問屋に生まれ、家督を40歳で弟に譲ってからの本格的画業、モーツァルトは3歳で神童ぶりを発揮したから、二人の創作活動はほぼ同時期と言っていい。
小説は綿密な取材に裏付けられつつ、想像を自在に羽ばたかせるもので、読み進むうち、私は、ああ、これだ、と思った。奇矯な人生を歩む若冲に寄り添う美以という女の了解。
「こうして若冲の美しい作品の背後には死屍累々の荒涼たる風景が広がっているようにも、美以には思われるのだった。」
私がここで思い浮かべたのは、『動植綵絵』の《貝甲図》。そびえるような(と思えるくらい)大きな画幅(142.7×79.7)、に青と金の波と浜に撒かれたとりどりの貝は146種類という。その大、中、小のハーモニー、色彩のコントラストの絶妙。京都の展示で私がとても魅入られたものだ。蒼冥い深海の底にあるような静謐の一方で、とことん微細な筆致の狂気と無数に蠢めく生きものたちの息。死の匂いのする・・・。荒涼、というのは、むろん魂の風景だ。
カタログを引っ張り出し、見入って鳴ったのはモーツァルトの『不協和音』。あの、ただなならぬ冒頭とそれからの展開。
そう、若冲もモーツァルトも、どこか、死の匂いがするんだ。

自筆譜「おお、おまえ、ばかなマルティンよ」 KV560b(4声カノン)

自筆譜「おお、おまえ、ばかなマルティンよ」 KV560b(4声カノン)

モーツァルトが病床の父に送った有名な手紙「死は真実で最良の友」というのを引くのはいささか凡庸だが、それでも。
「死は、厳密に言えば、僕らの生の真の最終目的ですから、僕は、この人間の真実で最良の友と、ここ2〜3年、とても親しくなっています。その姿は、僕にとってもう恐ろしいものでないばかりか、むしろはるかに、心を安らかにし、慰めてくれるものとなっているのです!———(中略)僕は、こんなに若いのにもしかしたら明日はもうこの世にいないのではないか、と考えずに床に就くことはありません。それでも、付き合いの時、僕が不機嫌だとか悲しそうだとか言える人は、知人には一人もいないでしょう。」(手紙の訳はいろいろあるが、これは『モーツァルトあるいは翼を得た時間』磯山雅著/東京書籍)
フリーメイソンの死生観がここに示されている、という指摘も聞くが、この文面で私が惹かれるのは、夜、寝る時、いつも、もう目覚めることはないのでは、と思う、という感覚。この「床に就くとき」の本能的な直覚は、別にここ2、3年のことでなく、モーツァルトが幼少からずっと感じ取っていた「冥さ」すなわち「死の匂い」だと思うのだ。
モーツァルトの透明の底にあるもの。

若冲はモーツァルトの短命とは異なり、長寿を全うした。
30代半ばで「若冲」と号し、その意は老子の「大盈(だいえい)は冲(むな)しきが若(ごと)きも、その用は窮(きわ)まらず」。すなわち、満ち足りているものは空虚のように見えるが、それを用いれば尽きることがない。
『動植綵絵』全30幅は『釈迦三尊像』とともに、彼が画業に専心した40代、ほぼ10年がかりの作品。「神の手を持つ絵師」ともてはやされ、その大胆な図案は当時、女たちを飾る着物の絵柄にもなり、大変な人気だったという。
58歳で突如剃髪、3年後には石峯寺に石像五百羅漢を作り始め(像の下図を描き石工に作らせる)、70代の終わり頃にこの寺に隠棲した。
『動植綵絵』が『釈迦三尊像』を中心に仏を荘厳(しょうごん・飾る)する華厳世界であったように、仏への帰依は彼の画業を貫く。
絶筆は鹿苑寺の『亀図』(墨画)とされ、死の年の制作。京都で私はこれを見たが、墨の勢いの奔放と、最期が亀は万年の亀か、と、妙に得心したものだ。

小説でもう一つ、これだ、と思ったのは、美以が声もなくその絵の前で立ち尽くす『蓮池図』(西福寺襖絵)の場面。74歳の作だが、表は金地の華やかな群鶏図、その裏の黒白(こくびゃく)の蓮池の対照世界を、荒涼——「美しい蓮の花はひとつだけで、あとは萎れたり枯れたりしている。蓮の葉には穴が開き、病葉となっている・・・。」と描写している。
しばし沈黙のあと「・・・かすかに蓮の匂いがするようどす。」と女は若冲に漏らす。
私は実物を見ていないが、上野の若冲にあったらしい。うう・・・。
が、 NHKの番組でこれを見て、その景色は頭に刷り込まれていた(Youtubeでも見ることができる)。思い浮かべつつ鳴ったのは、『アヴェ・ヴェルム・コルプス』(死の年)。『レクイエム』ではなく。
あんまり美しくて、いつも泣きそうになる曲。

魂の「荒涼」とか「死の匂い」とか「冥さ」とか。
幼子は眠りに落ちる前に必ずぐずる。泣く。それは冥い海、子宮から外界へ出て眩しい光をやっとこさ知ったのに、またそこへ戻ってしまうのが嫌だから、と、確か養老孟司だかが言っていた。私はそれが、とても良く分かる。幼子は「生」と「死」をそんな風に感じ取っているのだ(胎内回帰願望、というのはまた別の話)。
私たちは長じると、その感覚を忘れる、失う。
モーツァルトは夜毎死んだし、若冲もそれをずっと持っていた、と思う。
この世とあの世を日々往来する魂、そうやって冲しく生きる魂の持つ荒涼は、この世を音と色彩で荘厳して窮まることがなかった。

「モーツァルトと若冲」という企画を知らなかったら、こんな風に色々考えたかどうか。
そうそう、なんと、若冲の石仏は、目白台のホテル椿山荘の庭に20体ほどあるそうだ。私は5月半ばにここで1日を過ごし、庭を散策の途中、石仏群に気づき、その柔和なお顔に心和んだのだが、あれは若冲であったか・・・。
ともあれ、若冲とモーツァルト、良い時空の旅ができた。