金子三勇士デビュー5周年記念リサイタル|佐伯ふみ
金子三勇士デビュー5周年記念リサイタル〜5大ソナタに挑む!〜
2016年9月18日 オペラシティ コンサートホール
Reviewed by 佐伯ふみ(Fumi Saeki)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<曲目>
第1部
モーツァルト:きらきら星変奏曲 K.265
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番イ長調「トルコ行進曲」K.331
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調「月光」Op.27-2
第2部
スカルラッティ:ソナタ ト長調K.146
ショパン:幻想即興曲 嬰ハ短調Op.66
ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調「葬送」Op.35
バルトーク:ピアノ・ソナタ BB 88
第3部
リスト:ラ・カンパネラ
リスト:愛の夢
リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
1989生まれ、まだ20代後半でデビューわずか5年のピアニストが、オペラシティのコンサートホールで記念のリサイタルをするという。しかも、「5大ソナタに挑む」と銘打った長大なコンサートである。これは聴きもの、と楽しみにして出かけた。
金子三勇士は日本人の父とハンガリー人の母をもち、6歳からハンガリーで英才教育を受け、飛び級入学のリスト音楽院で全課程取得後、16歳で日本に帰国、東京音大付属高校に編入。2008年のバルトーク国際ピアノコンクールで優勝。破格の経歴で何かと話題にのぼるピアニストである。
午後3時から始まったコンサートは、途中2回の20分間の休憩を挟み、アンコールも1曲加えて6時半過ぎに終了。これだけ長いコンサートになったのは、曲数もさることながら、1曲ごとに本人がマイクを握り懇切丁寧な司会進行と作品解説をおこなったから。これには良い面もあればちょっと引っかかるところもあり、あとで改めてコメントしたい。
第1部はモーツァルト2曲に、ベートーヴェン『月光ソナタ』。ベートーヴェンの第3楽章、さすがに手の内に入っていて伸びのびと演奏。金子の重い音質がぴたりとはまっている。それに比べるとモーツァルトは少々不満。モーツァルトの演奏には、内からとめどなく溢れる天来の音楽、を求めたいのだが、奏者の「こう弾こう」という意志が前面に出てきてしまう。
たとえば『きらきら星』。出だしのテーマは美しかったが、その後のゆったりした楽想の変奏が、テンポを意図的にぐっと抑えたことで音楽が自然に流れていかない。また、アーティキュレーション、特にスタッカート。くっきり、はっきり切っているのが躍動感につながらず、浮いてしまう(ベートーヴェンの第2楽章でも同じ感想を持った)。『月光ソナタ』の第1楽章、「月光」のタイトルがベートーヴェン由来のものではなく後世の他人が付けたものということを最近知った、と語る金子。今日は少し別のとらえかたで演奏してみる、皆さんが持っているイメージとは違うかもしれないが……との前置き。抑えた静けさで演奏されるのが常のこの楽章だが、非常にドラマティックにメリハリのきいた演奏解釈となっていた。
第2部、冒頭のスカルラッティは自然体の演奏で佳品。ショパンの2曲は「男性的で力強い側面を」と語るとおり、パワーと激しさを前面に。ただ、金子の重く湿り気のあるくぐもった音が、ショパンにどうもはまらない。特にソナタ第1楽章では、密集した音が渾然一体となってしまう。錯綜しているとはいえ、一つ一つの旋律線を聴きたいのだが。モーツァルトでも感じたが、切れがよく、一つ一つが真珠のような光彩を放つ音が欲しい。最後のバルトークはさすが圧巻の迫力。
第3部はリストを3曲。『ラ・カンパネラ』はかなり落としたテンポで入って、ぐんぐん加速。終盤には危ぶむほどのスピードになったが巧みにコントロール。続いて、初めて曲間のMCなしで『愛の夢』。ようやく音楽に集中できてほっとした。最後の『ロ短調ソナタ』は堂々たる演奏。決して叩きつけることなく、豊かで迫力のある重低音を響かせるのが金子の美点。リストの気宇壮大な音楽を十分に示して、立派な演奏だった。
聴衆は小学生くらいの子ども連れの若いお母さんから年配のご夫婦まで幅広く、ロビーには多くの花が飾られて華やいだ雰囲気。必ずしもクラシック音楽を聴き慣れた聴衆ではないらしい… というのは、奏者が袖に引っ込むと、休憩と勘違いしてロビーに出ようと動き出すお客さんがちらほらいたこと。そして金子の曲間の解説がごく入門的な内容で、「これから弾く曲は○楽章あるので、最後の楽章が終わるまで拍手はしないでいてください」といったコメントが入ること。
デビュー○周年リサイタルと言えば、それまでの成果を披露して評価を問う、といった緊張感漂うもの。そう思いこんで出かけた筆者は戸惑い、音楽に集中できないもどかしさを抱えながら聴き進んでいった。さすがに「五大ソナタ」の演奏が玄人の聴衆も十分に意識した力のこもったものだったから、最後まで付き合えたというのが正直なところ。
極めつけは、「サプライズ」のプレゼントのアナウンス。「プログラムにサインとナンバーが入っている人は終演後に景品をお渡しします」。何種か用意されたプレゼントは、CDセットなどと並んで、自ら購入して持ち帰ったヘレンドの菓子皿や、スポンサー提供のエステお試しチケット、そして最後は、自ら使用している楽譜、と来たときには客席から若い女性の悲鳴のような声が。ファン心理をよく心得た、徹底したサービス精神。ここにきてはっきり理解したのは、このリサイタルは、支えてきてくれたファンを対象にした、一種の感謝イベントなのだった。
クラシック音楽の聴衆、特に若い世代が減っていることへの危機感は、若い演奏家ほどひしひしと感じるのかもしれない。金子は学校への訪問などアウトリーチ活動を盛んにおこなっているという。さまざまな工夫をして聴衆を増やそうとしているのだろう。今回の演奏会でも、Miyujiシートと名付けた500円の席(高校生まで)を設けていた。
あの手この手の徹底した努力は敬服に値するのだが、ただ、少し気になるのは…… 聴きに来てくださる「お客様」への親切な配慮と、アーティストに不可欠のカリスマ性、テンペラメント、デモーニッシュな力は、ある意味で対極にあるものではないか? MCで、「今日はこうした曲も1曲、ご用意してみました」といった言葉があった。興行である以上、お客への配慮はしないわけにはいけないが、ここまでくると考え込んでしまう。「楽しませる」エンターテインメントと、それを超えた「音楽で伝えるべき、人間への真の愛」は別次元と思うのだが……
音楽そのものの力を信じること、それと平行して、新しい聴衆を獲得する努力をすること。それは今の音楽界に突きつけられた大きな課題なのだろう。
アンコールはバッハ『平均律』第2巻第15番の前奏曲とフーガ。実に心憎い選曲で、金子の一筋縄では捉えきれない懐の深さを示して、長い長いコンサートが終わった。