Pick Up(16/09/15)|山田和樹が語る「柴田南雄生誕100年・没後20年記念演奏会」|丘山万里子

ヤマカズの記者懇談会
「知の巨人からの宿題」
2016年9月1日 杉並公会堂グランサロン

Reported by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

柴田南雄生誕100年・没後20年記念演奏会として《山田和樹が次の時代にのこしたい日本の音楽》が今年11月7日サントリーホールで開かれる。
記念演奏会の実行委員長である山田和樹が懇談会で、このコンサートに賭ける自らの想いを熱く語った。
柴田はその該博、先見性を生かし、評論に、創作に、啓蒙に、幅広い活躍をし、日本の現代音楽の推進役となった人であったが、ちょうど今年、重なった武満メモリアル・イヤー関連コンサートの賑わいに比べると、ポピュラリティでは今ひとつである。
ここで、注目度抜群の若き旗手、山田が声を大にして、柴田を聴こう!というのは、ある意味、大切なことだろう。
彼が開口一番、言ったのは、「採算度外視」。その意気やよし、だ。さらに「若い人たちにきて欲しい」「古いものをおしゃれに」伝えたい。
で、柴田との出会いが『追分節考』で、なんだかよくわからなかったけれど、そのわからなさに惹かれ、自分が知らなかった日本への眼差しを開かれ、今、この時、自分がやらなければ、もう二度とこういうコンサートはできないだろう、という強い使命感に駆られたという。
今回のメイン『ゆく河の流れは絶えずして』は柴田の自伝的音楽作品。いわば音の自分史。そこに山田は、留学して初めて、日本の文化をほとんど知らないこと、日本人であることがどういうことかを考えた自分を重ねる。つまり、柴田が幼少期から西洋音楽の中で育ち、やがて日本を発見していったプロセスを、自分と同じだと語る。同時に、それは現在、西洋音楽を学び、享受する日本の人々とも共通することだと。
山田はそれを、柴田の残した宿題、と言った。その答えを、この公演で出せれば。出せなくとも考え続けたい、と。
今更、西洋と日本なんて古臭い、のかどうか。
あるいは、西洋音楽を演奏し、享受して喜ぶ私たちって何?
改めてそう問うことは大事だ、と私は思う。

さて、大作『ゆく河の流れは絶えずして』の過去2回の演奏と、今回の「おしゃれで若い人にアピールするような」はどう違うか。
「昔の人は一生懸命、の感じだけれど、自分はなるべく指揮をしないで、演者の自発性に任せたい。そこからどんな新しいものが出てくるか。相互にコミュニケーションしてもらい、音楽自体が自然に語り出すような空間を作り出したい」
今回は、武蔵野音楽大学の若い学生たちの合唱団が演奏に加わる。その感性を、いかに引き出すか。それもポイントだろう。
ということで、武蔵野の男女学生の3群が2箇所の扉から「ゆく河の流れは〜」と歌いながら入ってきて、会見場をめぐったのであった。

私は1989年の都響再演を聴いているが、ちょうど昭和天皇崩御から間もなくのことであったので(本作は昭和50年を記念しての委嘱であった)、いっそう「時代」というものを感じさせられ、歴史と、これからについて考えさせられたものだ。
今回の公演が、何を伝えるか。山田が次の時代に何をのこしたいのか。
「聴くのでなく、体感して欲しい」
そう、理屈はどうでも、体感、それが一番だ。

公演情報
11/7@サントリーホール http://web.japanphil.or.jp/concert/20190
https://www.facebook.com/shibataminao/

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