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ヴォクスマーナ第35回定期演奏会|齋藤俊夫

ヴォクスマーナヴォクスマーナ第35回定期演奏会
創団20周年シリーズVol.1 未来を担う女性作曲家

2016年7月29日 東京文化会館小ホール
Reviewed by齋藤俊夫 (Toshio Saito)
写真提供:ヴォクスマーナ

<演奏>
指揮:西川竜太(にしかわ・りゅうた)
ヴォクスマーナ

<曲目>
大熊夏織(おおくま・かおり):『空を泳ぐ』(2015年委嘱作品・再演)
小出稚子(こいで・のりこ):『春宵感懐』(2013年委嘱作品・再演)
渋谷由香(しぶや・ゆか):『黒い森から』12声のための(委嘱新作・初演)
山根明季子(やまね・あきこ):『お名前コレクションNo.02』(委嘱新作・初演)

<アンコール>伊左治直(いさじ・すなお)『ヨルガオ』(委嘱新作・初演)

ヴォクスマーナは1996年、西川竜太の呼びかけにより東京藝術大学声楽科有志で設立された声楽アンサンブル。

男女の性差について本質論的な物言いをするのは避けたいが、しかし現代音楽界隈の男子率の高さはうんざりするような事実であり、今回のように女性作曲家が4人も揃うというのは稀有な機会と言って良い。女性性などという虚構に幻想を抱いていたりはしないが、しかしやはりいつも聴いている現代音楽とはどこかしら違うものを期待せざるを得なかった。

まずは大熊作品、舞台上を笑い声が支配する中にテクスト(「冷蔵庫の中の( )食べたの誰?美味しかった…?」)の断片が始めは単音のロングトーンで差し込まれ、次第に2音、3音のユニゾンからハーモニー、さらに全体でポリフォニックなテクスチュアを形作る。しかしまたクスクス笑いが方方から沸き起こり、「ねえ、美味しかった?」の疑問形の台詞が加わる。そして解析不可能なまでに複雑な合唱(ともいえない音響?)が舞台上で猛り狂ったあと、1人の「ねーーーー」のメリスマで終曲する。特筆すべきはその「集団の力学」とでもいい得る、集団の中での各人のやりとりであり、集団の中から音楽が生成し、発展し、崩壊し、また生成して、というプロセスが、コンセプトとして明快であるがゆえの音楽的豊かさ、面白さを持って耳に届いたのである。何を笑っているのかわからないと言う点で不気味な作品になるところだが、音楽的な豊かさによって朗らかな作品として聞いた。

次の小出作品、なんとかぐわしいことか!中原中也の「春宵感懐」の「みなさん、今夜は、春の宵。なまあつたかい、風が吹く」のテキスト通り、かぐわしい春の宵の風に包まれるごとき音楽体験であった。声部によって時間差をもってテキストが歌われることによって舞台上で音が文字通り動きまわり、風のごとく音楽が会場中を吹きまわる。留学先のオランダで明快な自己主張を要求される中で、自己主張ではなく「ぽかんとした、ただあるがままの空気や感情を誇張せず描写した」「開き直って、春の宵の<あの感じ>をシンガーソングライターみたいにこの詩に乗っけ」た(パンフレットの作曲者のコメントより)とあるが、いや、十分に個性的な作品であった。

後半の委嘱新作、まずは渋谷作品、12人12声部というだけでもうヴォクスマーナ以外の団体では不可能だと思われるが、これはまたとんでもない作品であった。4分音を多用したゆっくりとしたひそやかな声で、それぞれの声部がハーモニーとも不協和音ともつかない音響を作り出す。音が凪いでいるのか身体に絡みついてきているのかわからないが、金縛りにあったかのように身動きが取れない、のしかかるような緊張感が静かに会場中を埋め尽くす。ある種恐怖感すら覚えるほどの唯一無二の音楽体験であった。

プログラム最後の山根作品、指揮者はおらず、12人の歌手がみな舞台上で座り、「やまださーん、たろうさーん」と延々人の名前(実在する作曲家の名前が多かった気がする。それも湯浅や松平のような大家も)を呼び続ける、ほとんどそれだけの怪作である。しかも「歌詞の決定とそれに伴うピッチの上下関係を、作曲家が手放し演奏家に委ねた」との事。口笛や呼び声のユニゾンあるいはごく単純なハーモニーなども少し混じるが、呼び声は基本的に日常会話における呼び声とほぼ同じ発音であり、舞台での合唱という行為を異化するというか、「何をやっているのかわからないがとにかく何かをやっている、しかしどう反応したらいいのかわからん」という謎めいた状況を作り出していたのである。呼ばれた人がその場にいることによって観客席が舞台とつながり(周囲や客席を見回して呼ばれた人を探すゼスチャーをする歌手たちもいた)、日常的な呼びかけに対してコンサートホールという「特別な場」、合唱という「特別な行為」を異化してあますところがなかった。合唱が日常に侵食してくると同時に、日常の中にある音楽性に気付かされたのである。技量ではなくコンセプトだけで異常な音楽的状況を作る、あるいは音楽的状況を異化するという作曲家の「勝ち」であった。大変な怪作が出現してしまった!

アンコールの恒例の伊左治作品も今回常になく技巧的にすごいことになっていた気もするが、現代合唱曲において、女性作曲家という楽壇的に少数派の人材がかくもそれぞれ個性的で、「女性」などというくくりを無化させる強靭な作品を生み出したことは実に喜ぶべきことである。現代合唱の最先端を行くヴォクスマーナ、まだまだ面白いことは終わりそうにない。

 

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齋藤俊夫(Toshio Saito)
1980年栃木生まれ。慶應義塾大学院で音楽学を学び修士号取得。一時メーカー勤務するも辞職し現在フリー。主な研究対象は伊福部昭を中心とした日本近現代音楽。2010年度柴田南雄音楽評論賞奨励賞受賞。2015年度群像新人評論賞第一次選考通過。

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