日本センチュリー交響楽団 第210回定期演奏会|小石かつら
2016年7月1日 ザ・シンフォニーホール
Reviewed by 小石かつら( Katsura Koishi)
Photos by S.Yamamoto/写真提供:日本センチュリー交響楽団
〈演奏〉
指揮:アラン・ブリバエフ
ピアノ:アレクサンダー・ロマノフスキー
管弦楽:日本センチュリー交響楽団
〈曲目〉
ジュバノフ、ハミディ:歌劇《アバイ》より民族舞曲(日本初演)
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 作品26
ラフマニノフ:交響的舞曲 作品45
首席客演指揮者のアラン・ブリバエフの、今年度最初のプログラム。ブリバエフはカザフスタン出身で三十代半ばの若手。プロコフィエフ、ラフマニノフに加え、カザフスタンの作曲家による作品が取り上げられた。
最初に演奏されたのは、当日の目玉ともいうべき日本初演のオペラ《アバイ》から<3つの民族舞曲>。カザフスタンの作曲家ジュバノフとハミディの共同作品だそうだ。プログラムノートによれば、第二次世界大戦中の1944年に作曲され、初演が大成功を収めた後、カザフスタンでは毎年上演され、国民的オペラとして愛されているのだという。この時代にして当然ながら、わかりやすい音楽、前面に出された民族的要素が特徴だ。民族的要素と書いたけれど、「にぎやかな祭りの踊り」という表現の方がずっと近い。
当日の演奏で驚いたのは、このカザフスタンの踊りを演奏する日本センチュリー交響楽団が、まるでカザフスタンの地元オーケストラのような顔をして、すっかり「自分の音楽」を奏でていることであった。野太い音楽を朗々と響かせる。メンバーは指揮者ブリバエフに熱い視線をおくり、彼の動きにぴたりと合わせ、頬を紅潮させて、自分の周りに響く音の空気をたのしんでいた。初めての作品をドキドキ弾く、というのでも、指揮者にくらいついて力演する、というのでもなく、である。これほど堂々とした自然さが生まれる原因は、カザフスタンも日本も、ヨーロッパ音楽の中心から見れば「同じ辺境」に位置しているが故なのだろうか・・・?などと思いを巡らせている内に、不覚にも演奏は終わってしまった。
プロコフィエフのピアノ協奏曲にはどうしても言及したい。ソリストは、ウクライナ生まれでイタリア育ちのアレクサンダー・ロマノフスキーだ。とにもかくにも、圧倒的なスピード。これはもう、観客に息をする間を与えないといった趣。そして、そのスピードを一瞬たりともひるませずに、猛烈にたたきこむ強靭な和声。支配するのは、無機質な冷徹さだ。ここまで正確に刻まれ続けるプロコフィエフのピアノ協奏曲には、畏怖すら感じられる。鋼鉄の響きとはこのことで、凄まじい速度の高密度の音の塊が、地鳴りのようにオーケストラを巻き込むさまは、生身の人間が創出するものとは一線をかくしている。
作曲年代から安易に結びつけるのは控えたいものの、第一次世界大戦からロシア革命を経て亡命にいたったプロコフィエフが、自身にまとわりつく「周囲の音」として捉えていた時代の響きとでもいうものが、これらの音の連なりであり、それをロマノフスキーが忠実に再現しているようにも思えた。一糸乱れず弾き終えた彼は、こともなげにスクリャービンのエチュードをアンコールで披露し、去って行った。
さて指揮者ブリバエフは、カザフスタンの音楽一家出身で、冒頭で演奏されたオペラ《アバイ》の作曲者ジュバノフの曾孫だという。地元の音楽院を卒業後、ウィーンで学び、20代半ばから地元カザフスタンと並行してドイツ中部のマイニンゲン劇場で活動していた。マイニンゲンはビューローが指揮していたという過去に注目されるが、現在でも大変元気のある劇場だ。旧東独に属した人口の少ない地方都市でありながら、実に生き生きとした公演をおこない、住民に愛されている。ブリバエフの直前にはキリル・ペトレンコが5年間振っていた。ブリバエフが、他でもないマイニンゲンでキャリアをスタートしたことと、聴衆に愛される演奏は、しっかりつながっている気がした。
会場には、カザフスタンについて紹介する手作りのポスターコーナーが設置されていて、歴史的な価値のある写真や現在の街の様子の写真が、ほのぼのとした温かいコメントと共に掲示されていた。掲示を囲んでたまたまそこにいた人と少しの会話をたのしみ、遠い国カザフスタンを身近に感じられるひとときだった。