広島交響楽団 第362回定期演奏会|馬場有里子
広島交響楽団 第362回定期演奏会
〜次期音楽総監督、下野竜也の“祈り”
2016年7月8日 広島文化学園HBGホール
Reviewed by 馬場有里子(Yuriko Baba)
写真提供:広島交響楽団
<演奏>
指揮:下野竜也
管弦楽:広島交響楽団
オーボエ:セリーヌ・モワネ
<曲目>
ペンデレツキ:シャコンヌ(ポーランド・レクイエムより)
J.S. バッハ(齋藤秀雄編曲):シャコンヌ(パルティータ第2番ニ短調BWV1004より)
―(休憩)―
マルティヌー:オーボエ協奏曲H.353
(アンコール … マルチェルロ:オーボエ協奏曲ニ短調から第2楽章)
ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム Op.20
広島交響楽団といえば、昨夏、マルタ・アルゲリッチをソリストに迎えて行った広島と東京での「平和の夕べ」公演が記憶に新しい。その熱演は、首都圏のクラシックファンにも今なお鮮烈な印象として残っているのでは。今年4月には、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団コンサート・マスターのフォルクハルト・シュトイデを「ミュージック・パートナー」に迎えるなど、さらなる飛躍への胸躍る展開が続いている。
こうした充実に向けて広響の実力を着実に引き上げてきた存在が、1998年以来、ミュージックアドバイザー、次いで音楽監督として同団を導いてきたマエストロ、秋山和慶。そのバトンを来シーズンからは愛弟子の下野竜也が受け継ぐ。今回の定期では、下野の、ヒロシマという特別な意味をもつ地で音楽総監督を務めることへの強い想いが込められたプログラムが披露された。
メインに据えられたのは、ブリテンの《シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)》。日中戦争さなかに皇紀2600年の奉祝楽曲として委嘱されるも、その性格が祝賀にあるまじきと日本側の逆鱗に触れた作品だが、そこに描かれる戦争の苛烈さと死者たちへの平安・平和への祈りは、反戦平和を強く訴えた教皇ヨハネ・パウロ2世へのペンデレツキの追悼の祈り(<シャコンヌ>)や、ナチスの台頭のためアメリカへ亡命したチェコのマルティヌー(《オーボエ協奏曲》)の苦難の人生とも谺(こだま)し合う。そこにもう一つ、深い精神性や宗教性を感じさせるニ短調の響き(と、癒しや希望を感じさせるニ長調)も加わって(バッハの<シャコンヌ>、ブリテン)、プログラム全体を貫くバックボーンとしての役割を果たしている。まさに、下野ならではの考え抜かれた構成といえよう。
冒頭の<シャコンヌ>は、1990年代に書かれた《ポーランド・レクイエム》に、2005年に付け加えられた弦楽合奏曲。ペンデレツキの哀悼の祈りを、広響の弦パートは、過度な感傷に傾くことなく、近年特に進化の著しい、深みと情感のある音色で表現した。
バッハのシャコンヌは、下野の師、秋山が薫陶を受けた齋藤秀雄によるオーケストラ編曲版での演奏。この選択には、恩師たちに対する下野の強い敬意の念が込められていよう。下野の棒は、ロマン派型2管編成を用いた齋藤編曲のスケール感を活かしながらも、あくまで自然なゆったりとした流れの中で音楽を展開させた印象で、最後をニ長調の和音で閉じた編曲の意図も汲んでか、全体を通して、厳粛な中にも人間的な慈愛や希望といったものが感じられた。
マルティヌー《オーボエ協奏曲》のソリスト、セリーヌ・モワネは、下野とは既に何度も共演を重ねてきたが、広響とは今回が初の顔合わせ。いわば「重たい」曲が並ぶ当夜のプログラムの中、一服の清涼を成す、色彩感と躍動感、そして叙情性に満ちたこの佳品では、いかにもフランス人らしい洒脱さと、何といっても、彼女の音の卓越した美しさを存分に堪能させてもらった。高音での強奏箇所でさえも割れることのない、しなやかで柔らかい音とフレージング、(アンコールのマルチェルロでも聴かれた)内面の微妙な陰影の全てを音に伝えきる表現力。オーボエの魅力、いや魔力に改めて気付かされた思いだ。
最後の《シンフォニア・ダ・レクイエム》は、下野の鮮やかな棒さばきのもと、広響の圧倒的なエネルギーが迫ってくる、気迫と強い信念に満ちた渾身の熱演となった。71年目となる被爆の日、終戦の日を約1か月後に控えての今回の演奏には、やはり特別な意味がある。永遠の安息を願う最終楽章は、死者に寄り添ういたわりの想いがひたひたと伝わる、平和への祈りとなった。最後の音とともに振り上げた左手を、下野は強くかかげてしばし動かなかった。沈黙の中、そこに込められた強い「祈り」は、この日会場にいた全員に、たしかに共有された。
———————————————————————
馬場有里子(Yuriko Baba)
広島生まれ。東京大学文学部美学芸術学科卒、エリザベト音楽大学大学院修士課程および博士後期課程修了。専門は音楽学、西洋音楽史。2006~08年にヴェルサイユ・バロック音楽センター研究員。同センターより、ルイ14世時代の王室礼拝堂副楽長のグラン・モテを収めた“Guillaume Minoret, Les Motets, Vol.1”を出版。現在、エリザベト音楽大学音楽学部准教授。