東京交響楽団 第643回定期演奏会|藤原聡
2016年8月4日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<演奏>
ピアノ:オルガ・シェップス
コンサートマスター:グレブ・ニキティン
指揮:飯森範親
<曲目>
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18
(ソリストのアンコール)
サティ:ジムノペディ第1番
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 作品83~第3楽章
ポポーフ:交響曲第1番 作品7(日本初演)
こんな曲を定期演奏会のプログラムに載せた蛮勇(?)をまずは讃えたい。ポポーフの交響曲『第1番』の日本初演。ロシア・アヴァンギャルドの極みとも言うべき強烈かつ破天荒な音楽。1928年から1934年に作曲され、1935年にかのシュティードリーによって初演。その後にはニコライ・マルコやクレンペラー、シェルヘンらも本曲に注目し国外初演の名乗りを上げたといい、実際に国外では一定の評価を受けたようだ。
しかし、国内においては初演日の翌日に「我々に敵対する階級の思想」とソヴィエト共産党によりレッテルが貼られてしまう。この辺りはショスタコーヴィチが『ムツェンスク郡のマクベス夫人』において当局から受けた批判と似ている。ショスタコーヴィチの場合は、同様の非難を受けかねない―その結果もしかすると生命すら脅かされる―あの交響曲『第4番』の初演を撤回し、そして実に巧妙な交響曲『第5番』で「名誉回復」を実現させるというしたたかな処世術を持ち合わせていたが、ポポーフはこの一件ですっかりと怖気付き、以降は体制賛美の音楽を書き続けることとなるが、1948年にはさらにシダーノフ批判で「形式主義者」の烙印を押されてしまう。1958年にはようやく部分的な名誉回復が果たされたが(フルシチョフによる「非スターリン化」の帰結だろうか)、その後は表舞台的な立場に出ることもなく、あくまでマイナーな作曲家としてその生涯を終えたという。
当夜のプログラムで高久暁氏は、ポポーフの再評価はペレストロイカ期に始まったと、あるいは西田紘子氏はポポーフ発掘の立役者となったのはユダヤ系アメリカ人指揮者・音楽学者のレオン・ボットスタイン、と書くが、日本の一般的な音楽ファンがポポーフの名前を、そして怪物的な交響曲『第1番』の存在を知ったのは、恐らく今はなくなったであろう英OLYMPIAレーベルから発売されたプロヴァトロフ&ロシア国立響のCDによってではなかったか(録音は1989年)。今や超売れっ子となった評論家の方が絶賛していた記事は筆者も覚えており、それならばぜひ聴いてみなければ、と思って某CDショップで購入したのだった。果たしてその音楽は不協和音だらけの激烈なものであり、ひたすらに猛烈なテンションで大オーケストラが咆哮しまくっているという印象であった(また決して優秀とは言えない録音のおかげか妙に音がキンキンするのもそれらしい雰囲気があった)。ショスタコーヴィチの交響曲『第4番』よりもさらに過激なんじゃないか、とすら考えたものだ。
ポポーフの交響曲『第1番』というのは「そういう」曲なのだ、というコンテクストをお伝えしたいがためにやたらと前置きが長くなった。ポポーフは今もって「マニアしか知らない名前」という位置付けに変わりはない中で、繰り返すが飯森&東響がサントリーホールでの定期演奏会でその交響曲『第1番』を取り上げたというのはすごいことなのである。
そして、当夜の演奏そのもののことを。いかんせん上記プロヴァトロフ盤しか耳にしたことがないが(ボットスタイン盤は未聴)、その上で書けば、演奏自体は明らかに今回の飯森&東響の方が優れている(弦16型、ホルンは倍管の16本!)。というよりも、当然ながら今回全く初めて取り上げたこの未知の難曲をここまで仕上げたことに驚く。音楽的に非常に「美しく、正確に」鳴っている。旧ソ連時代の技術的に荒削りなオケよりも現代日本のオーケストラの方が単純に上手いのだろうが、ソロの上手さといい、トゥッティの重量感とテンションといい抜群。響きの統一感もまずは不満がない。ただの音響的カオスに堕ちる箇所は全くなかった(むろんあと何回か演奏する機会があったならばより高い境地にまで達しただろうが。1回きりは勿体なかった)。
