TOKI弦楽四重奏団 2016|丘山万里子
2016年8月1日 東京文化会館小ホール
Reviewed by 丘山万里子( Mariko Okayama)
写真提供:新演
<演奏>
vl/岩谷祐之、平山真紀子
va/鈴木康浩
vc/上森祥平
篠笛/山口幹文(鼓童)
<曲目>
エルヴィン・シュルホフ:弦楽四重奏曲 第1番 op.8 WV.72
篠笛独奏:貝殻節(鳥取)、山歌(青森)山口編曲版
ゴードン・ジェイコブ:アルト・リコーダーと弦楽のための組曲(リコーダーと弦楽四重奏編)より(篠笛&TOKI)
第1楽章、第6楽章、第7楽章
池辺晋一郎:「ストラータVIII」 ヴァイオリンとチェロのために
ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 op.59-1 「ラズモフスキー第1番」
<アンコール>
中山晋平:砂山(篠笛&TOKI)
新潟が縁で結成とのことだが、13年の間にメンバーも変わったそうで、現メンバーは第1vl岩谷は関西フィルのソロ・コンサートマスター、第2vl平山は南オランダ・フィルハーモニー第2vl副首席奏者、va鈴木は読響ソロ首席奏者、vc上森は京都市立芸大の非常勤講師、と日頃の活動は様々。
年に1回新潟と東京で公演するとのことだが、今年は上越でも行ったという。
<13年目の今年は、日本の伝統的和楽器“篠笛”と弦楽四重奏で普段聴く機会の少ない共演を>とのキャッチ・コピーだったが、私はメンバーの顔ぶれに惹かれて出かけた。13年もやっているのに未聴とは、と反省しつつ。
シュルホフと池辺が抜群の出来。
シュルホフ(1894~1942)はチェコの作曲家で、そのダダイズムでナチスの「退廃音楽」の烙印を押され、強制収容所で死去している。1992年クレーメルが取り上げ、注目されるようになったとのことだが、TOKIは2005年『弦楽四重奏のための5つの小品』を演奏しており、今回が再登場とか。
第1楽章、ジグザグと波を蹴立てて驀進する完全5度の響の機動力。全員、躍動するボウイングがまさに波頭のごとく砕けてはまた盛り上がり、と、これを聴いただけでワクワクの、まさにプレスト・コン・フォーコだ。なぜか日本のダダイスト詩人高橋新吉の『皿』(皿 皿 皿 皿・・・と皿が続き、皿を割れば倦怠の響きが出る、で終わる詩)を思い出したが、このプレストは無論倦怠なんぞでなく、その皿の積み上がる勢い、ダダに潜む撃破力がこの音楽にダブったわけ。第2楽章は憂鬱、怪奇に、だそうだが、虫の羽音みたいな始まりにメロディーが乗っかってゆく。リズムは16分音符から3連符、32分音符と細分化され、憂鬱というより細密な幽暗画を思わせる。彼らはとても鋭敏な感覚で弾き分けた。
第3楽章はスロヴァキア風ダンスで、ここでも完全5度が多用され、ピチカートやフラジオレットが魅力的なアクセントで弾む。第4楽章はアンダンテ・モルト・ソステヌートで12音技法を用いているが、とりわけヴィオラのソロに静かな訴求力があった。最後、チェロのピチカートを背後にそっと溶暗するヴァイオリン・・・なんとも言えないその余情。
池辺はヴァイオリンとチェロが変拍子で猛烈に絡み合うスリリングな展開。そのビートの快感たるや、こちらも腰が浮く。クライマックスのアドリブ部分は、二人とも丁々発止の激走。終わりに、ダダンと足を踏みならす、というか、床を蹴り飛ばすというか(もちろんこれも音としての仕掛け)、それで「おしまい!」というのも痛快、カッコよかったです。
というわけで、私の耳にはゲストの篠笛のソロやジェイコブ作品は霞んでしまった。 ジェイコブはリコーダーを篠笛で演奏したのだが、フルートのようでありながら、そのピッチの揺らぎが弦楽と相まって不思議な感触ではあった。
ベートーヴェンは、やはり常設カルテットでないだけに荷が重かった印象。それぞれ実力派、響きのバランスも良いのだけれど(特にチェロとヴィオラの支えがいい)、作品の掘り下げが不足。
キレの良い、とても魅力あるカルテットで、各ソロ部分でも充分聴かせてくれるから、今後のあり方、プログラムなど、いろいろ検討してくれたら、と思う(今回の篠笛も一工夫には違いなかったけれど)。