時代も進み、演奏者もこの「異物」を包括的に捉えて精神的にもいい意味での余裕が生まれているのではないか、と思う。単純に筆者の耳の成熟度の問題かも知れないが、録音では全曲これやかましい爆音の連続というイメージが前面にあった当曲にひっそりと存在していた乾いたリリシズム(第2楽章)。プロコフィエフにすら共通する透明な抒情。こういう振れ幅に初めて気が付いた。そして、驀進する箇所においてはショスタコーヴィチの交響曲『第4番』との精神的・音響的相似を感じさせるし、モソロフの『鉄工場』をいやでも想起する場面も。終楽章などスクリャービンではないか。単に表面が似ている、という話ではない。「ロシア・アヴァンギャルド」の相の下の音楽のみならず複数の創作者間で意識的・無意識的に共通する同時代的感性の発露、という捉え方を今回初めて意識したのである。文学におけるザミャーチン(ディストピア小説)、美術におけるマレーヴィチ(シュプレマティズム)、映画におけるエイゼンシュテイン(モンタージュ)など。これは聴き手であるこちら側の捉え方の変化ということだろうが、今回の成熟した演奏でなければそのような側面にまで考えが至らなかったと間違いなく思うのだ。
作曲当時、20代半ばから30歳にようやく差し掛かったポポーフが、当時のありったけの先鋭さを惜しみなくつぎ込んだこの作品、本当に書きたかった曲なのだろうと思う。そのあれやこれやは当時のソ連では「公式に」受け入れられず、良くも悪くも「初期衝動」が山盛りな曲だけに他人にはおいそれと接近できず、だから消化もされない。作曲された同時代の、消化されないままの「熱さ・勢いだけ、成熟なんぞ埒外」で演奏された音源というものがあればそれもまたぜひ聴いてみたいものだ。
2016年に至ってもまだポポーフは「歴史」には完全に組み込まれていないと思うが、歴史に組み込まれるということは分節化されて意味化されるということである。意味に収まっていないポポーフの演奏。飯森の成熟した演奏との対比でそんなことを考える(余談ながら、筆者未聴だが8月28日にアマオケのオーケストラ・ダヴァーイがなんとこのポポーフの交響曲『第1番』を演奏した。いよいよポポーフが「来る」のか?)。
ポポーフに比重が置かれてしまったのは仕方ない。当夜前半に演奏されたのはオルガ・シェップスの弾くラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番』(これまた後半とあまりに対照的だが、前半にプロコフィエフの同名の曲でも聴かされたらたまったものではない)。
まずはテンポが遅い。40分くらいは掛けていたように思う。表情付けも筆者にはあまりメリハリがなく、いささかのっぺりと聴こえてしまう。これは飯森&東響のサポートも同様で、シェップスに引っ張られたのか、弛緩しているとまでは言わぬが、どうにも間延びしている感。言うまでもなくテンポの速い遅いの問題ではなかろう。速くても弛緩気味の演奏はあるし、逆もまた然り。但しシェップスとオケ双方、音は大変美しい。
ソリストのアンコールが2曲、サティの『ジムノペディ第1番』。まさかの選曲だが、これもまたユニークな演奏で高橋悠治やチッコリーニ辺りとは正反対(普通はこちらが正統的サティとの認識だろう)、強弱や表情の変化など、意図的にシンプルに書かれているこの曲にロマンティックな要素を取り入れている(どうにも違和感があるが…)。ラインベルト・デ・レーウの演奏と並ぶ個性的ジムノペディ。むしろ、スカッと爽やかに決めてくれたのはアンコール2曲目のプロコフィエフだろう。これは直裁で文句なし。こういう曲の方が向いているのではないか(とシェップスをほとんど聴いたことがないのに言い切ってしまっていいのか分からないが…)。